Japan Playwrights Association’s New Playwright’s Award
第29回劇作家協会新人戯曲賞 選評

《受賞作》
海路『檸檬』
《佳作》
いしざわみな『在る愛の夢』


[主催] 一般社団法人 日本劇作家協会

[後援] 公益財団法人 一ツ橋綜合財団
[助成] 一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)
[協賛] 小学館、北九州市芸術文化振興財団


最終候補作

『はやくぜんぶおわってしまえ』升味加耀 (神奈川県)
『浴室』鈴木穣 (千葉県)
『檸檬』海路 (埼玉県)
『在り処(ありか)』相馬杜宇 (神奈川県)
『在る愛の夢』いしざわみな (山形県)
『人魚の器官/漂う海馬』河合穂高 (兵庫県)


最終審査員

 長田育恵 鹿目由紀 シライケイタ 瀬戸山美咲 平田オリザ
 司会:関根信一

最終候補作6作品全文掲載の「優秀新人戯曲集2024」(ブロンズ新社刊/2,000円+税)、1月発売予定

*第29回劇作家協会新人戯曲賞の総合情報はこちら


選評
 *選評は2000字程度で依頼しています。長田氏のみ字数が多くなっています。

長田育恵

 私が戯曲に取り組む時に重視しているのは、現在上演する意図、作劇の構造、登場人物たちの造形、筆力、言語感覚、登場人物の関係性の変化の描き方などです。また戯曲は作者の手を離れ、演出家・俳優・観客と必ず他者へ渡されていくことを前提として審査しています。
 今回は、将来性が期待される言葉のセンス、独創性ある世界観を展開させた海路さん『檸檬』の受賞に賛同しました。升味さん、いしざわさんの作品も評価しながらも、賞に推すことはできませんでした。

■相馬杜宇さん『在り処(ありか)』
 一人暮らしの老婆のもとに侵入した空き巣狙いの男。男は通帳と印鑑を盗んで立ち去りたいが、老婆は彼を息子と勘違いし引き留めようとする。時折様子を見に来るボランティアの学生はいるが、老婆と空き巣の攻防は続く。
 一場もの、少人数の登場人物で、登場人物同士の関係性の変化だけを丁寧に描き続けることで魅力的な演劇を目指す。作者はその姿勢を貫いて、上演時間推定1時間ほどの作品を最後まで書き切った。その挑戦が清々しかった。
 おそらくこの1シチュエーションだと上演時間がもっと短い作品であれば傑作となっただろうと思う。プロットを展開させるために第三者の学生が登場することで、老婆の生活も意外と孤独でないことが分かってきたり、老婆の口数が多く、過去だけでなく現在の周辺記憶も細かく語り出してしまうことで、記憶の曖昧さという設定も揺らいでしまう。では作中でギアを切り替え、老婆が息子とは違う他者と分かりながら、あえて引き留めようと作為するのであれば、既に存在する第三者の学生が不要になり、空き巣男の造形も、あえてここに留まる更なる理由が必要になってきてしまう。プロットを引き伸ばしたことで設定にほころびが見えてきてしまうことを残念に感じた。
 けれども作者の、どこか明るくふっくらとした、人の営みを見つめるユーモラスな眼差しは愛おしい。「元気の玄関、えんえん縁側」(元気があるときは縁側でなく玄関から出入りする)など生活に根差したリズミカルな言葉や、探し続ける男に老婆が零す「ねえ……休もうよ。お前ずっと探してるよ」という呟きは、シンプルでありながら男の人生全体を照らす深度がある。空き巣の去り方もよく、劇の外から現実が迫ってくる余韻など、ペーソスあるエンディングはとても美しかった。

