第31回劇作家協会新人戯曲賞 選評
霧島ロック『うすらひの下に、いる』
《佳作》
新宮虎太朗『生まれる!』
[主催] 一般社団法人 日本劇作家協会
[後援] 公益財団法人 一ツ橋綜合財団
[協賛] 小学館、北九州市芸術文化振興財団
◯『8hのメビウス』 本橋 龍(東京都)
◯『だいたいみんな躍ってる2024』 大竹ココ(東京都)
◯『ラブイデオロギーは突然に』 坂本 鈴(神奈川県)
◯『うすらひの下に、いる』 霧島ロック(東京都)
◯『生まれる!』 新宮虎太朗(愛知県)
最終審査員
鹿目由紀 瀬戸山美咲 平田オリザ 前川知大 マキノノゾミ
最終審査会司会 山田裕幸
選評
鹿目由紀
今年も審査を務めることになりましてたくさんの作品を拝読し、最終候補5作品と出会いました。何度も読み直しまして質の高い五つが揃ったことを嬉しく感じましたが、正直、今回は迷うことが多かったです。一つの作品につき、この点をとると、ちがう点が気になり…という形で、悩む審査となりました。けれど、どの作品もご自分の大事にする言葉や手法で、現代社会と繋がりながら格闘されているという印象を受け、読み応えは存分にありました。受賞された霧島さんの作品は、大きく訴えるものがある、というよりも、物語をきっちり展開してゆく戯曲で、登場人物たちの魅力を地道な筆力で描いた秀作でした。おめでとうございます。
『8hのメビウス』は、セリフまわし、会話ひとつひとつが巧みで、人物それぞれの性格が会話の端々から伝わり、たいへん面白く映りました。早い段階から、登場人物の輪郭がはっきりと見え、ザイルを使用した転換も含め、研ぎ澄まされていました。それだけにモノローグが少しノイズになっているという印象を受けました。後半、モノローグが心情を説明する場面が増えていくのですが、それが前半で築いてきた、登場人物たちのセリフ裏にある心情についての想像力を、止めてしまったように感じられました。また、ザイルの存在はタイトルとも通じていて面白く、前半は人物の関係や生き方の提示に生かされているのですが、後半になるとその関連が希薄になったように思えて、そこももったいなかったです。
『だいたいみんな躍ってる2024』は会話の小気味いいテンポが心地よく、終始楽しく拝読しました。ただ、3分の1ほど進んだあたりで、結婚式の余興を練習しているなか、樹里から、今度ゆかりの結婚する相手がほたるの「元カレ」だと「アウティング」され、そこから大きく展開を迎えるのですが、ここまでの種まきが少し長いかなと感じました。またアウティングから数ページ後、この余興を「やめませんか」と言うまでのほたるの居方が、ご自身が戯曲のあらすじで言及されていたようにアウティングをテーマと掲げるにしては弱いと感じました。樹里の暴露のあと、ほたるは相槌はごくたまに打つもののあまり発言をしなくなるのですが、この、アウティング後の様子をどう描くかにもう少しこだわってほしかったです。例えば、意外と通常通りに振る舞うなども、その一つのやり方かと思いますし、言われてからの、ほたるの心の動きを後から想像するだけの材料がそこにあってほしいと思いました。時折言及される生け花の話が、話の根幹ともっと深く繋がるようにできたら良かったとも思いました。けれども終始会話が楽しく、もっと読んでいたいと思いました。
『ラブイデオロギーは突然に』は、たいへん面白い設定でした。書いた、つくった張本人たちが、令和の視点から平成を見つめ直すことにより、時代を経て変わってきた思想、価値観のずれを考えられるという描き方には心踊りました。昔のアニメなどにあった、歴史を知ろうとしてその時代にタイムトラベルしてみる主人公たち的な描き方が、可笑しくて良かったです。気になった点として、台詞ひとつひとつがもう少し整理できるのかな、というのと、最後のほう、美咲とリカが主人公桜子と話し、その縛られた価値観を解き放つかのように会話していくなかで、「東京のいい大学に行きたい」とか「東京行って一流企業に就職して」などと言う桜子に対し、二人ともいいねとなり、最後までその価値観は引っ張られていったのですが、あれ、なぜそうなってしまったのかな、と止まりました。美咲とリカは現在からの新しい視点で励ましや合いの手を入れていたのに、その価値観は刷新されないんだ、という引っ掛かりを強く覚えました。
