九条やめたら運が逃げますよ
自由な言葉が減っていく
ものが言えないマスメディアの仕組み
永井 沢田さんがいろんな発言をなさるってこと、ネットでは見られる。だけどメディアは、あんまり積極的に報道したくない。坂本龍一さんも、ミュージシャンとしての活動はニュースになっても、核や原発についての発言はあまり報道されない。報道規制って言ったらおかしいけど、何となくやっぱりあるような。
マキノ 自主規制みたいな。
永井 金曜の反原発デモね、いつまで経っても新聞に載りませんでしたよね。ようやくある時から載るようになったけど。そういう中で、沢田さんが今後も発言を続けていくのは、やっぱり覚悟がいるんだろうなと。
沢田 たとえば小学校の運動会のプログラム作るのに、近所の文房具屋とかの広告をもらいますよね、広告もらわないと作れないから。でも、本当はそんなんせんでも、生徒たちからちょっとずつお金を集めて作れば、何の苦労もないわけです。それが基本形なのに、世間では宣伝というものを利用して、自分でお金を出さないでモノを作る。
マスコミもそうなんですよね。自費でやってる会社なんてどこにもない。お金もらって宣伝を載せる以上、自由にものは言えない。今、特に東電がコマーシャルできないから、他のところからお金を捻出しようと大変なんだと思うんですよ。テレビ局はもちろんそうだろうし、新聞だってそうだし。あれだけいろんな宣伝を載せることで成り立ってるっていうのはね、もう公平さはないでしょって僕は思ってるんですよ。僕なんかはスポンサーいるわけじゃないから、こんなふうに自由にもの言ってますけど。
マキノ マスメディアの仕組みが、今はもう全部そうなってるんですもんね。それが改まらない限りは、報道できないことってきっと多いんでしょうね。まあ、演劇の場合もスポンサーなんてのはほとんどないし、皆、手弁当でやってるようなとこだから、比較的自由がきくけど。
沢田 新聞も週刊誌も、購買数が増えないといけないという大命題があるから。今はテレビのニュースさえも視聴率っていう。みんな同じに、人が食いつきやすい派手な殺人事件とかが一面になったりして。だからもう、視聴率も購買数も増えなくていいんだと。
マキノ 全国紙なんていって、こんなに部数が巨大なのって日本ぐらいなんでしょ。ニューヨークタイムスとかワシントンポストも、基本は地方新聞ですもんね。東京新聞みたいなもの。
永井 地方紙の方がずっとまともなこと言ってる。
マキノ この間何かで読んだんですけど、新聞って満州事変以降に統合されたんだよね、政府の命令で。新聞ってそもそもは対抗する代議士のそれぞれの言い分を載せるものだったから、必ず地方ごとにもっと細かく、最低でも二つ以上あったんだって。それを、これからは「こことここは一つにせえ!」っていうふうに一県一紙制みたいにして、全国規模で統合して今みたいになってる。要は、それだけ言論の幅みたいなものを少なくしちゃった時期がある。
だからもう一度、元のような規模に解体してさ。もう無理して巨大な部数を売ろうとせずに、小さいメディアになって、でもどれでも読めるよっていう状態になっていくのが健全だと思うんだけどな。もっと言うと、大きな報道機関も別にNHKだけありゃいいじゃんって思う。NHKはいちおう公正中立でやるのが建前ですから、もうそれでよくて、それ以外はもっと小さいものでいいような気がするなあ。
話し合いを否定する学校?
マキノ 日本史の授業って、僕らのときだってだいたい敗戦までで終わりだったじゃないですか。
永井 習いませんでしたよね。時間がなくなったって言ってるけど、嘘だよね、きっと。
マキノ 大嘘ですよ。文部省のせいなのか日教組のせいなのか知らないですけど、でも意図的に教えてこなかった。そもそも学校で国の歴史をちゃんと教えられないっていう、大まやかしがあるんだよね。
永井 近代史を教えないってことは、日本がどういう形で戦争を始めたか教えないってことだよね。
マキノ そうですね。それに何より、今の世の中や社会がどうしてこうなってるのかという基本的なことを、歴史とのつながりで教えないってことだから。
永井 それはそれでやっぱりナショナリズムに行きやすいんですよ、わかりやすいから。
マキノ いわゆる日教組的な戦後民主主義みたいなものは、もう破れてきちゃってるじゃないですか、その幻想みたいなものが。本当は世界の情勢とか、もっとややこしい要素で成り立ってるわけだよね。だから一人称で語るとそりゃどっちかが悪くてどっちかがいいってなるけど、でもそんな単純なことじゃなくて、どこの国もいいとこもあれば悪いとこもあった。その時どうするのが良かったのかっていう知恵を、教えるとか考えるとかいうようなことは、学校の授業ではできてないじゃない。
永井 学校自体が、話し合いを否定する方向に行っちゃってるんだよね。
体罰は話す土台を壊すこと
永井 本当に日本の学校、逆戻りしてないかなって思うの。この間、プロンプターをやってくれた男の子が、まだ二十いくつなんですけど、「僕は高校時代、野球部でコーチ(保健体育の教師)から、卒業までに2500発以上殴られてます」って言うの。いろいろ聞いてみると、そのコーチの暴力やセクハラ、周囲の見て見ぬ振りの実態があまりにすごい。そういう暴力的な支配が普通に学校で起きている中で、いくら「九条を守ろう」とかって言っても、その基礎となる基本的人権についての理解というか、話の通じる土台が、何か壊れてないかって思っちゃったのね。
マキノ やっぱり学校からおかしいんですかね。
永井 学校でものを言ったら殴られるだとか、本当はこう思ってるけど、こういう考えを表明しちゃいけないとか、ずーっとそういう刷り込みで暮らしてきたら、突然そこで「九条を守ろう」とか思えなくない?
