第11回劇作家協会新人戯曲賞
2005年度
後援 一ツ橋綜合財団
平成17年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
一次選考通過作品一覧(21作品)
僕の死ぬ理由と折りたたみ人間 | 竹田和弘 |
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弟が出る | 中村ヨシ |
フィクションの練習(仮) -少しの引用からなる | 武藤真弓 |
汚い月 | 下西啓正 |
good sleep | 服部創平 |
夕方の限界 | 高橋義和 |
餡パンとライスバーガー | 添谷泰一 |
please, deep sleep | 松田凛 |
その赤い点は血だ | 田辺剛 |
初雪の味 | 吉田小夏 |
アルカイック・ラブ -最古の愛 | くるみざわしん |
SL | 橋口幸絵 |
ワールドプレミア | 松井周 |
Lost -ロスト | 鈴木大介・西村和弘 |
アナザー | やまうちくみこ |
ホーンテッド302号室 | 宇佐美洋平 |
幸福王 | 平塚直隆 |
Logic boat | 亀井純太郎・後藤清香 |
腹相撲 | 浦本和典 |
笑うタンパク質 | 井上こころ |
恋愛耐湿 | 刈馬カオス |
最終候補作品一覧(5作品)
汚い月 | 下西啓正 |
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その赤い点は血だ | 田辺剛 |
ワールドプレミア | 松井周 |
アナザー | やまうちくみこ |
笑うタンパク質 | 井上こころ |
受賞作
その赤い点は血だ | 田辺剛 |
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佳作
アナザー | やまうちくみこ |
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最終選考会は、2005年12月10日、紀伊國屋サザンシアター(東京都渋谷区)において公開で行われた。 審査員は、川村毅・斎藤憐・土田英生・永井愛・平田オリザ・横内謙介・渡辺えり子。 受賞作と最終候補作をすべて掲載した「優秀新人戯曲集2006」は、 ブロンズ新社から発売中(本体1,600円+消費税)。 ISBN4-89309-383-5 C0074 |
総評/選考経過/選評
(劇作家協会会報「ト書き」39号より)
総評・選考経過 川村毅 第11回劇作家協会新人戯曲賞公開審査会は12月10日、紀伊国屋サザンシアターで行われた。 まずは最終候補として残った5作品に対して審査員がコメントをしていく形式でスタートした。 『汚い月』に関して、平田オリザ氏は、「私たちの今を包んでいる不気味さが出ている」「時間経過のシャッフルの方法には意義があるとは思えない」「ここに描かれている人々は自己決定能力、自己責任能カを欠いており、ラストのカタルシスが逆に不自然だ。最後までだらだらいけぱいっそうよかった」と述べ、渡辺えり子氏は、「タイトルに引かれたが、言葉が汚い」という意見を言った。 『その赤い点は血だ』について、土田英生氏は、「囚人3は作家自身なのではないか」と指摘し、「仕掛けはもっと構造的なほうがよい」「死体が語っているエピソードが陳腐」と語り、それを受けて渡辺氏がその部分について「聖書とか西洋の影響を受け過ぎている」と述べると、さらにそれを受けて、永井愛氏は、「宗教的だとは思わない。物足りないと思う原因は対立がないからで、軋みがない」「終わった世界の鎮魂歌のようで平穏な感じがする。なぜ対立を避けるのか」と意見を述べた。 『ワールドプレミア』について、横内謙介氏は、「自分たちのアングラ時代を思い出した。ルール説明無しのアングラをやっている」「難しいことをやさしい言葉を使って書いている感じがするが、文体が支え切れていない、観念的過ぎる」と述べた。 『アナザー』については、斎藤憐氏は、「5作品中、これが唯一登場人物ひとりひとりがどういう人達であるのかよく理解できる。他の作品は不条理な設定を描くことによって、観客を限定し、欠陥を隠蔽している」と、写実的ではない方法を用いた他作品について批判した。平田氏は、「差別を描くことについては、新たな文体が必要なのではないか」、永井氏は、「母親の描き方が甘い」と述べた。 『笑うタンパク質』に関して、土田氏は、「自己肯定的で社会との格闘が描かれていない戯曲が多くて、これもそのなかのひとつのようにも読めるが、後半ベキコの登場によって闘っている感じが読める」、横内氏は、「社会生活を営む以前の人達を描いている。言葉の感覚はとてもおもしろい」と述べた。 このなかから2作品を推すという条件で1回目の投票を行った。