『うすらひの下に、いる』は最初から最後まで面白く読みました。始まり方が特に良かったです。どんな状況かは読めないが、気になる二人のやりとり、良平が現れることにより混乱を呼ぶ展開、そこから登場人物が現れるごとに、意外なほうに転がり続ける倉庫のなか。全体構造としてしっかりしており、おそらく何度もこのような作品を構築してきたからこその熟練した、地に足のついたような巧みさを感じました。ただし「瑤子」の正体が明らかになってからの展開が、登場人物が多く、役割の整理が雑多になり、少しもたつきを感じました。また他の審査員もおっしゃっていましたが、登場人物が年齢を重ねた世代の集まりだからという前提もあると思うのですが、台詞の選択で男女への言及について気になる箇所がありました。けれど全体的に最後まで楽しく読めました。おめでとうございます。
『生まれる!』は、言葉の力、台詞のインパクトが強く、どこを切っても印象の強いやりとりで引き込まれました。また、社会的な視点は常にふわっと提示されており、時折嫌味のない笑いに変換されていて、それもまた、社会的主張との程よい距離感が保たれていて面白かったです。が、最後2ページでいきなり直接的な主張に感じられるまとめに入ったのが気になりました。パワーのある作品でありながらも、どこまで意図的に「ト書き」をセリフにしたものと、してないものとして描いているのか。何度か読んでいきますと、セリフではないト書きで、これを読んでいないとすると、繋がりが雑に感じられるかもしれない、というト書きもあり、その精査を丁寧に行ったのかが気になりました。しかしパワーのある作品で、佳作として納得の作品でした。おめでとうございます。
瀬戸山美咲
『8hのメビウス』を推そうと考えて審査会に参加しました。ザイルという架空の商品の名称や”8”のモチーフ、さまざまな”時間”へのフォーカスに創意を感じたからです。ザイルの使い方が説明されないところも気が利いていました。スマホのようにかつてはなくてもよかったはずのものなのに、いまや命綱になりうる、一方で命を奪う危険性もある、そんな謎の存在が大量に舞台上にある。その緊張感は、演劇だからこその表現だと思いました。会話が生々しく魅力的なので、最初、モノローグは不要に感じましたが、読み進めるうちにSNSにつぶやかれる独り言のようにも見えてきて、労働にまみれた現代を生きる人の発露の表現として必要かもしれないと思いました。
『うすらひの下に、いる』は、作劇の技術が優れていると思いました。会話を追ううちに自然と人間関係が理解できました。元演劇サークルの仲間たちが仲間のために一芝居打つというストーリーも飽きずに読むことができました。ただ、ストーリー以上のものを受け取れませんでした。私は演劇には観終わったときに少し世界が変わって見えるような、そういう体験を求めているので、少し物足りなさを感じました。たったひとつの台詞でも、言葉のない瞬間でもいいので、他の作品では見られないような表現と出会いたかったです。一方で、一部の台詞に嫌な既視感がありました。「パワハラなんかよりずっと怖いですよ」のような問題を軽んじる台詞や、「子宮に響く」のような女性への偏見に基づいた台詞など、実際にそういう物言いをする人がいるとしても、劇中で無批判に再現する必要があるだろうかと考えました。
『生まれる!』は最初に読んだとき、入り口で躓いてしまいました。3人の男性に差異がないこと、3人とも男性であることをうまく咀嚼できなかったのです。しかし、審査会で前川さんがこの3人の行動がいかにも日本人的だと指摘されるのを聞いて、3人が同質に見えること、3人が男性であることこそ意味があると認識しました。”日本人的な人”を思い浮かべるとき、私自身、まず”日本人の男性”を思い浮かべていることに気づいたのです。日本では、女性の間でも同調圧力はありますが、男性は”同じ”であることをより強く押し付けあっている印象があります。また、自分が”日本人”であることにアイデンティティを置く人は男性のほうが多いように思います。だから、”日本人”を批評するこの芝居の主役は男性の集団である必要があるのだと確信しました。2作品に絞られた決選投票のときは、この作品を推しました。
