2009年度
第15回劇作家協会新人戯曲賞
後援:一ツ橋綜合財団・杉並区
平成21年度文化庁芸術団体人材育成事業
一次選考通過作品一覧(21作品)
作品タイトル | 氏名 |
かけ値なしのラム | 西田雅子 |
三日月のセレナーデ -天に抗ったある老婆の潰えぬ記憶 |
加蘭京子 |
こぅちゃんのぶるーす | 北川彩子 |
えっち すけっち わんたっち | 高橋秀之 |
霧の白船 | 稲津敬太 |
雨の隙間のアカい部屋 | サリngROCK |
エダニク | 横山拓也 |
石灯る夜 | 中澤日菜子 |
喫煙所 | 楠原セツ |
父の横顔に母の笑顔が映る | 高山さなえ |
クララ症候群 | k.r.Arry |
それからの、夢 | 中野昭夫 |
カーペンターズ・ソングブック | 阿部圭一 |
うそつきと呼ばないで | 横田修 |
箱を持っている | 鹿目由紀 |
雨と猫といくつかの嘘 | 吉田小夏 |
誰 | 田川啓介 |
マチクイの詩 | 福田修志 |
下り禁止! | 久保田佑 |
F | 宮森さつき |
家族の肖像 | 野口司 |
作品タイトル | 氏名 |
エダニク | 横山拓也 |
石灯る夜 | 中澤日菜子 |
雨と猫といくつかの嘘 | 吉田小夏 |
誰 | 田川啓介 |
マチクイの詩 | 福田修志 |
受賞作
作品タイトル | 氏名 |
エダニク | 横山拓也 |
最終選考会は、2009年12月13日(日)、座・高円寺(東京都杉並区)において公開で行なわれた。
審査員は、川村毅・斎藤憐・坂手洋二・佃典彦・マキノノゾミ・横内謙介・渡辺えり。
受賞作と最終候補作(計5本)をすべて掲載した「優秀新人戯曲集2010」は、
ブロンズ新社から発売中(本体1,600円+消費税)。
ISBN978-4-89309-486-5 C0074
総評/選考経過/選評
(劇作家協会会報“ト書き”46号より)
初めての会場「座・高円寺」での審査会であった。
『エダニク』に対して横内氏は「食肉加工工場を舞台にしているのだから、自ずといろいろな問題が露呈してくる。アンタッチャブルな側面に踏み込みざるを得ないだろう。それらのテーマへの作者の誠意は感じられるが、差別に対してドラマとして構造を作りすぎた」と述べた。渡辺氏は「もっとこのテーマを追求すべき。ソフトに書かないほうがいい。しかしこの作者は以前の作品も知っているが、それと比べると腕を上げた」。佃氏は「何も起こらないことで終わるのが今ふうだ」。マキノ氏は「百点満点の作品。登場人物三人のキャラクターがとても上手く書かれていて、泣ける」と絶賛した。
『石灯る夜』についてマキノ氏は「今年は候補作五本ともそれぞれ味わい深い。この作品も好感を持って読んだ。ただ石を掘るという行為が舞台で見た時にビジュアル的に地味ではなかろうか」。佃氏はそれを受けて「掘った土が堆(うずたか)くなっていないのがおかしい」。渡辺氏はさらにそれを受けて「これはある種シュールな設定だから土が堆積していなくてもいいのではないか。それにしてもこれだけいろいろしゃべられる人が、なぜこのような行為に没頭するかがおかしい」。横内氏は「ひとつの皿にいろいろ雑多な題材を乗せすぎた。ナカタ夫婦に絞って書くべきだったのでは」。その意見に対して斎藤氏は「それは逆でこの夫婦の話が世話物になり過ぎている」。
『雨と猫といくつかの嘘』について坂手氏は「時間軸を錯綜させずに正攻法でよかったのではないか」。渡辺氏は「もっと複雑にしたほうがよかった。しかし人間の深みを上手く書いていて、すんなり読める」。横内氏は「主人公の父親を断罪した戯曲。この作家は前の候補作からも読み取られることだが、父性への攻撃が感じられる」。マキノ氏は「手堅くまとまっている。が、2004年時の最終候補作『時計屋の恋』のほうがいい」。