土田氏『その赤い点は血だ』『アナザー』、渡辺氏『その赤い点は血だ』『アナザー』、斎藤氏『その赤い点は血だ』『アナザー』、永井氏『その赤い点は血だ』『アナザー』、平田氏『汚い月』『笑うタンパク質』、横内氏『アナザー』『笑うタンパク質』、川村『汚い月』『その赤い点は血だ』ということになって、『その赤い点は血だ』と『アナザー』が圧倒的に支持される結果となったが、平田氏と川村は『汚い月』にこだわる旨の意見を述べた。 一票も投じられなかった『ワールドプレミア』はひとます除外して、次に1作品のみの投票という形式を取った。土田氏『その赤い点は血だ』、渡辺氏『その赤い点は血だ』、斎藤氏『アナザー』、永井氏『アナザー』、平田氏『汚い月』、横内氏『アナザー』、川村『汚い月』となり、3作品に票が割れた。 斎藤氏、永井氏が『汚い月』に関しては否定的で、平田氏、川村は『アナザー』について否定的であった。 しかし両陣営とも『その赤い点は血だ』を優秀作にすることについては異存がないと見解を述べ、これを優秀作に、『アナザー』を佳作にという案が斎藤氏から提出され、審査員全員が賛同して決定された。 例年になく活発にして有意義な議論がなされたというのが私の個人的な感想である。
選評 川村毅 実を言えぱずっと『その赤い点は血だ』を推すつもりでいたのだが、審査会当日候補作全部を読み直して、『汚い月』のおもしろさに気がついた。なぜこのおもしろさを見逃していたのだろうかと思った所以は、『その赤い点は血だ』が果たして上演されたものを見たとして、おもしろいと感じるだろうかという疑問が頭の片隅にあったためだろう。確かに『その赤い点は血だ』は反演劇としてよく書けているほうだが、こうした反演劇に現在観客がいるのだろうかという思いと、いや観客が少ない演劇がなくなっていいわけがないということも承知の上で、しかし反演劇とは結局演劇と実社会が健康で元気である時の逆説の意味合いにおける毒素のようなもので、果たして現在我々はこうした毒素を受け入れる余裕を持っているのだろうかという思いがよぎる。『その赤い点は血だ』の退屈さに耐えられる精神的状況を我々は果たして持っているのだろうか、ということから『汚い月』、これは読書時と同様に上演も恐らくおもしろいだろうと確信したのだった。『アナザー』は『その赤い点は血だ』と違う位相において退屈の極みだ。読書の時点ですでに退屈だというその理由は、台詞、展開とすべてに関して類型的だと思い、優秀作とするのに反対した。 斎藤憐 演劇の上演数は私たちが芝居を始めたころより飛躍的に多くなりました。しかし、芝居を観に行く人々はいまだに「特殊な人々」です。それは私たちの責任です。 シェイクスピアもチェーホフもブレヒトもベケットも、自分の生きている時代と切り結んだ戯曲を書いています。応募作品の中に、現在を生きている人々の「言葉」を書き残そうとする気概が感じられませんでした。それは、人間(他者)に対する興味の薄さから発したものじゃないかと思いました。 私たちが、明日、明後日に食べるものを、今、この刹那も作り、捕っている人々がこの日本のどこかにいます。人間は、ずっと飢え死にする恐怖の中で生きてきました。飽食の時代が来て、私たちは逆に他人と共生している実感を失っています。 巷に飛び交う「豊かさ」とは、豊かな人生のことなのか、「自由と安全を守れ」という大合唱の中で人々が思考停止をしているイヤな時代です。言葉があまりにも軽くなっている時に、「誰に」「なにを」語るのかを考えていきたいと思っています。 土田英生 限りなく個的な幻想がいかに普遍化させられているか、これが私にとって戯曲の判断基準だ。いかに破天荒な作品でも説得力がなければ成立せず、反対にいくら説得力があったとしても劇世界自体が陳腐なものでは興味をひかない。 今回の作品の中で『汚い月』は最もうまく世界を作っていると感じたが、導かれた劇世界自体にもう一つ魅力を感じられなかった。反対に『その赤い点は血だ』は説得力に欠ける部分もあったが、間口が広い分、その虚構世界に演劇の可能性を感じることが出来たのだと思う。『笑うタンパク質』は人物達が置かれた状況は見えるものの、舞台上でのドラマが欠けていたように思う。『ワールドプレミア』は非常に独特で気にはなったが、私には読み切れなかった。『アナザー』は最もオーソドックスに物語を描いていて好感を持ったが、現実世界に近い分、リアリティーの点でほころびが目立ってしまっていた。 今回、公開審査を初めて経験させてもらい、その難しさを感じると共に自分の作劇についても改めて考える所があった。関係者の皆様、お疲れさまでした。 永井愛 田辺剛氏の『その赤い点は血だ』は国家権力と個人の関係を寓意的に描こうとしたものだろうが、寓意によって支配・被支配の関係が単純化され、現実に切り込む力をかえって弱めてしまったのではないだろうか。意図は買うだけに、惜しい。 やまうちくみこ氏の『アナザー』は、観客を性同一性障害者の側から見た世界に引っ張り込む必要があった。