『だいたいみんな躍ってる2024』は、梗概に”アウティング”をテーマにしていると書かれていましたが、”バウンダリー”に関する芝居だと思いました。ほたると樹里、ほたるとゆかり、ゆかりと山本、ほたると恋人、それぞれの関係において一方(あるいは双方)の自他境界が曖昧です。彼らが他者とのやり取りの中で、少しずつ変化していくのを興味深く読みました。惜しかったのは生け花というモチーフです。不完全さや変化を受け入れることをあらわすモチーフでしたが、テーマに微妙にはまっていない印象がありました。このあたりを再考して、書き直したら強度のある作品になると思います。
『ラブイデオロギーは突然に』の”過去の創作物にあったロマンティック・ラブ・イデオロギーの呪いを解く”というコンセプトは明瞭でした。しかし、登場人物の造形やドラマの組み立ての部分で改良の余地があると感じました。美咲とリカという主人公ふたりの求めるものや立ち位置がもっと違うほうが、ひとりひとりの”自分自身を救う物語”が効果的に立ち上がると思ったのです。身を置いてきた環境は違うはずなのに、ふたりの価値観がどこか似ていて、何度かどちらの話す台詞かわからなくなる瞬間がありました。また、物語が日常から非日常に向かうタイムスリップの直前にふたりが共感し合ったため、ドラマの緊張感がなくなってしまいました。クライマックスまでふたりがはっきり対立しているほうが、共通の敵を前に手を組んだ時のカタルシスがあると思います。とはいえ、審査会では作者はもっとゆるやかなシスターフッドを描きたいのではないかという意見も出ました。もし序盤から連帯させるならば、彼女たちの敵をもう一歩踏み込んで書く必要があると思います。なぜ、ケータイ小説に救いを求めていた女性たちがいたのかといえば、この社会の構造が彼女たちのためのものではなく、創作物も彼女たちのためのものでなかったからです。そして、その社会構造は過去のことでなく、いまも続いています。むしろ、インターネットメディアが発達した現在のほうが過酷な状況になっているとも感じます。そしていまも、ケータイ小説に変わるような生きづらさを受け止めるメディアは存在します。そういった生きづらさを生み出す社会構造と戦うところを見てみたいと思いました。また、ケータイ小説で描かれていたことを極端なフィクションとして捉えていることも気になりました。世代的には少し上の私から見ても、ケータイ小説には現実に存在するけれど書かれて来なかったことが書かれていたと感じます。志のある作品だと思うので、改稿して上演していただけたらいいなと思います。
最後に二次審査でもっとも印象に残った作品として、『バトン』を挙げたいと思います。人間には必ずひとりひとつ持っている唯一無二のバトンがあるという設定が見事でした。全体を通して苦しい現実の中にいる人たちへの優しいまなざしを感じました。残念ながら最終には残りませんでしたが、とても好感を持った作品です。今回、例年以上に審査員によって結果が大きく異なることを実感しました。この選評もあくまでも私から見たもので、もしかしたら選ばれなかった戯曲にこそ救われる人もいるかもしれません。そういう意味で、審査員のメンバーは入れ替わる必要があると思います。私もここ数年審査員をつとめさせていただいてきましたが、ここで一旦お休みしたいと考えています。どうか、みなさん、自分の信じる作品を書き続けてください。私も頑張ります。
平田オリザ
今年も粒ぞろいの候補作が揃った。ただ昨年、一昨年に比べて「これを」と強く推せる作品はなく、不安定な気持ちで審査に臨んだ。
受賞作『うすらひの下に、いる』は、私自身、その中では最初からもっとも高い得点を付けていた。二次審査の時点から、軽妙な台詞で物語をつないでいく力量については抜きん出るものがあったと思う。
事故によって母・遙子の記憶が、娘の美咲のそれと混乱しているというメインのトピックを観客に知らせるのが少し遅いという弱みはあるものの、それはおそらく上演時には、俳優の外見など、なんとなくの違和感から真相が分かっていくように演出をされていたのだろうと想像する。
