少しでも隙間を作っていく──表現者の想像力   
表現者の役目


「正しいことは、言えば通じる」?

永井 それこそ、またリベラル勢力の反省っていったらおかしいですけど、リベラル勢力は、ひょっとしたら、自分たちは先進国だっていう考え方にはまってしまって、「正しいことは、言えば通じる」と信じ過ぎちゃったんじゃないでしょうか。『歌わせたい男たち』っていう芝居を上演したときに、「じゃあどんな歌を国歌にすればいいんですか?」って聞く人がけっこういて、「どんな歌が国歌になっても、学校で強制しちゃったらいけないと思いますよ」って答えたんですけど。
 
赤川 (笑い)そうだよね。強制の方が問題あるよね。
 
永井 それでも、「君が代以外の歌ならいいんですか?」って聞いてくる。「そういう話じゃなくて、思想・良心の自由ってものが憲法で保障されているのに、無理やり歌わせて、歌わない人を処分するってヘンじゃないですか?」って言っても、通じない人が多いんですよ。「えっ、だって公務員じゃないですか!」って。「公務員が国歌を歌うのは当たり前だ」っていう考えの方が、「思想・良心の自由は基本的な人権だ」って考えよりずっと強くて、うまく説得できなかったんです。この芝居は鈴木邦男さんも観に来て、褒めてくださったんですけど、やはり、「強制」をとても問題にしていらっしゃいました。自分は5000回も『君が代』を歌ってきた「愛国者」であるが、そういう人間から見ると、『君が代』をイジメの道具のように使って処分者を出すなんて、信じられない。そういう人間は、本当に『君が代』を愛していると言えるのかと。「俺の大事な『君が代』を汚すな!」って話ですよね。この話をすると、「わかる!」って言った人がいっぱいいたんです。
 
赤川 あ、なるほどね。
 
永井 「思想・良心の自由」という点から言っても通じにくいのに。
 
赤川 (笑い)それ、悲しいですね。鈴木さんはでも、正しいですよね。本来、自主的に愛してもらわなきゃいけないものなのに、それを強制するなっていう感じですよね。
 
永井 『君が代』の斉唱拒否や不起立は、軍国主義や戦前の天皇制絶対主義と相容れない歴史観や信念によるものだから、停職や減給処分は重過ぎると、最高裁もはっきり認めた(註17)。それなのに、都教委はやっぱり処分者を出してますよね。そういうのはつらいからと、学校現場では微妙にこの問題を避けて、不起立の先生は式典に出席しない、学校側も責めないっていう……
 
赤川 (笑い)日本的な。
 
永井 そう、日本的な解決方法になっている。だから、「当日は休んでよ」って言われたのに、あえて出席して斉唱拒否した先生は、「あ~、やっちゃったね。じゃあ、処分するしかないよ」みたいなことになってしまう。
 
赤川 処分者が減ってるってのは、解決してることじゃないんですよね。
 
永井 ないんです。ほかにも、もっと騒がれればいいと思うんですけど、都立学校では職員会議での挙手や採決が禁止になっている。
 
赤川 ああ、そうそう。何かヘンな話ですねえ。
 
永井 教職員の多数決で物事が決まると、校長、つまりは都の教育委員会のリーダーシップが失われるという理由らしいんですけど、民主主義の世の中で、採決しちゃいけませんとか、ヘンじゃないですか。でも、そういうことが都立学校ではもう、普通になっている。
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弱い者が弱い者をいじめる

赤川 日本人って、ちょっとおかしくなってるなと思うのは、秋葉原で殺傷事件があったでしょ(註18)。もちろん、あの事件そのものもね、現代が生み出したような、とっても嫌な怖い事件なんだけども、びっくりしたのは、刺されて血を流して倒れてる人を、居合わせた人たちが遠巻きにして、みんな携帯で写真撮ってる。
 
永井 え、そんな光景ってのは……。
 
赤川 あったんですよ。きっと、すぐ友達に写メールしたんだと思うんですよね。「今こんな凄いことやってんだぜ」みたいな。そこで人が倒れてるのに。もちろん、自分は医者でもないし、行ったって何にもできないでしょって言われればそうでしょうけど。でも、撮られてる方の身にもなれよっていうか。刺されて苦しんでるときに、人が写真撮ってたらどう思うかとかね。たったそれだけの、思いやりというか、想像力すら働かなくなっちゃったのかなっていう。あの場面って、ブラックユーモアというか。劇でそういう場面を書いたら、いくらなんでも大げさでしょって言われそうな場面ですよね。あの事件そのものよりも、その場面の方がよほど恐ろしかったんですけど。
 