この作品はまだ、「健常者」の側からの理解を表明する優しさにとどまっている。優しさを表現力に昇華させてほしい。 下西啓正氏の『汚い月』は謎めいた導入部に期待したが、後半はオカルトホラーに収縮してしまったように思う。作者の仕組んだ謎が神秘や超自然現象によらずに、あり得ることとして立証されたなら、卓抜なホラーになったかもしれない。 松井周氏の『ワールドプレミア』、井上こころ氏の『笑うタンパク質』はひりひりした疎外感に満ちている。面白い言語感覚もある。それだけはわかるが、それだけしかわからないのがもどかしかった。 平田オリザ 強く推したいと思う作品は残念ながらなかったが、下西啓正さんの『汚い月』が、もっとも破綻なく、完成度が高いと感じられた。選考の流れの中で、佳作にも漏れてしまったのは残念だった。 受賞作となった『その赤い点は血だ』は、独特の世界観があるように見えて、ではそこから、気持ち悪さなり、爽快感なり、何らかの衝動が突き上がってくるかというとそうでもなく、消化不良の感が残った。題名が魅力がないように思えるのだが、そのあたりにも、作家の迫力不足を感じた。 佳作を受賞された『アナザー』は、劇作家協会新人戯曲賞の対象作品としては、稚拙と言わざるを得ず、私は納得できなかった。作家の善意と、演劇に対する愛情は認めるが、善意と愛情だけでは劇作家にはなれないばかりか、それは邪魔にさえなるときがあると私は思う。 横内謙介 新人のコンクールだから仕方ない部分はあるけれど、候補作の多くに日常を逞しく生きる(生きざるを得ない)生活者の視点が欠けている。 どれほどショッキングな場面が連続しても、人間の血と涙が流されても、生きるための格闘をしていない者たちの所業は浮世離れしたゲームにしか見えてこない。昔はそんなゲームも楽しめたはずなんだけど、今はひたすら虚しい。自分が歳をとったということなのだろう。 そんな私には、日常生活の周辺にあるモノだけを、日常的な時間の流れの中でみつめることに徹して作品を構築しようとした、やまうちさんの『アナザー』が好ましく思えた。 しかし多くの審査員が指摘したように、主人公の葛藤の描写がありきたりで甘すぎた。このスタイルには、難しいことを分かりやすく書く力が必要なのだが、分かりやすくするために、難しいことが簡単に済まされてしまった印象だ。しかしこのスタイルは地道に書き続けることで必ず上達するはずだから、今後に期待する。 『笑うタンパク質』の井上さんの言葉にも魅力を感じた。「本当の思春期は資本主義に沿わない、売れない」などの言い回しが愉快だ。あとは早く作者自身が遅い思春期を脱して、もっと軽くしたたかに自分を笑い飛ばす強さを持てば、誰もが楽しめる不思議な傑作を書き上げる気がする。 田辺さんの『その赤い点は血だ』の受賞に異議はない。観念的な言葉の格闘に徹して、劇的世界を追求する姿勢が潔い。演劇を信じる力に満ちている。 渡辺えり子 深く重たい失敗作を読みたい 今回の五つの作品はそれぞれの個性に富んだどれも違った作風の戯曲だったと思う。 しかし、どれもが、優れていたかというと、もうひとつピンとこない。 それはどうしてなのかと考えてみると、自分だけにしか描き得ない独特の世界観が見られず、いつかどこかで読んだことのある戯曲の中から表面的に選び取ったモチーフの抜粋のように感じる部分が多いからではないかと思う。登場人物ときちんと向き合い、自己と戦い抜いた作業が見受けられない。「今回はこういうのを書いてみました」といった軽い感覚があるのではないかと疑う。戯曲を書くことを学校の宿題のように考えているのではないか? 私たち審査員は先生ではない。同業者なのである。それが命を削って審査し、自分の今までの仕事を振り返って、傷を負いながら、それでもやらなければと踏ん張って審査しているのである。応募するなら、気持ちだけは対等でありたい。自己をさらけ出して、破綻を恐れず、誠実に応募していただきたいと願うものである。 田辺さんの作品はその中でも、現代という空間の中で言葉と戦う姿勢が見られ、生きる目的を見出しにくい、閉塞した日本という国の問題点を演劇的な表現方法で問いかけたいという思いの部分が描かれていた。井上さんの世界は独特で、面白い部分もあるがあまりに自閉した世界を追求するあまり、逆に生きた人間が表に現れず、単なるゲームとしてしか心に残らなかった。『アナザー』も惜しい作品で、「人を好きになる」という本来は何にも規制されるはずのない自然な感覚がいかに既成概念によって侵食されていくかを問いかける深遠なテーマを描きつつあるのに、突っ込みきれなかった。紙面に限りがあり、ひとつひとつの作品について細かい部分は書けないが、とにかくもっと拘って、人物の内部に入り込んでいっていただきたいと思うのである。 |
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