沢田 まあ、そうですよね。
マキノ でも体罰に関してはなくなっていきますよ。あんだけ言われたから。柔道連盟なんかでも、言われてボロボロ出てきてってことになると、たぶんなくなってくんじゃないですかねえ。
永井 学校時代、体罰ってありました? 学校の先生からとか、経験してます?
沢田 まずなかった。
永井 私もなかった。でもね、あなたが知らないだけであったはずだって言われたのね。スポーツのクラブに入ってなかったからだろうって。そうですかねえ? 今の方がすごくない?
沢田 いやあ、確かに拳骨とかはなかったけど、だいたい野球部なんかだと、三年生が、夏の大会が最後になるからってんでピリピリしてたんですよね。ちょっとでもミスすると、殴られはしないけど「グラウンド回って来い!」って言われる。それも体罰っていえば体罰ですよね。
永井 殴られなかったですか?
沢田 うん。
マキノ ケツバットとかなかったですか?
沢田 なかったですね。どっちかっていうと、教室で先生の話を聞いてない奴なんかを並ばして、自分がやってましたけどね。「おまえら、ちゃんと聞け!」って。
永井 え? 沢田さんが?
沢田 はい。隣のクラスに生意気な奴がいるって言われたら、「じゃ、俺が行ってくるわ」って、有無を言わさずバチーンと殴って帰ってくるみたいな、そんなことはしてましたけどね。
マキノ 武闘派や(笑)。
永井 先生がやるってことはなかった?
沢田 先生はね、いい先生が多かったですよ、僕らの時代は。だから不良グループと先生がものすごく仲がいいんですよ。
永井 そうそう。私たちの時代はむしろ、戦争が終わったあとの、これからは民主的な学校にしなければっていう意識がまだ先生にあったんですよ。それが、どっかから切り替わったんだと思うの。調べたわけじゃないけど、最近の先生の方が体罰をしてるんじゃないかって気が、漠然としてる。
マキノ ああ、そうかもなあ。もしかしたらなあ。
沢田 いじめとかもそんななかったですよ。
永井 そうなの! 学校で口をきかない子もいたりしたけど、そういう子は家に行ってみたら、小っちゃい子を集めて威張っていたりして、今みたいに逃げ場がなくて、自殺に追い込まれるってことはなかったような。
マキノ う~ん、そうかあ。僕は自分が知らないだけで、あったのかもしれんとは思うけどなあ。
永井 私のクラスには登校拒否の子もいなかった。学年でみればいたかもしれないけど、今みたいな比率ではいなかった。
マキノ でもさ、ある一定の量で、たとえば鬱みたいになっちゃってね、学校来なくなっちゃう子とかはいたな。あと体罰でいえば、僕の時はまあまあ、あるのはありましたね。あんまり陰湿なものではなかったけれど。
永井 私は、学校ってところが昔よりも非常に息苦しいものになっているんじゃないかと、ちょっと心配。そういう中で、逆にちゃんと問題意識を持ってくれる子が育てばいいけど。
マキノ でも僕ね、学校そんなに好きじゃなかったんですよ。やっぱ学校にいると、なんかこう、シュンとしてたな、結構。
永井 マキノさんは一応、自由な精神がスポイルされないでここまで大人になったからいいなと思うんだけど、今の子たちどうなんだろう。大丈夫なんですかねえ。
マキノ もちろん、大変だし、酷い状況もあるんやろうけど、全部が全部とはあんまり僕は思ってない。ある割合では、もちろんそりゃ鬱になる子もいるだろうし、陰湿ないじめっていうのも確かにあると思うんだけど、ただ、それがあまりに蔓延してて、ということではないようにと……まあ、そう思いたいけどね。
永井 いや、私もそう思いたい。余計な心配して余計な恐怖を持ちたくない、と思いつつ。
ものが言えないマスメディアの仕組み
永井 沢田さんがいろんな発言をなさるってこと、ネットでは見られる。だけどメディアは、あんまり積極的に報道したくない。坂本龍一さんも、ミュージシャンとしての活動はニュースになっても、核や原発についての発言はあまり報道されない。報道規制って言ったらおかしいけど、何となくやっぱりあるような。
マキノ 自主規制みたいな。
永井 金曜の反原発デモね、いつまで経っても新聞に載りませんでしたよね。ようやくある時から載るようになったけど。そういう中で、沢田さんが今後も発言を続けていくのは、やっぱり覚悟がいるんだろうなと。
沢田 たとえば小学校の運動会のプログラム作るのに、近所の文房具屋とかの広告をもらいますよね、広告もらわないと作れないから。でも、本当はそんなんせんでも、生徒たちからちょっとずつお金を集めて作れば、何の苦労もないわけです。それが基本形なのに、世間では宣伝というものを利用して、自分でお金を出さないでモノを作る。