だが、この「上演時には」というのは戯曲賞の審査ではくせ者だ。実際、審査の席上でも話題になったのだが、本作はおそらく劇団か、あるいは、ある程度キャストが決まった状態で、その全員を過不足なく出そうとして書かれた気配が濃厚だ。私も長く劇団を主宰してきた身だから、その気持ちは分かる。しかし優れた戯曲とは、そのような背景を感じさせないものだろう。作品全体を俯瞰して見ると、登場する必要があるのかどうか疑問な人物、インパクトを与えるだけならば短い登場時間でもかまわないと思われる役柄が数名いる。それが作品全体を冗長にしている感は否めない。
もう一点、不満があるとすれば、コメディとシリアスな場面とのバランスが若干悪い点だ。前半、小窓を開けるとそこで誰かが立ち聞きをしていたという、いささかご都合主義的な、ある種コメディの常套手段が用いられる。それはかまわないのだが、後半のシリアスな展開の中にもそのような要素が混在していて、複雑な戯曲をよりわかりにくくしている。もう少し整理の余地があったのではないかと思う。
不満ばかりを書き連ねたが、作品全体は素晴らしい出来で、本作に新人戯曲賞を授与できたことを誇りに思う。近い将来、霧島さんが、キャスティングを気にせずに思う存分書きあげた作品も読んでみたいと思う。もちろん、劇団や仲間を大事に思う心根も大切ではあるが。
佳作の『生まれる!』は、新宮さんのテンポのいい台詞を次々に紡ぎ出す力に感服した。ト書きを台詞として喋る部分も面白い。しかし劇の後半、通常のト書きの部分も混在しており、その面白さが半減してしまったように感じる。本作は日本人とは何かを問う作品だが、最終盤に登場人物の一人が日本をルーツとしないということを話し出す。これを最後に、しかも長台詞で表明することが有効だったのかどうか。序盤からのスピーディーな展開で最後まで乗り切ってもらった方が、より観客の想像力をかき立てられたのではないかと感じた。
終盤の台詞で疑問を感じたのは、坂本鈴さんの『ラブイデオロギーは突然に』も同様だった。本作は、よくあるタイムスリップものの範疇を超えて、現代と「ケータイ小説」が流行った二◯◯◯年代初頭をたいへん上手く橋渡ししている。しかし最終盤、主人公が長台詞で以下のように語るのは効果的だっただろうか。
「東京はなにかと素敵でおしゃれ。いろんな考えを持つ人たちと出会って、桜子は自分の世界がどれだけ狭くて凝り固まっていたかを知ったんだ」
ケータイ小説に象徴される「ラブイデオロギー」を作者は批判的に取り扱うが、それが東京と地方という視点で収斂してしまうのは、作者自身が自作を矮小化しているようでもったいないと感じた。
作中、「ケータイ小説7つの大罪」という言葉が紹介されている。売春、性暴力、妊娠、薬物、不治の病、自殺、真実の愛。しかしどうだろう。近年人気の「社会派ミステリー」も、ほとんどが同様な不幸のオンパレードだ。それでも、それらの作品には深刻な幼児虐待やヤングケアラーの実態を訴えるといった社会的な意義もあるのだろう。では題名の通り、大罪のうちの「ラブイデオロギー」だけが問題だったのか。中盤までの展開が「ケータイ小説」を揶揄する方向に傾きすぎて、問題の本質が曖昧になってしまったのではないか。これだけの趣向を創れる作家なのだから、もっと技巧を凝らしてテーマ性を後景に追いやることもできたのではないだろうか。
本橋龍さんの『8hのメビウス』は、ザイルを8の字巻きにするという単調な作業、いわばシーシュポスの神話のような繰り返しの中から、現代社会の息苦しさを描き出す秀作だった。ただ序盤の登場人物たちのやりとりが、どうもあまり身体性が伴っていないように感じてしまった。知性が低い(と設定されている)登場人物たちの言葉が、無理をしてぞんざいな言葉遣いにしているように思えたのだ。そして、その結果、後半、演劇が主題へと迫っていく過程で、その登場人物たちが急に饒舌に、あるいは論理的に語り出すところに強い違和感が生まれてしまう。
大竹ココさんの『だいたいみんな踊ってる2024』は、最初から最後まで面白く読ませていただいた。不器用な人々を不器用なままに描く手際が小気味よい。しかし審査会でも長く議論になったが、アウティングをテーマにした作品でありながら、それが起こったあとの各自の反応が、若干、雑な印象を残した。「雑な会話」が作品の魅力なのだから仕方のない面はあるが、やはりここは作品の根幹の部分なので、もう少し丁寧に書いてほしいと思った。いや、あるいは、これほど魅力的な台詞を書く作者なのだから「アウティング」はせいぜい一つの要素にとどめて、もっと軽快に踊り続けてもよかったのではないかとも感じる。ダンス、生け花などの諸要素が、少しつぎはぎな感じがする点が賞を逃した理由かと思う。