■河合穂高さん『人魚の器官/漂う海馬』
 作者の豊富な知識から書かれる世界観は、コンテンツとしては一次審査通過作の中で一番興味深いと感じた。強力なコンテンツは、極上のエンターテインメントとしてマンガ・小説・ゲーム・映画・ドラマ、あらゆるジャンルに展開できる力を持つ。それを用意できる作者に敬意を表する。その中で、第一部は生身の感覚に重きを置いている分、演劇として上演することが、確かに最も生きると感じた。だが第二部からは新世界で起こった事象が中心となり、コンテンツとしては面白さが増すが、人間の生身と夫婦のドラマが遠のいていく分、演劇が最も適しているという説得性が薄らいでいった。
 特殊な設定は布陣を完了させるまでに手数がかかる。説明を増やさなくてはならないし、規格外の登場人物を出さなくてはならない(その説明にも手数がいる)。そして布陣を完成させた後から、ようやくこの世界観でしか表せないことを語り始めることができる。だが今作は第一部・第二部と別作品として切り分けてしまったので、2回立ち上げ直さなくてはならず、布陣の構築段階にオリジナリティと労力が集約されすぎてしまった。手数を尽くし布陣を完了させた先で、何を語り出すのかと耳を澄ませば、夫婦のドラマは既に過ぎ去り、結末だけが渡されるという構成が残念だった。
 現在は、演劇と他ジャンルの境界はどんどん薄まっている。魅力的なコンテンツは、同時期に複数ジャンルに展開することも多々ある。だからこそ、演劇作品としてはコンテンツのどの部分を重視するか自覚的になりたい。数奇な運命を辿ることとなった学者夫婦の物語に絞り、その皮膚感覚や身体性、関係性の変化を中心に描写していった方が、生身の俳優が眼前でリアルタイムで演ずるという演劇の強みをもっと生かすことができただろう。

■鈴木穣さん『浴室』
 母親から虐待を受けて育った主人公はルポライターとなり、現在は、ある虐待死事件の取材をしている。事件の母親へ取材を進める一方、自らも妊娠している。5年後、母親となった主人公は、夫が虐待するのを止められず、自分も憎んできた実の母と同じだと気づく。自己憐憫の共感先を求め、5年前に取材していた事件の母親を再び訪ねる。
 この作品は、なぜ現在この題材を上演するのか、意図を明確にするべきだと考える。主人公が取材している虐待死事件は、現実として記憶に新しい結愛ちゃんの目黒区虐待死事件を下敷きにしている。取材という形を使って、劇中でかなりの比重を持って語られる。
 主人公にルポライターという職業を設定し、実際の事件を持ち込んだ分量も多いので、事件を糾弾・検証し、主人公がそれを経て変わっていく作劇かと読み進めたが、作者の主眼は、虐待被害者である主人公はそこから抜け出せず、次の加害者となる心理描写にあることが分かってくる。終局は、取材対象者と同病相憐れむといった場面となり、実際の事件を題材としてまで上演する意図に賛同できなかった。
 浴室というのは、主人公が子供の頃に虐待された場である。虐待された人間は、その浴室から精神的に生涯逃れられない痛みを描き出したかったのだろうか。また主人公と虐待死事件の母親は共にモラハラ気質の男性に虐げられている。そういう女たちは被害者でありつつ子供への虐待加害者となる連鎖が止められないという連帯を描きたかったのか。だとしたら、最も描かれるべきところがこの作品には欠如している。
 主人公が妊娠しているところから、時間が経過し、次の場は5年後となっていて、主人公は既に虐待の傍観者となっている。もし女性の心理が主眼なら、この5年間こそ最も丁寧に描くところではなかったか。子供を身ごもった恐れや母親となるかどうかの選択、それでも出産に挑む心情――浴室にとらわれている主人公は、その場所から自らの力で出ていこうと力を振り絞った瞬間もあったのではないか? ましてや主人公はルポライターという職業で、自分の境遇と似た事件を自ら追おうとしている。それはなんのためだったのか?
 戯曲は上演されて観客に手渡されていくものであることを前提とする。実際に起こった事件は記憶に新しい分、耳目を引く。だからこそ題材とするならフィクションとして充分に昇華させなくてはならない。今回の作劇意図なら、そもそも主人公にルポライターという、社会的に事件を検証・フィードバックする職業も設定すべきではなかっただろう。