マスコミもそうなんですよね。自費でやってる会社なんてどこにもない。お金もらって宣伝を載せる以上、自由にものは言えない。今、特に東電がコマーシャルできないから、他のところからお金を捻出しようと大変なんだと思うんですよ。テレビ局はもちろんそうだろうし、新聞だってそうだし。あれだけいろんな宣伝を載せることで成り立ってるっていうのはね、もう公平さはないでしょって僕は思ってるんですよ。僕なんかはスポンサーいるわけじゃないから、こんなふうに自由にもの言ってますけど。
マキノ マスメディアの仕組みが、今はもう全部そうなってるんですもんね。それが改まらない限りは、報道できないことってきっと多いんでしょうね。まあ、演劇の場合もスポンサーなんてのはほとんどないし、皆、手弁当でやってるようなとこだから、比較的自由がきくけど。
沢田 新聞も週刊誌も、購買数が増えないといけないという大命題があるから。今はテレビのニュースさえも視聴率っていう。みんな同じに、人が食いつきやすい派手な殺人事件とかが一面になったりして。だからもう、視聴率も購買数も増えなくていいんだと。
マキノ 全国紙なんていって、こんなに部数が巨大なのって日本ぐらいなんでしょ。ニューヨークタイムスとかワシントンポストも、基本は地方新聞ですもんね。東京新聞みたいなもの。
永井 地方紙の方がずっとまともなこと言ってる。
マキノ この間何かで読んだんですけど、新聞って満州事変以降に統合されたんだよね、政府の命令で。新聞ってそもそもは対抗する代議士のそれぞれの言い分を載せるものだったから、必ず地方ごとにもっと細かく、最低でも二つ以上あったんだって。それを、これからは「こことここは一つにせえ!」っていうふうに一県一紙制みたいにして、全国規模で統合して今みたいになってる。要は、それだけ言論の幅みたいなものを少なくしちゃった時期がある。
だからもう一度、元のような規模に解体してさ。もう無理して巨大な部数を売ろうとせずに、小さいメディアになって、でもどれでも読めるよっていう状態になっていくのが健全だと思うんだけどな。もっと言うと、大きな報道機関も別にNHKだけありゃいいじゃんって思う。NHKはいちおう公正中立でやるのが建前ですから、もうそれでよくて、それ以外はもっと小さいものでいいような気がするなあ。
話し合いを否定する学校?
マキノ 日本史の授業って、僕らのときだってだいたい敗戦までで終わりだったじゃないですか。
永井 習いませんでしたよね。時間がなくなったって言ってるけど、嘘だよね、きっと。
マキノ 大嘘ですよ。文部省のせいなのか日教組のせいなのか知らないですけど、でも意図的に教えてこなかった。そもそも学校で国の歴史をちゃんと教えられないっていう、大まやかしがあるんだよね。
永井 近代史を教えないってことは、日本がどういう形で戦争を始めたか教えないってことだよね。
マキノ そうですね。それに何より、今の世の中や社会がどうしてこうなってるのかという基本的なことを、歴史とのつながりで教えないってことだから。
永井 それはそれでやっぱりナショナリズムに行きやすいんですよ、わかりやすいから。
マキノ いわゆる日教組的な戦後民主主義みたいなものは、もう破れてきちゃってるじゃないですか、その幻想みたいなものが。本当は世界の情勢とか、もっとややこしい要素で成り立ってるわけだよね。だから一人称で語るとそりゃどっちかが悪くてどっちかがいいってなるけど、でもそんな単純なことじゃなくて、どこの国もいいとこもあれば悪いとこもあった。その時どうするのが良かったのかっていう知恵を、教えるとか考えるとかいうようなことは、学校の授業ではできてないじゃない。
永井 学校自体が、話し合いを否定する方向に行っちゃってるんだよね。
体罰は話す土台を壊すこと
永井 本当に日本の学校、逆戻りしてないかなって思うの。この間、プロンプターをやってくれた男の子が、まだ二十いくつなんですけど、「僕は高校時代、野球部でコーチ(保健体育の教師)から、卒業までに2500発以上殴られてます」って言うの。いろいろ聞いてみると、そのコーチの暴力やセクハラ、周囲の見て見ぬ振りの実態があまりにすごい。そういう暴力的な支配が普通に学校で起きている中で、いくら「九条を守ろう」とかって言っても、その基礎となる基本的人権についての理解というか、話の通じる土台が、何か壊れてないかって思っちゃったのね。
マキノ やっぱり学校からおかしいんですかね。
永井 学校でものを言ったら殴られるだとか、本当はこう思ってるけど、こういう考えを表明しちゃいけないとか、ずーっとそういう刷り込みで暮らしてきたら、突然そこで「九条を守ろう」とか思えなくない?