『誰』に関して渡辺氏は述べた。「後味の悪い戯曲だが、おもしろいのは、設定とキャラクターにリアリティがある。こういうおかしい人を現実に以前知っていた。本当に切ない。今の若者の関係性がよく書けている。そういう意味ですごい作品だけど嫌い」。斎藤氏は「もっと鋭角な批評性がないと風俗的なものとして埋没してしまう。例えば2007年時の最優秀作『ハルメリ』ほどの批評性がない」。坂手氏は「台詞のほとんどがありがちなものとして読めてしまう」。
『マチクイの詩』に対して坂手氏は「どういえばいいんだろうか…」と言葉を濁した。横内氏は「物語の迫力はある。だがもっと整理すべきで、途中から混乱している」。佃氏は「プロットが映画のシナリオ的だ」。渡辺氏は「余分な部分が多い。逆にタイトルにもなっているマチクイの詩の歌詞が書かれていないのがおかしい」。斎藤氏は「土に帰るという自然志向と被爆の問題が分裂している」。
こうした意見、感想が出された後、一回目の投票。支持する戯曲をひとり二本選ぶという例年の方式に入った。
結果は『エダニク』を推したのがマキノ、坂手、斎藤、渡辺、佃の五氏。『石灯る夜』が川村、坂手、斎藤の三氏。『雨と猫といくつかの嘘』が川村、渡辺、横内、佃の四名。『誰』がマキノ、横内と二名。『マチクイの詩』には誰も手を挙げなかった。
休憩後の最初の感想はマキノ氏の「マチクイに票がゼロというのは意外だった」というもので、それには多くの審査員が同意見だった。とはいうものの、やはり積極的に推す審査員はいなかった。票の入った四作品を中心に討議が為され、『誰』に関しては佃氏「暴力性に説得力がない」、川村「関係の不全状況の気味悪さについて書かれたものはもううんざりだ」などといった意見が出た。『エダニク』を巡っては題材をソフトな喜劇のタッチとして描いたことについての賛否が分かれたが、最終投票の結果は『エダニク』にマキノ、坂手、斎藤、渡辺、佃。『雨と猫といくつかの嘘』に川村、渡辺。『誰』に横内ということで、最優秀作に『エダニク』が決まった。
川村 毅
今年は積極的に推そうというものが一作もなかった。だから審査会の流れに任せて、上位に上がってきたものへの弱点を指摘するという役割を基本姿勢にしようと臨んだ。『エダニク』の困難な設定と主題を喜劇性と軽さのオブラートに包んで提出するという手法には根本的に違和感を覚える。困難な主題への取り組みは困難さと闘争しつつ描かなければならない。問題の解決など提出する必要はさらさらないが、困難さとの闘争の軌跡が出ていなければならない。そう考えるとこの戯曲はお手軽過ぎる。『誰』のような戯曲をもう何十本と読んだだろうか。いずれも二十代前半の者の手になるものであった。関係不全の状況をだらだらと書いてそれが何になるというのだろう。自分たちの置かれた状況の確認のつもりなのだろうか。読まされているほうはうんざりだ。私が推したのは『石灯る夜』と『雨と猫といくつかの夜』だが、これも五本の中での相対的な好感に過ぎない。
斎藤 憐
最終選考に残った作品は、どれも独特の趣向を凝らしていて楽しめた。福田修志さんの『マチクイの詩』を読んで、イヨネスコの戯曲の趣を感じた。人間が「木化する」のは恐ろしい。吉田小夏さんの『雨と猫といくつかの嘘』で描かれる人生は、ソートン・ワイルダーの『ロング・クリスマス・ディナー』のはかなさだ。
中澤日菜子さんの『石灯る夜』の、巨大な石を掘り続ける行為は、シジフォスの労働、あるいは人間の「原罪」を物語っているのだろうか。
横山拓也さんの『エダニク』は鋭い。私たちは、ハンバーガーを食べている時、オックスをビーフに、ピッグをポークにしている人たちのいることを忘れている。その上、ワープロは「屠殺」という文字を変換しない。
それぞれの方が劇団を持ち、「今」と格闘している姿はたのもしい。
坂手洋二
中澤日菜子『石灯る夜』は微妙な心情を描こうとするところに好感が持てたが、アイデアを演劇として生きたものにするには、もっと考えねばならない。するすると台詞を書き連ねてしまう傾向があるから、今後は「書きすぎない努力」が必要だ。
吉田小夏『雨と猫といくつかの嘘』は、作者が演劇的な仕掛けに自覚的になったぶん、自己完結的になっているように感じられ、残念。