■升味加耀さん『はやくぜんぶおわってしまえ』
 女子校を舞台に女生徒たちをとりまく抑圧と心理を描く作品。これは舞台設定・構造・主題において既に評価を得てきた先行作品が多い。それらを踏み越え、2023年の今、何を打ち出すか。この点において、今回の候補作の中で最も作者の気概を感じた一作だった。
 性自認・アウティング・同性愛・アセクシュアルなど現代を照射するトピックが生徒たちの話題から巧みに展開していく。学内の男性権力者である副校長や、学外の脅威の象徴として配置されている露出狂や痴漢など、男性の脅威は彼女たちに日常的に不快を与えている。 
 だが今作は、たとえ仲のいい友人同士の視線の中にも暴力性が潜んでいると描写される点が力強い。同じ制服に身を包んだ女生徒たち、そこに強制的に付与されるものに対して反発する同志ではあるけれど、その友人同士ですら、相手を勝手にカテゴライズしていることが露呈していく。女生徒たちひとりひとりが日常的に加害者でもあり被害者でもある揺らぎを、軽妙な会話の中で浮き上がらせていく台詞の力と構成力が魅力的だった。
 私がこの作品に対して惜しいと思うのは一点だけ。担任サキの造形とその取り扱いについて。サキは同校の卒業生、男性権力者である副校長に逆らえず、教員室では気弱な振る舞いをしながらしたたかさもあり、生徒たちには理解者の顔で微笑む。生徒たちの解像度に比べて、この教師は、女性の宿痾を具現化する際のステレオタイプな造形だと感じた。では2023年の現在、あえてこの造形の登場人物を作中でどう取り扱うか。そこに作者の更なるオリジナリティが発揮される余地があると感じた。
 学校を舞台としても、従来通りの教師と生徒という二項対立の枠組みに留まっていては、この作品が描いてきた、カテゴライズという抑圧からの脱却というテーマを全うできないのではないかと感じる。タイトルは『はやくぜんぶおわってしまえ』と時間のベクトルを内包しており、作中にも女生徒たちと女教師、女たちの現在と未来という時間軸も提示されている。女生徒と女教師、彼女たちが脱却のために打ち破らなくてはならないものは何か、さらに踏み込んでもらいたかった。

■いしざわみなさん『在る愛の夢』
 作者の半自伝的な要素を持つ、妻「ミミ」と夫「木野」の二人芝居。ふたりで暮らした家で、ミミが荷造りをしながら夫との日々を思い出していき、ひとり家を出て行く。二人の関係性のハイライトとなる過去の情景を台詞の力で紡いでいく筆力は疑いようもない。描写される情景の美しさやリアリティは映像のように瞼に焼きつく。そして台詞の中でも繰り返されているが、作者にとって「戯曲を書くという行為」が人生に必要なのだという切実さがひしひしと伝わってきて胸を打つ。
 筆力に敬意を抱きながらも、この作品を賞に推すことができなかったのは、劇構造に疑問を持ってしまったからだった。
 ミミと木野の二人芝居ではあるが、劇中の登場人物は多い。ミミは、アルコール依存症に陥っていく夫との関係性に苦しめられているが、その夫を演じる俳優が、他の登場人物たちもすべて演じるよう戯曲上で指示されている。他の登場人物たちには、ミミの母親・木野の父親・ミミの精神科医など、夫婦を取り巻く様々な位相の人物が配置されているのに、位相のすべてを夫役の俳優が次々と演じることで、結果として夫の実存感も薄まり、ミミひとりを慰撫する作品構造となってしまった。
 これは決して作者の本意ではないだろう。ならば潔い選択が必要だったのではないかと感じる。複数の俳優が出る作品とする、その他の登場人物はすべてカットする、ひとりのための芝居ならいっそ一人芝居とするなど。二人芝居としては、二人の俳優が舞台上で対等であり続けられるよう、複数の役を均等に割り振り、それぞれ演じ分けていく枠組みに変えてもよかった。
 またこの劇世界をより他者へ開くためには、劇中の登場人物たちにも現在の行動次第で未来がどうなるか分からない(と観客に思わせる)余白を残しておく方がいいのではないかと感じた。思い出という既に結果が決まっているシーンだけではなく、たとえば荷造りをしている現在軸に対しても外的要因が与えられ、ミミがこの家を本当に出ていくかどうか彼女自身にさえ分からない状況となれば物語の訴求力もさらに高まっただろう。
 私の選評の方向性自体も、作者の本意とは異なっているかもしれない。ただ、筆力のある作者だからこそ、劇の構造、過去と現在の二つの時間軸の取り扱い、シーンの描写分量を変えるだけで、作品の本意がもっと伝わるようになる余地は確実にあると感じた。