二次審査の過程でも、いくつか光る作品があった。たとえば審査員の評価は分かれたが、加藤瑶未さんの『トントントン』などは、荒削りではあるけれど不思議な才気を感じさせる作品だった。
骨太でも軽薄でも、洒脱でも巧妙でも、とにかく強い世界観を持った作品に出会いたい。それを強く願った今年の審査だった。
前川知大
戯曲賞の審査員というものを初めてやりました。二次の16作品から5か6作品が最終に進むということで、自分が良いと思った5作品に高得点をつけ、それ以外の作品には実際以上に点数に開きをつける採点をしました。まずまずの点を取る作品が最終に進むよりはと思ってですが、それがよかったかどうかは分かりません。最終審査に残った5作品は作風はばらばらですが、現代社会の生きづらさとどう向き合うかという点では共通してたように思います。5作品ともに評価できるが決定打にかけ、全員一致することが難しい審査会でした。
『8hのメビウス』
メビウスという会社で、都市型安全器具ザイルと呼ばれる帯状の器具をひたすら巻くだけの労働に従事する労働者たち。人生=終わりのない不毛な労働。そこから抜け出せずにもがいたり、絶望したり、お互いに傷つけあったりします。マウンティングや弱さからくる攻撃性など、ダメで有害な男性性を色んなかたちで発露する登場人物の描写がうまいと思いました。セリフも面白い。言葉や態度からにじみ出る生活感と、ザイルの象徴性に質的な距離を感じて、少し違和感が残りました。モノローグが何度か入るのですが、そこで感情や状況を説明してしまうことがもったいない。カメラを引いたまま描写していたほうが、作者独特の乾いたユーモアが活きるように思います。どん詰まりで陰鬱な物語ですが、ラストはほんの少しそれぞれの人生が進んでいて嬉しい。でもモノローグでまとめない方法を探ってほしいと思いました。全編通して濃密な空気があり、力のある書き手だと思います。
『だいたいみんな躍ってる2024』
すいすいと最後まで読め、面白かった、という第一印象です。オフィスの休憩所で女性3人、上司の結婚式余興ダンスの練習が入口。その上司や税理士などが行き来しながらの会話。上司の結婚相手が主人公の元彼ということを、同僚がアウティングすることで空気が変わっていき、それぞれの関係性や過去、抱えた問題が浮き彫りになっていきます。アウティングの問題に踏み込みつつも、趣味の生け花への考え方の違い、恋愛観、アルコール依存症とケアの問題など、論点が次々と出てきます。展開が多くて面白いのですが、それぞれへの踏み込みの甘さが目立ってしまったように思います。ただ、ほぼリアルタイムで進む一幕劇なので、たくさんの問題にその時間内で解決を見出すことは難しいのも分かります。とは言え議論を白熱させる必要もあり、言葉が少し乱暴になるというか、対話が深まる前にお互いが踏み込みすぎる印象があり、リアリティが弱くなるように思いました。2回目を読むと、少し平凡さが目立つように感じましたが、上演すれば演者も観客もとても楽しめる作品だと思います。
『ラブイデオロギーは突然に』
20年前のケータイ小説ドラマの世界に、登場人物として転生した原作者と脚本家。DV、ドラッグ、性暴力、事故死など当時のケータイ小説の過激な展開に、現在の視点からツッコミを入れながら事態を回避していき、自らも恋愛至上主義の呪縛に囚われていたことに気づく。YouTube設定で作品解説をしてドラマと劇世界を繋げ、地震でドラマ世界へ転生する。強引だが手際が良く、すぐに物語に引き込まれました。ドラマ世界のキャラクターは戯画化され、録音された音声と組み合わせて、生身設定の二人と差別化されて混乱なく観られる親切なつくり。極端な世界観を遊びながら、社会や価値観、コンプライアンスの変遷を笑いながら学べるエンタメになっていると思います。とても面白かったです。難点は、身体性や当事者意識が希薄で、安全圏からネタ化していじっている印象が否めないところ。整理された言葉や言説を引用して組み立てたようなコスパの良いセリフたちに、作者が透けてみえるのも。審査会では、他の審査員から指摘された難点を聞いているうちに、もっともだな、と評価は下がったのですが、設定と展開は面白いので、難点を克服して是非ド派手な演出で上演してほしいです。