永井 そうですよね。何か別のことをやるべきですよね。
 
赤川 励ますこともできるだろうし、元気づけたり、「今、救急車来るから」って、声掛けるぐらいのことはしてあげたんじゃないかと思うんですけどね、昔だったら。今って、たぶんそのへんで人が倒れても、みんな素通りしちゃうんじゃないか、もう面倒くさいことに関わり合いたくないって。
 
永井 冷たいとかいう以前にね、やっぱり知性の減退ですよ。想像力って論理的な推理力でもあるわけだから。
 
赤川 そうですね。閉塞感ていうか、今社会にあるね、それが今の人たちを非常に縛ってると思うんですね。たとえば、一つの箱の中にね、弱い立場の人たちが押し込められていると、そういうふうにした人たちを責めるんじゃなくて、中にいる人間を攻撃して、限りある空気を吸わせないようにしてやれと。そうすると、自分の吸う空気が増えるんだっていうような発想で、弱い者が弱い者をいじめていくっていうような、世の中が今、そういう空気になってしまっている。だから、モノを書くような立場の人間が大切なのは、隙間を作ることだと思うんですね。今、安倍さんで自民党政権ができてしまって、ますます隙間のない世の中が出来てくるだろうと。隙間がないってことは、要するに弱い人の叫びも聞こえない。封じ込めてしまうし、世の中がもっとどんどん息苦しくなってくると、もっと弱い者をたたくことによって、自分の立場を少しでも良くしようっていう発想になる。そういうところに少しでも隙間を作っていくのが、表現する、書く者の役目じゃないかなと思うんですね。少しずつでもこじ開けて、少しでも隙間ができれば、外の空気が入ってきて、人をいじめなくてもちゃんと呼吸できる。生きていけるんだよっていうことを教えてあげなきゃいけない。一人一人がね、できることはほんのちょっとかもしれないけど、大勢の人が少しずつ、少しずつ隙間を作っていけば、いつか、その蓋がポンとはずれる。かつて、ベルリンの壁が一夜で壊れたようなことができるんじゃないかなというふうに信じているし、それを信じてやっていかないと。今すぐに、こうすればたちまち勢力が反転しますみたいなことはないと思うんですよ。
 
永井 そうですね。悪いところだけ見ると、相当な後戻りをしたように思うんですけど、官邸前の反原発デモにあれだけ多くの人が自主的に参加した。そこから、憲法問題にも興味を持った人がいるってこと考えると、市民意識みたいなものは確実に育っているなと。問題は、間に合うかっていう、破滅の日までに。
 
赤川 時間との競争なんですよね。


抗議するより、黙って耐える

Image永井 最近の、この凄い雨の降り方。この間、区報を読んでたら、「土嚢を用意しましょう」って書いてあって。

赤川 (笑い)土嚢ってどうやって用意するのか。

永井 ちょっと驚くようなことが、ごく普通のことのように書かれていて。何かがピョンと跳んで、ここは耐えて当たり前みたいに、いつのまにかなっていっちゃう。そのうち、各自土嚢は、準備しなければいけないみたいになって……。
 
赤川 (笑い)そのうち防空頭巾とか言っちゃう。
 
永井 日本人って、黙って耐えることの方に強さを発揮する国民性がある。
 
赤川 耐えることが美しいみたいな、ちょっとヘンな発想がありますからね。
 
永井 抗議するより、黙って耐えるっていうことに、みんなが感心するじゃないですか。それはある種、強さでもあるんだけど、裏っ返せば弱さでもありますよね。
 
赤川 そうですね。
 
永井 黙って耐えてしまうんじゃなくって、やっぱり話し合うっていう、非常に苦手なことをやっていかなきゃいけないんじゃないのかなあ。
 
赤川 議論することに慣れてないですからね。
 
永井 橋下さんみたいな人を見てると、誰も議論したくなくなると思うんですよ。
 
赤川 ああ、まあ、そうですね。
 
永井 あの人は、勝ち負けをはっきりさせるために議論している。つまり、勝つ手段でしょ。相手のホントに問いかけて来たことには答えずに、論点を強引にずらしていく手腕で勝つと。だけど、本来の議論っていうのは勝ち負けじゃなくって、お互いの歩み寄り……
 
赤川 建設的な、ね。
 
永井 そうそう。建設的な妥協点を見つける。それから、一人じゃ考えつかなかったことを議論の過程で考えつく。その可能性を信じないで、意見の違う人と議論して、負けたらヤだなと、どうしてもそっちの方にいっちゃうから、重要なことは依然として、議論を避ける方向で決まっていく。
 
赤川 そうですね。
 
永井 私も意見の違う人と話して、緊迫した空気になるのは本当につらいからイヤで。同じような意見の人と、「あっちの人たちはひどいよね」って言うことはできるけど。
 
赤川 そりゃそうです、確かに(笑い)。
 
永井 本当に意見の対立している人とのコミュニケーションというものを、私たちは育ててこなかった。そのことと、今私たちが陥っている状況っていうのは関係しているかなって。軍備を拡張しなければ日本は守れないっていう考え方も、自分自身が意見の違う人とは話せないっていうことと、つながってると思うんですよ。日常の中の自分の言論生活と。そのことを、根底から考えてかないと。
 