■海路さん『檸檬』
 イントロダクションはポツリポツリと、雨垂れのような音の連なり。セリフの音楽性に誘われて戯曲の世界に入っていく。台詞とされている文字の並びは一見してすんなり読み込めない。音の連なりの中に分け入るよう要請してくる。身を浸していくと、そこには独自の間や音、吐息、また二人の間に生じる、次のモチベーションが呼び覚まされる気配の起こりが書き込まれている。これらの台詞は、演じる人間の皮膚感覚に基づいて成立させられる。つまりそこには、演じる俳優の数だけ、オリジナリティある「声」に出会える可能性を孕んでいる。
 この劇中世界を司る唯一の存在が「井上さん」と名付けられている着想が面白い。人々はまるで隣人かのような気安さで「井上さん」について語るが、同時に「井上さん」は人間に理不尽を強いる。おそらくそこに理由もない。逃れられない運命と呼び替えてもいい状況下で、けれど登場人物たちはただ目の前の相手からの愛だけを求め続けている。
 宗教や戦争など、現在起こっている世界中の諸問題を射程に入れられる劇世界を用意しながらも、作者の眼は、あくまで日常を見ていて、登場人物たちの愚かで切実な、そしてありふれた心だけを取り扱っているというセンスがいい。また登場人物の心理状態が、独白での説明ではなく、必ず相手役との関係性の変化の中で描き出されているという点も高く評価した。
 けれど、望んでしまう。せっかくこの世界観を用意したからこそ、井上さんがいた世界/いなくなったあとの世界/また復活してくるらしい世界、これらの断層が人々にどう作用したのか、そこから台詞の音に混じり出すノイズをもっと聞いてみたかった。
 私たちは過去様々なジャンルの先行作品で「神殺し・貴人殺し」という題材にも多く触れてきている。また創作に限らず、現在の日本、世界中でも「宗教・神・貴人」をめぐる事件を目撃し、もっと上位にあたる地球規模での温度上昇や天候異常も体験している。今作ではそれらは背景に過ぎないけれど、「井上さんがいる世界/いない世界」この断層は舞台装置としては決して小さくはない。この事象に対する距離感や危機感、重要度など、登場人物ひとりひとりにとって異なる肉体反応を描き分けていけば、さらにオリジナリティある「音」が追求できたのではないかと期待してしまう。
 エピローグに再び、イントロダクションと同じ文字の連なりが戻ってくる。その時、声や吐息はおそらく全く変わっているのだろう。俳優が奏でる唯一無二の音を呼び起こす設計図として特化した戯曲は、将来性も含めて、新人戯曲賞にふさわしいと感じた。



鹿目由紀
 
 今年の最終候補6作品、いずれも読み応えのある戯曲でした。それぞれ骨が太く、描きたいものがちゃんと台詞に乗っているものばかりで、面白く拝読しました。一方で、だからこそもう少し細部まで描き切って欲しいと感じた部分もありました。けれどそう欲したくなるくらい筆力のある作品が揃ったのだと思います。
 受賞された海路さん、佳作に選出されたいしざわさん、まことにおめでとうございます。

 『はやくぜんぶおわってしまえ』は、つかわれている「言葉」がいちいち面白かったです。また短い会話でテンポ良く進みながらも、それぞれの抱える重い悩みがそこからしっかり見えてくるのが巧みで一気に読みました。「女子校」だからこその会話、出来事、事件がバランスよくちりばめられていて、群像として上手く成立していました。気になったのは人物の掘り下げです。生徒同士の関係性が少し浅く感じたのは、それぞれの悩みが一般的な域を出ないところに終始したからではないでしょうか。

 『浴室』は、巧みなバランスで描かれている作品だと思いました。前半と後半で受ける印象が変わる登場人物たち。前半で「正論」を言っている耕大には、後半で大きな「偏見」が表れる。前半では「プロレスを好きなのは男子」だったり、プロレス好きな女子は「美人さんじゃないな」というような発言をしていた達朗は、後半で偏見にとらわれない行動を取っていく。このような角度の変え方が見事でした。けれど今回、戯曲の参考図書として実際の目黒区の虐待死事件の本を挙げられていて、そこから着想を得ていますという補足説明をされていたのですが、これを「創作」とするならば、他の類似事件についても調べ、創作の芯を重層的にするべきだったのではないかと感じました。戯曲に出てくる事件のあらましは明らかに目黒の事件と類似しており、フィクションとしての成立が甘いと思います。こどもの虐待についてもっと理解を深め、実際の事件との距離感を保ちながら書くことが、書き手の誠意・決意として必要だと考えます。

