九条やめらたら運が逃げますよ   
メッセージ・ソングス

ジュリー、護憲を歌う
Imageマキノ 沢田さんの楽曲に、『我が窮状』[註1] という詩があって、曲そのものはとても優しい、美しいバラードなんですけど、歌われている内容が、「憲法九条を護り抜こう」というような硬派なメッセージ・ソングで。そのあたりからお話させていただければと思うんですが。これたしか、08年……5年くらい前のリリースでしたか。
沢田  ちょうどね、(首相が)福田(康夫)さんの頃ですよ。安倍さんが辞めた後の福田さんが、いっさい改憲を言わなくなって。
永井  あ、そうでしたね。安倍さんが戦後レジームからの脱却を掲げて、改憲の際の国民投票法っていうのを作っちゃって、いよいよって思ったら、急にお腹が痛くなって辞めちゃって。だから危機が一瞬去った感があったけど。
沢田  それで僕、「チャンス!」と思って。皆が言うてる時に言うと便乗って思われるから(笑)。だんだん年喰ってきて、思ってることは言わないとって思うんだけど、僕らがやれる方法っていったらやっぱり歌だから。知り合いからは「おまえ、本気かよ」とか言われたりするんですけどね。ギタリストの石間(秀機)さんには「何だよ、今度はおまえ、憲法かよ」とか言われて(笑)。
マキノ 僕個人は、それこそタイガースにもプロテストソングのような歌はあったので、あまり抵抗なくそういう系譜なのかなと思ったんですけど。ただ、皆があんまり言わなくなった時期にっていうのが、すごく沢田さんらしいなと。
沢田  「九条」に引っ掛けて「窮状」……まあ、わかる人には絶対わかると思って(笑)。
マキノ ちょうど例の、沢田さん還暦のツアーの年でしたから、NHKの「SONGS」でもお歌いになってらっしゃいましたし。
沢田  よく歌わしてくれたと思うんだけどね。
マキノ やっぱり「窮状」になってるから?
沢田  そうですね。そんな計算してたわけじゃないんだけど、うまいこといってる(笑)。
マキノ ツアー最後の、80曲のドーム・コンサートの時にも、わりとハイライトというか。
沢田  大コーラス入れてね。
マキノ 1000人のコーラス隊と一緒に歌われた。とにかく、すごく大切に歌われてるなという印象でした。あの、これって大野(克夫)さんの曲が先にあったんですか?
沢田  うん、曲が先にあった。
マキノ 曲が先で、その後で沢田さんが詞をつけられた。
沢田  そう。
マキノ 大野さんはビックリされたでしょうね。
沢田  うん。大野さん、難しいことがたぶん嫌いなタイプ、楽しいこと大好きな人なんで。ただ、やっぱり大野さんの曲がああいう(穏やかで美しい)曲だったからできたかなあって思うんですね。曲を聴いた時に、あ、これは「九条」の歌にして、曲順なんかもわざと九番目にして。わかる人にはわかるようにこっそりやろうっていう(笑)。で、安倍さんの時には「今じゃない、今じゃない」って思ってて、もっと静かになった時にやろうって考えてました。
永井  私は昭和26年生まれで、沢田さんよりちょっと年下なんですけど、いつだって九条は危機だって言われてきましたよね。だけど、自民党もさすがにそこには手をつけられないでいて。沢田さんがタイガースで歌ってらした頃は、アイドルだから絶対そんなこと言えないと思うけれど、ご自身として、政治的なメッセージを発信したい気持ちは、おありになった?
沢田  うーん、その頃はあんまり考えてなかったですね。めちゃくちゃ忙しくて考える暇もなかったから。安保で同い年の人間が角棒持ってどっかに集まってた頃、僕らはテレビの世界だけでチャラチャラやってたわけで。まあ似合わんし、ようわからんしって、考えないようにしてたのもありますよね。その頃には選挙なんか行かなかったし。
 で、それじゃ何で行くようになったかっていうと、自分で納得したいって思ったわけですよ。何でこの人に投票するのかとかね、だんだん考えるようになって。最初は(改憲反対の)新聞広告に名前を出した。とりあえずそれだけで、一緒にデモとかそういうのはできませんと。でもやっぱりもう、はっきりするところははっきりしとかないと。もうそう(護憲派だと)思われていいですと。
 大きな会社にいて「おまえ、それはやめとけ」と言われれば、まあやめるしかなくなってくるでしょうけど、でも今はもう個人の事務所なんで自由にできる。そのためにテレビに出られなくなってもいいと思ってるし、コマーシャルやりたいわけでもないんで。
 今回タイガースをやるんでも、どこかで影響がないわけないと思ってて、でもそれはそれで誠実に、ちゃんと大丈夫なようにやればいいだけの話で。昔は似合わなかったんだけど、四十何年経ったら、(タイガースの中で)一人だけそういうことを言う奴がいてもいいかとね。
マキノ 僕は全然違和感はないんですけどね。メッセージソングみたいなものは、昔から折にふれて歌ってらしたし、あと何といってもやっぱりロックだったので。ある時代、特に70年代の前半ぐらいまでは、愛とか平和とかってロックの大前提だったわけだから。『我が窮状』は、沢田さんの思う壺かもしれないですけど、やっぱりタイミングがよかったので、ちょっとドキっとしたし。
沢田  いひひひ。
永井  日本はアーティストの政治的発言をすごく嫌いますよね。コマーシャルや事務所の問題もあって、自主規制するじゃないですか。だから、沢田さんがどれだけの決意で発言したかが感じられて、凄いインパクトだったと思いますよね。
マキノ 僕のような、はっきり表明しないでいた人間は、あれでだいぶ勇気をいただきましたね。ちょっとこう、背筋が伸びるというか。沢田さんが旗持ってくれたんで、「ハイ、じゃ後ろから付いて行きます!」みたいな(笑)。僕らの世代ではそういう人、多いと思うな。