『うすらひの下に、いる』
演劇サークルの同窓会。交通事故で娘を死なせてしまった元役者の女性は、自分を失い、娘の人格を演じるように生きている。その女性を現実に引き戻すのが集まった本当の目的。ユーモアのある人物と会話、コメディのお約束を使うので、愉快で優しい世界ですが、リアリティはやや低めと感じました。精神病の女性に荒療治するような展開や、事態を急ぐ理由の切実さ(夫が警察に追われる事態)などに、あまり納得できませんでした。作者のつくる空気感と題材が上手く噛み合っていない印象でした。シリアスな事態にも笑いを忘れないことは素晴らしいし、キャラクターの面白さ、丁寧な構成などのつくりは申し分なかったと思います。というように、当初あまり推していなかった作品ですが、審査会で他の審査員の評を聞いているうちに、なるほどと見直した印象です。その内容は他の方の選評を読んでいただけたらと思います。
『生まれる!』
新生児室で三人の男1、2、3が出会う。皆日本に生まれたことをぼんやりと悔いていた。三人はネトウヨのインフルエンサーを追い、日本人だけを餌にする爬虫類の卵をみつけ、フランスに行って初めて見るデモに衝撃を受ける。日本人がいない場所で卵を孵すため、三人は戦場に行き着く。とあらすじを書いてみても意味が分からないが、実に面白い。全編にあふれるトボケた空気感、会話のナンセンスさ、三人の匿名性と大衆的な振る舞い、雑な議論、ボンヤリとした言葉選び、変わり身の早さ、何にでもすぐに慣れる習性、素朴な正直さ、三人の会話から浮かび上がるこうした特性は、とても日本人を描いていると感じました。ナンセンスでバカバカしい会話や展開に笑っていると、それが自分たちの姿のように思えてきます。冒頭に新生児室で提示される、日本人に生まれること(は幸福なのか?)という問いが響いてきて、三人の荒唐無稽な旅に、なんとも言えない寂寥感を感じました。ト書きを展開に取り込んだり、第三者のセリフを鸚鵡返しで聞かせる強引な手法など、演劇的な遊びも面白く、三人の空気感がそれを許せるものにしています。気になるのは、作者が書いていることにどれだけ自覚的かということです。戯曲には、表記のブレや、セリフかト書きか不明の箇所など、粗さが目立つので、そこまで丁寧に書いていないのかもしれない。勢いによって、作者の意図を超えたところに作品が触れてしまっただけかもしれません。という点も踏まえて私はこの作品を一番に推しました。ラストは再考していいかもしれない。
マキノノゾミ
『8hのメビウス』
現代のありふれた、ちょっとした「不幸絵図」である。身体的な暴力場面はほとんどないが、淡々として閉塞した生活を描写する力は大したものである。架空の仕事なのだろうが「ザイルを延々と8の字に巻き直す単純作業」というのもブルシットジョブの象徴のさせ方として巧みだ。このようなシンボリックなしつらえは超写実的な日常会話とのギャップがあってこそ活きる。それがきちんと計算できているセンスの良さがある。登場人物たちの造形もリアリティがあるし、場面転換のさせ方も上手なのでスムーズに引き込まれ、読むほどに息苦しさが増してゆく。これといった激しい苦痛がない代わりに、かえって蟻地獄のような救いのなさが際立つ。何だろう、身につまされるような「低温の現実感」というか。
ただ、そのぶん最後の終わり方がやや甘いと感じた。とくにサチはあれでいいのだろうか。夫であるコミネと「長い長い時間を過ごしてきたけど。…きっと本当に話すべきことは一つも話していない」と気づいたとして、たしかにそう気づくことは大切だし、そこからしか再生への道は始まらないのだろうと(理屈では)思うが、やや取って付けたような安易さを覚えた。なぜだろう。サチの描写が足りていないのだろうか。そうとも思えないのだが。
と、そこまで考えてみて、少し考えが変わった。これ、もしかしたら、登場人物たちの「少し前向きな感じのする」後日談のスケッチも、実はほんの一瞬の幻のごときものであって、本質は何も解決せずに、低温の地獄が永久に続いてゆくということではないだろうか。「何一つも、そんなに都合よく解決なんかしませんよ」というのが、作者の最後のメッセージなのかも知れない。そう思うと、やるせない無力感が残る。現代の、いわゆるミレニアル世代の空虚な心象を描いて秀逸な作品だと思う。