 『檸檬』は、まず設定に惹きつけられました。最初のト書きで突然「井上さんのいる世界」と記されたこの世界は、最後まで具体的にどんな世界なのか明かされないまま進むのですが、それがまことに潔く映りました。というか、「檸檬」というタイトルにもかかわらず、檸檬が出てくるのはほんの少しだというのも潔く、全体的にいろんな情報が散りばめられているのに、それを拾い尽くすことなく置きっぱなしで最後まで走り抜けるのが、やり方を間違えれば投げっぱなしになるはずなのに、それが逆に小気味良いと感じてしまう魔力がこの作品にはありました。井上さんが誤ったことにより、口が消えることになってしまった里菜を中心に進んでいく流れはミステリアスで非常に面白かったです。また会話に新しい言葉とリズムがあり魅力的でした。人間関係の構築に目新しさはないのですが、やり取りの組み立ては新しいと感じました。井上さんと口が消えることの連動性について、もう少し理由を描いても良かったのではないかと思いました。意図して色々なことをはっきりさせないようにしているかは分からないのですが、メインのエピソードにおいて一つでも具体的な理由を描くと、より世界観の信憑性が増すと思います。

 『在り処(ありか)』は、あたまから最後まで丁寧に会話が積み上げられた良作品でした。最初から、男が老婆にすんなりと「息子」だと思われているのが良かったですし、ラストが苦味を持って終わるのも良かったです。ただしこの長さですと、老婆の通帳を取ろうとするという「ひとつの流れ」で押すのに限界があります。中盤を過ぎた頃から流れが停滞してしまったように感じました。それでも最後まで男と老婆の間にあるもので描き切り、寄り切ったのが素晴らしいと思いました。

 『在る愛の夢』は、一つ一つの長い台詞に重いパンチを貰うような、心に来る作品で、審査が終わってからあらためて読み直し、ミミの苦しさが切実に伝わる作品だと感じました。2009年の「現在」から始まり、15年間の日々の場面を切り取って思い出していく描写についてですが、一つ一つの年代については夫婦の幸せな時、辛い時が丁寧に描かれているのですが、その場面が展開するごとに、現在の流れにどう影響を与えていくのが途中で分かったほうがいいのではないかと思ったりしました。引っ越しの準備をしている現在のミミとの連動が欲しいなと。それから審査会でも出たのですが、途中で夫のモノローグに切り替わるのがもったいないと感じました。ミミ視点のまま進み、「ミミから見た夫」の姿を思い出す話にしたほうが、夫婦の世界にどっぷり浸かれると感じました。

 『人魚の器官/漂う海馬』は、大きな世界観で描かれていて、またその世界にすぐに入り込むことができました。たいへん面白く読みました。第一部「人魚の器官」では、人魚病を発症したタシがどこに向かっていくのか、という展開がスリリングでテンポ良く、また込み入った設定をユーモアのある会話により優しく紐解き、説得力を増しながら進めていく確かな筆力を感じました。第二部「漂う海馬」は、外見は人間だけど中が空っぽになってしまったタシの変化を主として、これは進化なのかそれとも退化なのか、を問う設定が興味深かったのですが、二部から物語の流れ方がぐっと弱まり、終始同じ内容を伝えられているような感覚を持ちました。二部のほうは戯曲というより小説のようで(それが悪いということではなく)、たとえば第一部と思い切り描き方を変えてみても良かったのではないかな、と思ったりしました。しかしいずれの部も世界観の作り込みが確かでした。



シライケイタ
 
 初めて戯曲賞の審査に関わらせていただきました。率直に申し上げて、レベルの高さに驚きました。新人戯曲賞というからには、もっと新人然とした作品が並んでいるのかと思っていましたが、最終選考に残れなかった中にも素晴らしい作品がいくつもありました。もう一つ驚いたことは、審査員によって評価軸が全く違うということです。誰かが満点をつけていても他の誰かが零点ということもありました。つまり、戯曲の価値を計ることはそれほど難しいことだと言えます。実は過去に一度だけ、私もこの賞に応募したことがあります。一次選考すら通りませんでした。そんな私でも現在劇作家の仕事をしているということが、少しでも皆さんの勇気になれば。
 私の評価軸を記しておきます。芸術行為に対して杓子定規に評価することはできませんが、①から⑤にかけて概ね私が重要だと思う順番ですが、時に⑥が全てを凌駕することがあり得ます。

① 絶対にこれを書くのだという書き手の強い意志を感じるかどうか。
② 描こうとする世界の大きさ。(たとえ身の回りの日常を描いていたとしても)
③ 描こうとする内容の深度。(作者がどれだけ考察を深めているか)
④ 全体の構成。(オリジナリティにチャレンジしているか。)
⑤ 台詞の巧みさ、面白さ。
⑥ 私の心が震えたかどうか。