田川啓介『誰』。この手の作品には、「若者らしさ」をもう一度自分で裏切るくらいの構造的企みを期待する。
福田修志『マチクイの詩』は、なぜか手塚治虫漫画を思い出した。興味深いところもあったが、架空の世界をリアルに構築するにはもう少し馬力がいる。
バランスが取れていて読みやすいという一点だけでも横山拓也『エダニク』は得をしている。「差別」についての現在の空気も反映している。
候補作の幾つかには、架空の、あるいは自然発生的にみえるようにゆるゆると形成される「コミュニティ」を描こうとする共通項があった。時代の孤独と依存心が反映されているのだろう。
佃 典彦
名古屋のミラーマン佃です。
今年で審査員は三回目なんですが今回は比較的読みやすい作品が最終候補まで残りました。読みやすいって事は多分、外的世界とキチンと向き合ったところで作品を書いているという事だと思います。それは劇作にとって基本なんですがその反面、恣意的なと言いますか内的世界にグングン引っ張り込んでいくようなワケが判んないけど圧倒されちゃうような作品も出てこないかな…なんて思ったりしました。そんな中で横山さんの『エダニク』は屠場という<現場>をしっかり描いた上で、しかも登場人物三人だけで見事なエンターテイメントに仕上げたと思います。ソース焼きそばの話から始まる冒頭シーンで僕はもう感心してしまいました。実際に屠場に取材しに行かれたそうで、ネットだけの知識だけで書く作家が増えた中でその姿勢は立派ですし、やはりその分セリフに血が通っていると感じました。横山さんにはぜひ来年の短編戯曲タイトルマッチ劇王(東海支部主催)に参戦して頂きたいと願っております。
マキノノゾミ
最終審査員をさせてもらったのは三回目だが、今回がもっとも粒がそろっていたという印象を持った。少なくとも今回の最終候補作は、どれも面白く読んだ。
吉田氏の『雨と猫といくつかの嘘』は手法的な面白さもふくめて手堅くまとまっている感じで、技術的にはもはや安定していると思った。ただ、たとえば息子の鉄平とカノジョである遠藤のエピソードなどとても面白いのだが、それに匹敵するほどの「生」の手触りが主人公の風太郎の人生にあまり感じられない。そこが物足りなかった。
福田氏の『マチクイの詩』も台詞はしっかりと書けていて、その作品世界にも意欲を感じたが、少し長すぎたのではないか。登場人物をもっとしぼったほうがよかったと思う。
田川氏の『誰』も面白く読んだ。登場人物の誰一人として好きになれないし、感情移入もできなかったが、にもかかわらず面白く読ませたのだから、それなりに力量があるということだと思う。
受賞作の横山氏の『エダニク』については満点だと考える。
三人の登場人物のキャラクターと作品世界のディテールがしっかりしているし、終盤のヒートアップのさせ方も、エピローグも過不足なく決まっている。何より、きちんとしたユーモアがある。一読して「これ以上何を望むというのか」と思った。再読してもその感想は変わらなかった。もちろん上を望めばきりがないだろうが、それはもはや個々の好みの領域でもあって、およそ新人戯曲賞の応募作品としては、これはもうパーフェクトではなかったかと思う。
横内謙介
取り扱いの難しい素材を果敢に選び、しかも過剰な思い入れを巧みに隠して、自然なリズムで描ききった『エダニク』に敬意を表しつつも、私は『誰』を一番に推した。
いかにもデジタル世代の、人と人との関係性の歪みを、軽快に描いた作品である。その皮肉な視点が、ありきたりではないかという意見もあった。しかし私は、他人を脅しておきながら、それで友達なのだと言い張っている、箕輪という男の有り様に、時代性を超えた、人間の悲しさを感じた。ラストに箕輪が、美輪明宏的に変身する辺りが安直過ぎて、もう少し慎重に作品を純化してゆけば、いつか傑作を書き上げる作者だと思う。
神話のように物語を紡いでゆく『マチクイの誌』の力強さも印象に残った。ただしところどころに、話を転がすための記号的な対立が使われるのが、作品の仕上がりを通俗的にしてしまっていると思う。作者は長崎の人で、核に対する思いの深さは受け取れるが、作品としての完成度を高めるために、人間のドラマを描ききることに集中した方が良かったのではないか。その力がある人だと思うので今後に期待したい。