それぞれのあり方で国というものを考える

赤川 今自衛隊って世界でも有数の軍備持ってるんだけど、突発的なことが本当に引き金になるんですよね。一人でも日本人が死んじゃったりすると、世論が一気に戦争にいきますから。もう、止められないですからね。
 
永井 日本だと、「尖閣諸島」って何か、立派な島のように言ってますけど、BBCニュース(註19)を聞いていると、「誰も住んでいない小さな島の領有権問題で中国と日本が対立しています」って。別に批判的に言ったんじゃないんでしょうけど、直訳すると、そうなってしまう。
 
赤川 ま、事実ですからね。
 
永井 だから、「領土問題は存在しない。話し合ったら日本の負け」みたいなことを言わないで、ちょっと話し合えよって。
 
赤川 (笑い)そういうこと言うとね、「非国民」とか言われますからねえ。
 
永井 そう! 完全にそう言われるし、ネットの世界では、信じられないけど、恐ろしいリストの中に自分が入れられていたりするんですよね。
 
赤川 「非国民」って言葉そのものが、戦後しばらくは使われなかったでしょ。だから、また使われるようになったときに、「ああ、嫌だなあ」と思ったんですね。要するに、「国がこうでなきゃいけない」ってことがあるから、「非国民」ってのが生まれるワケで。でも、今の世の中はそうじゃないでしょ、みんな、それぞれのあり方で、国というものを考えればいいんだから。そういう時代に「非国民」って言葉は成立しないだろうと勝手に思ったんですけども。平気で言いますからね。「国賊」とかね。
 
永井 そう! 「国益」って言葉も、やたらと使われるようになりましたよね。何が正しいかってことじゃなくて、「国益」。
 
赤川 「国益」って言ったって、じゃ、誰が得をするのかって言うと、日本のホントに貧しい人には、全然その利益は回って来なかったりするワケでしょ。生活保護の受給の切り下げだとか、「生活保護受けてる人は怠け者」みたいなこと言ったりするのって、日本人って、もうちょっと昔は思いやりがあったような気がするんですけどね。
 
永井 自民党の改憲案にも入ってますよね。「家族は、互いに助け合わなければならない」って条項が。これも、生活保護費を減らすための狙いだったり。
 
赤川 だいたい、家族ごとに事情はみんな違うんだから、とても助け合えないような家族だっているワケですからね、世の中。
 
永井 でも、「家族は助け合わなければならない」って言われると、そこに何が隠されているのか、その狙いがスッキリ見えないで、「あ、本当だ!」と。
 
赤川 まあ、間違いじゃないでしょうみたいなね。そういうときに、そうじゃない家族もいるっていうことを、表現者がどっかで書いていかなきゃいけないんじゃないのかなと思いますね。
 
永井 そうですね。私たち表現者が、直接的に政治運動するってこととはまた別に、発言していく。それが表現の幅を狭めるということではないだろうと……
 
Image赤川 ないと思いますね。私なんか、「三毛猫ホームズ」とかいうイメージが強いせいか、何書いてもあんまり言われないんですけどね。森村(誠一)さんなんかよく「赤川さん、大変でしょう。右翼から脅迫状来て」とか言うんだけど、来たことない。そういうのが来ると、喜んじゃう人だからね、森村さんて。貰ったことないのが、何か申し訳ないような気がして。
 
一同 (笑い)
 

想像力を育てる鍛錬

くまがい 作品を書く上で、あるいは様々な言論表現をするとき、どういうところを大事にして想像力を膨らませるのか、お聞きしたいんですが。
 
永井 ヘンなことですけど、「この話をうまく終わらせなきゃ」とか、「こういう流れに持っていきたい」とかっていう、作品構成上の問題に追われるうちに、普通に生きていたらわかる「人間の法則」を忘れちゃうことがある。「人間はこう言われたら、こう思う」とか、「こう言われて、こういう行動には出ないだろう」っていうようなことを、簡単に忘れちゃって。そういうときには、作者の事情をいったん離れて、その登場人物の立場に身を置いてみる。そうすると、「あ、こうだ!」「あ、違ってましたね!」って、普通の感覚が甦る。
 
赤川 そりゃもう、基本の基本ですよね。
 
永井 演劇であれ、ミステリーであれ、「楽しむ」っていうのは、一回自分を離れて、登場人物の立場に身を置いて、心の運動をすることですよね。
 
赤川 そうそう。それがまあ、訓練になるっていうかね、想像力を育てる鍛錬になるワケだから。
 
くまがい 訓練みたいなものはありますか?
 