『はやくぜんぶおわってしまえ』
 総じて台詞がとても面白く魅力的でした。軽快な会話の中に見え隠れする、若者たちの陰や傷を炙り出すことに成功していると思いました。ト書きが分かりづらく、舞台装置や人物の登退場を把握するのに苦労しました。戯曲を、上演台本としてのみ捉えるのではなく、他人が読むということをもう少し意識すると、飛躍的に作品の強度が増すのではないかと思いました。

『浴室』
 厳しい評価もありましたが、私は優れた作品だと思いました。作者の、人間の深淵に迫ろうとする意欲が伝わってきました。義父と夫の造形に、価値観を反転させる構造的な仕掛けが施されており、それが見事に成功していたと思います。未来に仄かな希望を残すラストの余韻も良かったと思いました。シーンをシームレスに運ぶための具体的な場面転換の演出が書き込んでありましたが、演出家の目線で読むと少々窮屈な感じがしました。

『檸檬』
 非常に不思議な魅力を持つ作品でした。井上さんという絶対権力者がすぐ隣にいるという設定が、突拍子のなさと同時に示唆に富んだ絶妙な仕掛けでした。口が消える、口移植すると檸檬の味しか分からなくなる、誤り、死んでも生き返る存在、戦争、徴兵、など興味深いモチーフに溢れていました。しかし最終的に、私にはこれらのモチーフが一つの像を結ぶに至りませんでした。イメージの断片がとても魅力的で優れているだけに、観念がもう少し具体性を持つと、更に説得力が増すのではないかと思いました。受賞には全く異論ありません。おめでとうございます。

『在り処(ありか)』
 泥棒と、泥棒を実の息子だと勘違いした老婆の、切ない疑似親子の物語。高齢化社会における特殊詐欺を想起させる現代性を持った設定だと思いました。その設定が作者の最大の発見であり、面白く一気に読みましたが、その設定が破綻するところまで描ければ更にスリリングな作品になったのではないかと思いました。具体的には、息子を思う老婆の気持ちに触れた泥棒の心が動きかけるところが最大のドラマですので、そのシーンをもう少し早く持ってきてその先を描ければ、更に物語が深まったのではないかと惜しい気持ちがしました。

『在る愛の夢』
 二次選考の23本の中で一番最初に読みましたが、この作品を超えて私の心を揺さぶった作品はありませんでした。この夫婦の関係を共依存と言ってしまえばそれまでですが、他人には理解しがたい壮絶な愛というものがこの世には確かに存在するのだということが強烈に、実感を伴って伝わってきました。過去の記憶の断片が、現在の二人の物語を見事に補強していました。これを書くのだという強い意志が、私には最も伝わってきた作品です。優しさ、苦しみ、絶望、祈り、愛、死、といった人間が人間であるための根源的な概念が、すべて詰め込まれていました。魅力的な台詞も多く、私が最も演出してみたいと思った作品です。佳作、おめでとうございます。

『人魚の器官/漂う海馬』
 人間とは、生命とは、といった大命題に真っ向から立ち向かった力作だと思いました。扱っている物語のスケールの大きさに圧倒されました。次々に繰り出される意外性の連続に、興味が途切れることなく読み進めました。SFにとって最も大切なことは、どれだけ突拍子もない設定でも読み手にはリアリティを感じさせ続けねばならない、というところだと思うのですが、中盤からラストに向けて、描く世界が大きく遠くなるに従い、そのリアリティをジワジワ手放した感覚があり、そこがとても惜しいと思いました。これほどの書き手なら、そのリアリティを保ったまま展開できるのではないか、と思いました。



瀬戸山美咲
 
 今年から最終審査員が二次審査も務めることになった。その結果、荒削りだが興味深い作品と出会うことができた。最終候補には選ばれなかったが、吉田有希さんの『たぬき』の前のめりの不条理さはとても面白く読んだ。最終候補作品では『はやくぜんぶおわってしまえ』と『檸檬』と『在る愛の夢』の3本を推した。最終的には『檸檬』と『在る愛の夢』が受賞にふさわしいと考え、両者とも異なる魅力があるため大変迷ったが、ほかの審査員の皆さんの意見を聞いて、それぞれ大賞と佳作とすることに納得した。

 升味加耀さんの『はやくぜんぶおわってしまえ』は女子校を舞台に、過酷な十代の日常を描いている。現代の日本社会は、女性の体を持って生まれた人間にとって、生きづらい場所である。特に若い世代が生き抜くのは困難を極めるが、その困難さは当事者以外の多くの人には「見えていない」。そんな現実を冷静に見つめ、細やかに慎重に書かれた台詞に深く納得した。ただ、サキちゃん先生が32歳にも関わらず鈍感な人物として書かれているのが気になった。彼女がなぜ、そのような価値観を内面化しているかがもう少し見えたら、社会全体の歪みの理由が鮮明になったかもしれない。