『ラブイデオロギーは突然に』
作品のアイデアそのものは面白いと思うし、いまだ根強く残る「真実の愛(至上主義)の呪い」を解除するという主題も今日的でよいと思う。ただ、惜しむらくは台詞の身体性が全体的に乏しい。読んでいて登場人物の多くがどうしてもアニメ顔で浮かんでしまう。これを生身の俳優でやるのは厳しいのではないか。「ケータイ小説」なるものにはまったく無知なのだが、おそらく著しく舞台化(実演)には向かないということなのだと思う。いわゆる「2.5次元ふう」にやれば一つの批評的表現にはなるのかも知れないが。
だが、そうなるとよけいに現実世界の「美咲」と「リカ」の造形が物足りない。この作品は、この二人が20年前のケータイ小説の異世界へとトリップする、いわばバディものである。ならばここはやはりセオリー通りの「もっと正反対で対立的」なキャラクター設定だったほうが物語全体が弾んだのではないか。どちらかがもっと極端に「おっとりしている」とか「怒りっぽい」とか。リカが複数のシングルマザー同士でシェアハウスで暮らしている設定などはとてもいいので、個々の設定をもう少し掘り下げれば、二人にはもっと生身のドラマが各々にあるはずである。中年となった彼女たちの人生経験と、現実性の乏しいケータイ小説の登場人物たちのギャップで物語を駆動させる仕掛けも、それがあればこそ、もっと奏功するはずだと思う。リカに逆説教されて佐伯が困惑する場面など面白く書けていると思うが、大人同士の会話であるあの場面は、リカのキャラクター次第では、もっと味わい深いシーンになった気がしてならない。だって相手は若い日の自分の「妄想」の中の大人なのだから。
もっとも、それは作者が描きたかったテイストではないのかも知れない。これくらいの「ノリ」と淡いシスターフッドこそが作者には好ましく思えて、そこが譲れない一線なのかも知れない。だとすれば、やはりアウトプットの媒体が違う気がする。破天荒な場面展開、ことに最後のカタストロフ的場面など、この物語は「演劇」よりも「マンガ」や「アニメ」のような2次元作品として創作されたほうがいっそう効果的であり、魅力的だったのではあるまいか。
もしそうであったなら、斯界の話題作となり得ていたかも知れない。
『だいたいみんな躍ってる2024』
作者の梗概に「アウティングをテーマに、個々の価値観とその受容、他者との関わり方をめぐる、喧嘩あり、ダンスあり、生け花ありの、一幕ワンシチュエーション・バチクソ会話劇」という惹句があって、確かにその通りの作品である。生け花というのが珍しいが、それなりに効果的に使われている。娯楽性もじゅうぶんに兼ね備えているし、会話も全体にユーモラスで快調だ。
前半はさほどでもないが、中盤、ほたるが樹里のアウティングを責めるあたりから、俄然、白熱して面白くなる。ほたるの、自分にもどうにもできない「ふて方」がとてもリアルだ。価値観の相違による対立は、当然ながらたいへんに厄介なものであり、ここまで話がこじれてしまうと、日常生活ではふつうその場での修復が困難である。読み進めながらハラハラした。一幕ものでは上演時間内にとても解決は望めないだろうと思った。といって喧嘩別れで終わるのはありきたりだし、だいいちここまでのコミカルな作風に似合わない。作者も決してそのような安易な結末を志向しているわけではない。おそらく着地点は「一世風靡セピア」と決めてあり、どうあっても「バッド・エンド」にはしたくなかったはずだ。さあ、どうするのだろう。
「それぞれ価値観が違うのだから、人はあまり人に干渉するべきではないし、関わるべきでもない」というのは(梗概にある通り)なかなか反論しにくい鉄壁の「冷たい論理」である。作者はきっとそれぞれの登場人物たちに憑依しつつ、彼女たちとともにその冷たい論理を乗り越えようと懸命に考え、七転八倒したのに違いない。話が「アウティング」から逸れ、上司ゆかりへの恋愛感情、山本のアル中問題へとぐんぐんスライドしてゆくのもそれがゆえと思われる。でもわたしはそこに、困難な命題に挑みつつもがく作者自身の葛藤というか「熱」のようなものを感じた。そのような作者自身のアティチュードこそが、この戯曲の終盤にある種の「迫力」を付与していると思った。わたしはそこを買い、二次審査の時点では最も高い点をつけた。