赤川 訓練というか、私はまったく取材しない人なので、そうやらないと書けないですし。やっぱり、年とともに人を殺さなくなりましたね。
 
永井 そうですか。
 
赤川 一つの小説の中で、昔はもう、五人でも十人でも、じゃんじゃん殺してたんですけど。年をとって、自分で子どもを育ててみたりすると、やっぱり一人の人間が大人になるって、凄く大変なことだっていうふうに思うので。それと、一人死ぬと、どれだけ周りが悲しむかとかね、そういうこと考えちゃうと、まあ、どうせ架空の人物なんだけど、それでもなんか、殺したくないっていう気持ちが今強くなってきて。まあ、ミステリーだとしょうがないから一人二人は殺しますけど。昔だったら、絶対この人も死んでたなっていうのを、まあ、重傷だけども命は……
 
永井 助かった。
 
赤川 だから、今ホントに大量殺人の話が凄く多くて、読む方もそれに慣れてしまっているっていうのは、とっても怖くなるんですよね。もちろん、それを真似するような人がいるとは思いませんけれども。
 
永井 想像力っていえば、私や赤川さんの子どもの頃の遊び方って、基本的に即興劇でしょ?
 
赤川 (笑い)そうね。
 
永井 オママゴトも戦争ごっこも。何人かで集まってやって、うまくいかなくなると、「タンマ!」って止めて、「ちょっとそれは」って言い合って、また始める。そういうのって、集団作業であり、即興劇ですよね。
 
赤川 相手の立場をね、考えるようにしなきゃ話が進まない。一人だけが威張ってても、話が進まないとかね。そういう訓練になったんですよね。
 
永井 毎日同じ子がいい役じゃダメだから、順番にしたり、早く走れない子はオミソにしたり、年上の子が年下の子に配慮したりっていうことが、わりと普通にあったんですけど。
 
赤川 まあ、私が小説を書いているのも、そんなとこもありますね。書いてて、あんまり可哀想だと、もうちょっとこの人の見せ場を作ってあげなきゃみたいなふうになってきたりね。本来チョイ役だったのに、もうちょっといいとこ書いてやろうかな、みたいな話になっちゃって。そういうことをやってるから、最後に辻褄合わなくなって大変なことになるんですけど。作家なんてね、みんな作風が違うわけですから、それはそれでいいんだと思うけども、あまりに思いやりを失ってしまうような、そういう人物の作り方とかっていうのが、エンターテイメントとして若い人たちに読まれていると、いくらエンターテイメントであっても、面白ければいいっていうこととはちょっと違うような気がしますね。今の時代にそれでいいのかなって。
 

終わりに

永井 私ね、戦後に生まれてホントによかったと思っていました。治安維持法がなくなった時代に生まれて、
 
赤川 ああ、そうですよね。
 
永井 あんな恐ろしい目に遭わなくてすむんだと思ってたら……
 
赤川 また何かできそうですよね。
 
永井 改憲だけじゃなくて、特定秘密保護法案ですか?(註20
 
赤川 ああいう、いくらでもね、解釈しだいでどうにでもなるっていう。
 
永井 憲法を変えないまま、解釈の変更で集団的自衛権の行使に踏み込もうとか。うわあ、ウルトラCやるのねっていうか。前の人が苦労をして獲得してくれた自由を失うことになっちゃうのか。まさか、人間はそこまで馬鹿じゃない、ヨソの世界は進化してるんだから、日本だけが逆戻りはしないと思いつつ、はっきりと逆戻りしてるとこありますからね。
 
赤川 ありますね。だから、国際社会の中で、日本の立ち位置みたいなものをきちんと、国際的な基準で考えるっていうことができないといけないですよね。
 
永井 日本人が自ら「おかしい」って言って、みんなで「違うね」って言って変えたいですね。
 
赤川 ええ。ホントにそうなんですよねえ。そういうものを書いていかなければいけないなとは思うんだけど。うん。

[了] 




註17:『君が代』の斉唱拒否や不起立の最高裁判決
 2012年の最高裁判決で、戒告処分は裁量権の範囲内で妥当とするものの、それより重い減給や停職に関しては慎重な扱いを求め、2013年、元教諭が「精神的苦痛」に対し損害賠償を求めた訴訟で東京都の賠償責任を認めた。

註18:秋葉原で殺傷事件
 2008年、25歳の男が、横断中の歩行者5人をトラックで跳ね飛ばし、被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーで立て続けに殺傷、7人が死亡、10人が負傷した。

註19:BBCニュース
 英国放送協会制作のニュース番組

註20:治安維持法と特定秘密保護法案
 「─ 表現の自由を語ろう ─ <第2回> 何で捕まったかわからない ──いま、横浜事件を考えてみる」の註3註23をご参照ください。


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