肌感覚で寄り添う

永井  お二人はそもそも、最初はどういう出会いだったんですか?
沢田  僕がね、あんまりよく知らないのに演出をお願いしたんですよ、自分たちのところでやってる音楽劇の。以前に新聞で写真見た限りでは、僕より年配の方だと思ってた、申し訳ないんですけど(笑)。
マキノ 老けてますから(笑)。
沢田  その前に久世光彦さんと組んで何年かやってたんですが、久世さん、「もう俺も辞めるぞ」って言ってたら本当に亡くなってしまって。それでダメもとで (マキノさんに) 聞いてもらったら受けてくださったんです。
永井  じゃ、沢田さんがマキノさんの存在を知って、オファーをして? マキノさん、すごいびっくりしたでしょ?!
マキノ いや、びっくりしました。びっくりしましたけど、「すべてのスケジュールを動かして是非受けろ!」って言って。
永井  それが何年ですか?
マキノ 2005年ぐらいだったかな。それからわりと毎年恒例で、本数で言えば6作か7作。再演ものがあったりしたので、ご一緒しなかった年は一年だけですね。
永井  じゃあ『我が窮状』が発表されたときには、もうお付き合いもあったわけですよね。あ、あの3・11のときも。
沢田  僕らはちょうど芝居やってたから。
永井  え、その時?
マキノ はい。本番中だったんですよ。
沢田  (栃木県)佐野でね、もう(揺れが)止まるだろうと思いながら、皆で目配せして「どうすんの、これ?」って。それがだんだん「もうこれはあかん!」ってなってね。上から埃も含めてね、色んなもんが落ちてくるんですよ。
永井  沢田さん、舞台ちょうど出てらしたの?
沢田  はい。ちょうど出てて、(舞台装置の)カウンターで煙草吸ってるときで、「ヤバイな、これ。この火をどこで消すか考えとかなあかん」て。本当は目の前に灰皿があったんですよ。中にちゃんとティッシュに水含ませて置いてあって、そこで消せば一番早かったのに、もう頭の中では「これを、これを、どこか安全な場所で消さなあかん!」。 で、煙草持ったまま楽屋の裏まで行って消して。今思うと「あれ?」ってことしてたんですけど。
マキノ 初日あけて次の日の昼公演だったんですよね。演助(演出助手)と僕は後ろの客席で見てたわけですよ。収まればそのまま続けられるなと思ってたんだけど、いやさすがにもう止めた方がいいってなって、演助の人が客席を走ったんですよ。それが引き金になってお客さんがわあーって一斉に立って。「誰か逃げた!」って思ったんでしょうね。
永井  わわわ。
マキノ 公演は中止になったんだけど、その日は佐野市の半分が停電でホテルも真っ暗、テレビもないんで情報源はラジオだけ。だから当日は、よもやそんな酷いことになってるとは思わなかった。
沢田  次の日の公演も中止になって。そのあとの仙台公演ももちろん中止になって。だけど他のところはね、続けましょうってなった。僕も「日本中がそんな沈んでてもしょうがないでしょう」と。そしたら、(次の公演地の)名古屋はもう温度が違うっていうか、「がんばろう日本」の垂れ幕はあるんだけど、なんか遠い感じだった。博多に行ったらもう本当に他所ごとって感じで。
マキノ それから1年経って沢田さんがお出しになったアルバム(2012年3月11日発売『3月8日の雲』)と、さらに1年経ってのアルバム(2013年3月11日発売の『PRAY』)。2枚とも4曲づつ入ったミニアルバムなんですけど、これもう、僕はあきらかに名盤だと思ってまして。
永井  うん、名盤です! 言葉も素晴らしいですよね。
マキノ それも何というか、震災関連の歌なんかがちょっと少なくなってきた時期のリリースで。
沢田  いや、元気な人は行動が早いでしょ。一ヶ月も経たないうちに、「リスタート!」っ言って曲出した人もいるし。でもそんなに早くね、やり直せないでしょ。コマーシャルでも『上を向いて歩こう』をいろんな人が歌って。で、俺んとこには来いへんのね(笑)。永ちゃんには行くのに、なんで俺には来ないのって思うわけ(笑)。
永井  そういうことあるんですか。
沢田  たまたまでしょうけど(笑)。でもたぶん僕は、その時に『上を向いて歩こう』を歌うのは、受けなかったと思う。ちょっと早過ぎるって思った。みんな頭良すぎ、頭で考え過ぎやって。炊き出しに行くのも大変だろうけど、でも一方ではさ、迷惑なわけじゃないですか。もうこの大変な時にね、大変なことを大変だと受け止めたい時にジャカジャカ来られると。「炊き出しに来てくれたんなら、そりゃ行かな悪いわなあ」って感じる人もいると思う。そういうふうに、何ていうの、こう、肌感覚で感じるんですけど。
マキノ 1年後の『3月8日の雲』を聴いた時に、ひじょうにその……何ていうんだろう、こう、自分の中の何かが浄化されるっていう感覚があったんです。基本はやっぱり悲しいんです。そういう悲しみとか怒りとか、まだ感情が全然まとまらないっていう感覚、たとえば現地の人もきっとそういう方々が多いんじゃないかと思うんだけど、その気持ちに寄り添うような歌だったんですよ。元気を出そうっていう歌ではなかった。たとえば、この海はもう普通に戻ったけれども、でもあの日、自分たちからすべてを奪って行った海だ、だけどこの海を恨めない、みたいな歌とか。戸惑いとか、苦しみとか、そこにこう寄り添う感じだった。2年後の『PRAY』も同様で、僕は両方ともロックミュージックの名盤だと思ってます。沢田さんの書かれた歌詞も、歌唱も、すべてが素晴らしい。
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『3月8日の雲』(2012)    『PRAY』(2013)