『うすらひの下に、いる』
ミステリー風味の中年男女ののどかな群像劇といった感じだが、過不足なく巧いと思った。事情を知らぬ人物の配置の仕方や、そこから生まれる滑稽なすれ違いなど技巧的にはもう必要十分であって、何の文句もない。すべての役はおそらく一座の俳優たちへのアテ書きであろう。全員にそれなりの為所(しどころ)があって、勝手ながら、長年活動をともにしてきた仲間たちへの信頼や愛情が感じられて、実はもっとも好感を抱いたのはその部分だった。
物語の結末は少々ご都合主義的で安易な気もするが、不平はない。登場人物の数もやや「多牌」気味な気がするが、それも大した問題ではない。おそらく作者が書きたかった(というより書かねばならなかった)のは、決して衝撃の問題作ではなく、劇団公演のための「ハートフルで、ちょっと気の利いた面白い芝居」だったのだと思うし、それでいいと思う。この辺ちょっと決めつけ過ぎかも知れないが、たぶんそうだと思う。
そして大事なのは次のことだ。
わたしにも覚えがあるが、このようなタイプの戯曲はなかなか受賞作とはならない。そのような作品では得てして「芸術性」や「純粋性」などが後退しがちだからだ。けれども、繰り返すようだが「参加する十名以上の俳優全員に各々の力量に応じた為所を作りつつ、それなりにまとまった面白い台本を書く」というのは、なまなかにできることではない。この座付作家としての「職人的技量の高さ」は、本来もっと評価され、顕彰されてしかるべきものだと思う。
さいわい劇作家協会の新人戯曲賞の比類なきところは「審査するすべての人間が同業の劇作家たち」であるという点である。この賞だけは唯一そのような劇作のハード面に特化した目線で選ぶ年があってもよいのではないか。
というわけで今回の受賞は順当だと思う。だって本当にちゃんと巧いんだもの、ふつうに(笑)。
『生まれる!』
わたしの中では、二次審査で読んだ時よりも、最終審査のために再読した時のほうが、断然、評価が上がった作品である。男優3人のシュールなコント仕立ての不条理劇であり、低体温の、妙に腰の低いトボけた言語感覚が愉快である。(たとえば「警備員さんをもっとリスペクトしろ」といった台詞とか)
最初はふつうに笑いながら読んだ。3人にはとくに際立った個性の差は与えられておらず、いうなれば台詞をしゃべる『BLUE MAN』のような印象だった。最後に「男3」が在日である話がやや唐突に出てくるが、取って付けた感じは否めず、その部分もさほど気に留めなかった。作品自体は現代の社会状況を「風刺」というほど大げさではないにせよ、邪気なく冷やかしつつ進むので、近頃にわかに社会問題となってきた反知性的「排外主義」の風潮にも軽く触れたのだなくらいに思っていた。
ところが再読しているうちに「待てよ」と思った。もしかしたら作者は本当に当事者なのかも知れない。だから「排外主義へのプロテスト」という真剣な主題は、逆にこんなふうにふざけ散らしたタッチでしか書けない、いやむしろ「こういうタッチでしか書きたくない」と考えたのかも知れないと思った。すると急に、シュール風味のコントにしか見えなかった男たちのやり取りが、ひどく切実な会話のように思えてきた。さらに進んで、いや、もはや当事者云々なんかどうでもいい、もしかしたらこの作品は「この世界に生まれてこようとする一つの生命を、全力で、文字通り命がけで『寿ごう』とする者たちの物語」なのではないかと思えてきた。うん、きっとそうだ、そうに違いない。大詰めの戦場の場面になると、いつしかわたしの頭の中ではパッヘルベルの『カノン』が鳴り始めていた。そして訳もわからぬ感動がこみあげてきて、わたしは少し泣いた。本当である。二次審査を含め16本の戯曲を読んで、わたしが不覚の涙を流したのはこの作品だけだ。……まぁ、あくまで読み手側の妄想大爆発のせいではあるのだが。
要するに、そういうポテンシャルを秘めた戯曲だということである。
※久しぶりの最終審査担当であった。選評がウェブ公開となったので多少長めでも大丈夫とのことで、気にせず書いてみたら、かなり妄想多めの文章になってしまった。作者の意図とはまったく異なる誤読だらけと思うが、ご寛恕願いたい。惜しくも最終審査には残らなかった佳い作品もたくさんあった。16人の劇作家全員に心からの敬意を表します。