沢田 まあ、そうですよね。
マキノ でも体罰に関してはなくなっていきますよ。あんだけ言われたから。柔道連盟なんかでも、言われてボロボロ出てきてってことになると、たぶんなくなってくんじゃないですかねえ。
永井 学校時代、体罰ってありました? 学校の先生からとか、経験してます?
沢田 まずなかった。
永井 私もなかった。でもね、あなたが知らないだけであったはずだって言われたのね。スポーツのクラブに入ってなかったからだろうって。そうですかねえ? 今の方がすごくない?
沢田 いやあ、確かに拳骨とかはなかったけど、だいたい野球部なんかだと、三年生が、夏の大会が最後になるからってんでピリピリしてたんですよね。ちょっとでもミスすると、殴られはしないけど「グラウンド回って来い!」って言われる。それも体罰っていえば体罰ですよね。
永井 殴られなかったですか?
沢田 うん。
マキノ ケツバットとかなかったですか?
沢田 なかったですね。どっちかっていうと、教室で先生の話を聞いてない奴なんかを並ばして、自分がやってましたけどね。「おまえら、ちゃんと聞け!」って。
永井 え? 沢田さんが?
沢田 はい。隣のクラスに生意気な奴がいるって言われたら、「じゃ、俺が行ってくるわ」って、有無を言わさずバチーンと殴って帰ってくるみたいな、そんなことはしてましたけどね。
マキノ 武闘派や(笑)。
永井 先生がやるってことはなかった?
沢田 先生はね、いい先生が多かったですよ、僕らの時代は。だから不良グループと先生がものすごく仲がいいんですよ。
永井 そうそう。私たちの時代はむしろ、戦争が終わったあとの、これからは民主的な学校にしなければっていう意識がまだ先生にあったんですよ。それが、どっかから切り替わったんだと思うの。調べたわけじゃないけど、最近の先生の方が体罰をしてるんじゃないかって気が、漠然としてる。
マキノ ああ、そうかもなあ。もしかしたらなあ。
沢田 いじめとかもそんななかったですよ。
永井 そうなの! 学校で口をきかない子もいたりしたけど、そういう子は家に行ってみたら、小っちゃい子を集めて威張っていたりして、今みたいに逃げ場がなくて、自殺に追い込まれるってことはなかったような。
マキノ う~ん、そうかあ。僕は自分が知らないだけで、あったのかもしれんとは思うけどなあ。
永井 私のクラスには登校拒否の子もいなかった。学年でみればいたかもしれないけど、今みたいな比率ではいなかった。
マキノ でもさ、ある一定の量で、たとえば鬱みたいになっちゃってね、学校来なくなっちゃう子とかはいたな。あと体罰でいえば、僕の時はまあまあ、あるのはありましたね。あんまり陰湿なものではなかったけれど。
永井 私は、学校ってところが昔よりも非常に息苦しいものになっているんじゃないかと、ちょっと心配。そういう中で、逆にちゃんと問題意識を持ってくれる子が育てばいいけど。
マキノ でも僕ね、学校そんなに好きじゃなかったんですよ。やっぱ学校にいると、なんかこう、シュンとしてたな、結構。
永井 マキノさんは一応、自由な精神がスポイルされないでここまで大人になったからいいなと思うんだけど、今の子たちどうなんだろう。大丈夫なんですかねえ。
マキノ もちろん、大変だし、酷い状況もあるんやろうけど、全部が全部とはあんまり僕は思ってない。ある割合では、もちろんそりゃ鬱になる子もいるだろうし、陰湿ないじめっていうのも確かにあると思うんだけど、ただ、それがあまりに蔓延してて、ということではないようにと……まあ、そう思いたいけどね。
永井 いや、私もそう思いたい。余計な心配して余計な恐怖を持ちたくない、と思いつつ。
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