 鈴木穣さんの『浴室』は評価できなかった。モチーフとしている実在の児童虐待事件との距離の取り方に問題があると感じた。実際の人物の名前から文字を取って登場人物の名前を決めたり、一部の地名についてはそのままだったりするなど、明らかに現実の事件をモデルにしているにも関わらず、あくまでも題材のひとつとしてその出来事を使っている。真ん中に置かないなら、フィクションを再構築したほうがいい。また、事実を取り扱うならば、事件が起きた要因のひとつである児童相談所のある場所を別の自治体に変更するなど、変更すべきではない場所を変更しているのも非常に気になった。台詞や人物造形などの筆力はある方なので、自分がどこに立って何のために書いているのかを意識したら、力強いものが書けるのではないかと思う。

 海路さんの『檸檬』はとても意欲的な作品だ。「井上さんのいる世界」「口が消える」「檸檬の味」などアレゴリーが効果的である。「井上さん」からは、現代の世界を覆い、個人の自由を奪い、格差を生み出している、さまざまなものを想い起こした。「口が消える」についても、身体の喪失だけでなく、感覚の喪失、人間関係の喪失など、コロナ禍で感じてきた不安を思い出した。台詞が端的なのもよい。「……好きって言って」「好きだよ」「ごめん」の三言でふたりの関係がはっきりと伝わる。最後まで引っかかった箇所は、同性の友達を好きになって結ばれなかった人物が、登場人物の中で唯一自己犠牲的に命を落とした(と示唆される)部分である。物語の中でこの死が必要だったのだろうかということはずっと考えている。

 相馬杜宇さんの『在り処(ありか)』は好感が持てる作品だった。設定は想定内であるが、ひとつひとつのやりとりにユーモアがあり、情報を開示していくタイミングもうまい。にがいけれどあたたかい、優しい作劇だった。審査会では、長編戯曲としては展開がもうひとつ必要ではないかという意見が多かった。それは私も思った。学生が帰って二人きりに戻ってから、もうひとつ世界の見え方が反転するような展開があってもよかったかもしれない。

 いしざわみなさんの『在る愛の夢』は演劇的なうねりをもっとも感じる作品だった。時間の行き来に必然性を感じた。アルコール依存症のパートナーと暮らすこと、問題を抱えた家族のもとで育つことなど個人的な経験を個人的な視点で書き切っている。作者にとって絶対に書く必要のある作品で、だからこそほかの人を救う可能性がある作品になっていたと思う。ただ、二人芝居としては主人公の妻の書き方と相手役の夫の書き方の深度の差が激しいと思った。夫が妻の中の存在であると読むとある程度納得がいくが、そうすると夫が自己紹介するくだりや、ラスト近くの夫の主観の台詞が説明できなくなる。全体的に妻目線が強いので、夫の言葉に対して「本当にそうなのだろうか?」という疑問が残った。思い切って妻のひとり芝居にするか、夫についてとことん想像して同程度の濃さで描くかどちらかを選ぶと大傑作になるのではと思う。

 河合穂高さんの『人魚の器官/漂う海馬』はその世界観に痺れた。地球上に出現した人間が住めない地域、老化を防ぐ新技術、思考する粘菌からつくられた人工生物。それらのSF的設定のディテールがよくできている。言葉が中心の芝居だが、言葉だけで広い世界が想像できた。ただ、設定の説明に多くの時間が費やされ、人間(生き物)たちのドラマが物足りなかった。最後の1ページでようやく感情が動かされたが、そこで物語は終わってしまった。この世界観を生かした上で、ここから始まる感情の交錯をぜひ読みたいと思う。



平田オリザ
 
 今年は審査方法が大きく変わり、二次審査からすべての戯曲を読むこととなった。結果は想像していた以上に全体にレベルが高く、多くの興味深い作品に出会うことができた。
 最終選考に残らなかった作品でも、個人的には推したいと思った作品もいくつかあった。たとえば小針武史さんの『怒れる妻と11人の男たち』。これは題名の通り『12人の怒れる男』のオマージュなのだが、鎌倉幕府の評定衆に置き換えた発想が秀逸だと感じた。キャラクターの書き分けがもう少し丁寧にできていれば、よりいっそう厚みのある作品になっただろう。あるいは鎌倉幕府末期の評定衆が機能しづらくなっていた背景や、尊氏が鎌倉に迫ってくる緊張感などをさらに詳しく書き込んでいてくれればとも感じた。