永井  『我が窮状』もたくさん素敵な言葉があって、「この窮状、救えるのは静かに通る言葉」っていうところに、沢田さんの意思を感じる。本当は怒ってるし呆れてるけど、突きつけないじゃないですか、「おまえは間違ってる!」みたいに。そこが、何の問題意識の無い人をも包み込みつつ、考えさせるなって。「静かに通る言葉」って難しいよ。怒っちゃいますよ、普通。
沢田  喧嘩すると僕、すっごい声出しますから(笑)。いつも反省してるんです。
マキノ 『Fridays Voice』っていう今年の歌もそういう感じですよね。決して声高にっていうのではなく、静かに集う力強さというか。
沢田  規模は小っちゃくなってるんですけど、全国でやってるらしいですね、金曜日になると。
マキノ 金曜日の集会。
沢田  脱原発の。それを携帯で見たら国会前だけじゃなくて、うわ~ってたくさんあるんですよ。
永井  新聞は報道しませんよね。
沢田  少しでも何か力になれたらって思ってね。それこそ『我が窮状』の時も、横浜のバーで時々会う若いお客さんが、「今、京都で歌って来ました」って言うんですよ。「え、何をですか?」「窮状を」「え?」って。「どういう集まりなんですか?」「いや、コーラスなんですけどね」って。そういうところでも歌ってくれたりするんだよね。
マキノ 『我が窮状』をですか。
沢田  うん。何か混声コーラスの大会があって、そこで。自発的にそういうふうにやってもらえるのは、すごく嬉しい。
 


註1『我が窮状』
2008年5月25日リリースの沢田研二氏のアルバム『ROCK’N ROLL MARCH』の9曲目に収録。作詞は沢田氏本人、作曲は大野克夫氏、編曲は白井良明氏。同年のコンサートツアーでも9曲目に歌われた。
 
『我が窮状』
麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ
 
麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう
我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない
 
この窮状 救えるのは静かに通る言葉
我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう

Index   誰がなぜ憲法を変えようとするのか

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