渡辺えり
全体としてダイナミックなファンタジーやシュールな舞台効果を狙った作品、不条理劇の応募がほとんどなく、人間の内面をつっつくテレビドラマ風の小品が多かったのが私としては残念であった。
大賞を受賞した『エダニク』は屠場を仕事にしている人たちの話だが、今日本で起きているこの職業に対する差別の問題をテーマにしたのではなく、どこの職場でも今起こっているだろう年配者と若者の働く意識の違いや、不況からくる失業問題、過剰な自主規制など、三人だけの登場人物で良く描けている。
横山さんは一昨年OMS戯曲賞に『コクジンのブラウス』という作品が最終候補に残ったが、いじめがエスカレートして焼却炉で焼かれ殺されてしまった「コクジン」というあだ名の少年の話の捉え方や、周りの人物の描き方があまりに倫理観に欠けるということで選考委員たちが激論を戦わすことになった作品だった。その作品とは雲泥の差がある面白い作品だったので、非常に驚いた。一年でこんなにも作風が変化するものだろうか?
『石灯る夜』も面白く読んだ。夏の終わりに蝉も人もぽとりと死んでいくという出だしの台詞が面白い。心の中に傷を抱えた人たちが年齢や性別を超えて神社に集まり石を掘り続けるという発想も面白い。
社会の何ではコミュニケーションをとりにくい人たちが、この神社でだけは本音を言えるという設定も面白い。しかし、登場人物が自分を自分で解説してしまうところが惜しい。最初からみんなが喋るのではなく、何かのきっかけでその人となりが分かってきたり、謎のままだったりと余白を残しながら深い話に持っていって欲しかった。そして会話のテンポをもう少し考えて欲しい。スケールの大きな話になりそうなだけにもったいないと感じた。
『雨と猫といくつかの嘘』は私にとって好きな要素の沢山ある作品である。雨の日に傘をさして交差する人々。黒で顔を隠し、雨音は八木重吉の詩を思わせるので魂の鎮魂歌のように聞こえる。熟年離婚した孤独な父親の過去と現在が交錯する話で、その時間軸に猫が乗っかっている。こういうファンタジーは好きである。しかし、この熟年の男の記憶に戦争がないのが不思議であった。思い出が若者風であることが少し気になる。
人魚姫のように一生報われない性同一性障害の人のエピソードが悲しい。主人公が少年だった頃母親こそが愛人で、時々尋ねてくる中年の女が実は父親の本妻だったと知る場面など、思ったことを口に出せなくなっていく過程の回想シーンなどが面白く描かれている。上演を観たい作品である。
『誰』は嫌悪感を感じながらも興味深く面白い作品だった。「殺すぞ」と脅し続けなければ友人を得られないと思い込むほどの自信のなさ。恐怖によって縛られているうちに親近感を持ってしまう感覚。何も感じないよりは憎しみの方がマシだと作者は言いたげである。自分自身に対する自己嫌悪は、性同一性障害ではないのに女性ホルモンを打ち続ける主人公の行為で分かってくる。女性に暴力をふるいそうな自分、犯してしまいそうな自分を自主規制してしまうのである。
すべての登場人物が本音を言わず、気を使いすぎながら生活している。相手に入り込まないので、お互いがお互いを知らないまま生活している。そして、気を使いすぎて殺人が起きてしまうのである。
胃が痛くなるような作品であるが、今を描いているようで捨てがたく面白い。
『マチクイの詩』は今回の中で唯一反戦をテーマにダイナミックな構想の中で書き上げた戯曲である。長崎に住む作者ならではの感覚もあろうが、突き上げてくる、世の中の理不尽さとずるさに対する抵抗の思いを作品に反映させようとしている意思が感じられ、そこを大いに応援したい。原爆を商売にし、戦争で儲けようとしている今の現実を、これからも告発し続けて行っていただきたいし、私もこれから色々と資料を調べ勉強し、的確な助言ができるようになりたいと強く反省しているのである。