 最終選考に残った作品では、海路さんの『檸檬』が圧倒的にすぐれていると思い、この一択で審査会に臨んだ。紆余曲折あったが、この才気あふれる作品が受賞したことを何より喜びたい。
  審査会では、全体を通じて実体験あるいは事実との距離の置き方が問題となった。それは逆に、フィクションとは何かを問うことにもなった。
 特に『在る愛の夢』と『はやくぜんぶおわってしまえ』は、この実体験との距離感という問題について審査員の間でも意見が分かれた。戯曲は書かれたものがすべてだから、それが実体験そのままでも、すべてフィクションでもかまわない。ただ、読み手あるいは観客に、劇作家の実体験のように思わせてしまうこと自体、演劇においては、それがマイナスに作用する場合が多々ある。この二作は、その典型例のように思えた。あまり関心が持てない他者の日記を無理矢理読まされているような感覚とでも言おうか。
 二人とも台詞には力があり、書き手としての才能は疑うべくもない。であるなら、これほど力強い内容を伝えるときに、もっともっと形式ないし技巧に重点を置いて欲しかった。このような作品こそ、内容の強さをむき出しにせず、技巧が表に出すぎるくらいで釣り合いがとれる。またそれができる方たちだと思った。
 一方で、様々な問題点はあっても、いしざわさんの『在る愛の夢』が魅力的な作品であることは間違いなく、これを佳作とすることに異論はなかった。さらに次々と作品を書いていただきたいと思う。

 『浴室』は実際にあった幼児虐待事件を題材にしており、その事件との距離感が、やはり問題となった。ただ実際の出来事があまりに悲惨なものだっただけに、そこと距離を置くことはきわめて難しいのだろうと感じた。登場人物一人ひとりの心の有り様の変移を、もっときめ細かく書き込む以外に、おそらく方法はない。たとえば主人公のパートナーの男性の描き方などが深みに欠け、主人公の心の揺れを映し出すのを逆に妨げていたのではないか。
 『在り処(ありか)』はテンポのいい会話で構成されており楽しく読んだ。ただ、登場人物が3人しかおらず、その3人で物語を維持するのには、中盤以降にもうひとネタ必要なのだろうと感じた。学生という3番目の登場人物が、さほど強いインパクトになっておらず、ここが惜しい点だった。あるいはもう一人、もっと老婆に近い側の登場人物を増やすという選択肢もあったのではないか。
 『人魚の器官/漂う海馬』は二部構成のたいへんな力作だった。ただ、主人公である夫が、パートナー(タシ)の過去についてほとんど知らない点がまず気になった。そのために、特に第二部で台詞が説明的にならざるを得ない展開になっている。
 もともとが、きわめて想像しづらい近未来の世界を克明に描こうとするために、多くの解説が費やされ、それがどこか物語の進行のための都合のいい設定にも感じられ、舞台の進行を邪魔している。思い切って、この近未来の世界を自明のものとするか、あるいはもっと登場人物の持つ情報量に差をつけて、説明的な台詞を回避する工夫を凝らさなければ演劇にする意味が希薄になってしまうのではないか。

 『檸檬』はその点、やはり近未来と思われる世界を描きながら、その説明を不親切なまでに極力省き、それでもグロテスクな世界観の提示に成功しているところに大きな価値がある。
 あらゆるエピソードが、現代社会に対する何かのメッセージやメタファーのように見えながら、しかしそのような読み取り自体を無粋と感じさせるほどに展開が早く、また心地よい。
 一つ一つのエピソードの暴力性は危ういところもあるが、おそらく作者は、その危うさにも自覚的で、ギリギリのところを狙って書いているように思った。
 圧倒的なフィクションの世界を、リアルで細かな台詞で紡いでいく手法は演劇の王道であり、新しい才能が、その王道を堂々と歩んでいることを頼もしく思った。


 


<上・審査会の模様>
左上から:関根信一(司会)、鹿目由紀、瀬戸山美咲、
平田オリザ、長田育恵、シライケイタ

[後援]
公益財団法人 一ツ橋綜合財団

[助成]
第29回 劇作家協会新人戯曲賞は、一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)の共通目的基金の助成を受けて運営されています。