第8回劇作家協会新人戯曲賞
2002年度
後援 一ツ橋綜合財団
平成15年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
一次選考通過作品一覧(21作品)
鈴の鳴る家 | 金野むつ江 |
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無窮花の墓 | 蓮井勝彦 |
天国の猥談 | 中澤日菜子 |
数学的恋愛 | 涼野菜穂 |
二人子物語 | 小野小町 |
海原にベルは鳴るか | 田中一極 |
Tのブルース -魂夢 | 久松真一 |
ペチカの火が消える頃 | 芳田マサヒロ |
うちのだりあの咲いた日に | 吉田小夏 |
紛れて誰を言え | 高山さなえ |
塩焼ノススメ | 飯田ゆかり |
ストリップ | 青木豪 |
ピン・ポン | 明神慈 |
犬に飼われて | 石原光 |
ゆらゆらと水 | 芳崎洋子 |
月の二階の下 | 畑澤聖悟 |
504:an esoteric vacation 五○四:えぞてりっくな休暇 | 山本貴士 |
長ネギ心中 | 関根和夫 |
あたたかい棺桶 | 田辺剛 |
さいごの晩餐 | 大塚恵美子 |
魚眼パノラマ | 石原美か子 |
最終候補作品一覧(5作品)
うちのだりあの咲いた日に | 吉田小夏 |
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ピン・ポン | 明神慈 |
ゆらゆらと水 | 芳崎洋子 |
あたたかい棺桶 | 田辺剛 |
魚眼パノラマ | 石原美か子 |
受賞作
ゆらゆらと水 | 芳﨑洋子 |
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最終選考会は、2002年12月8日、紀伊國屋ホール(東京都新宿区)において公開で行われた。 審査員は、永井愛、清水邦夫、別役実、斎藤憐、坂手洋二、鴻上尚史、松田正隆。 受賞作と最終候補作をすべて掲載した「優秀新人戯曲集2003」は、 ブロンズ新社から発売中(本体1,600円+消費税)。 ISBN4-89309-275-8 C0074 |
総評/選考経過/選評
(劇作家協会会報「ト書き」33号より)
総評・選考経過 川村毅 12月8日、紀伊國屋ホールにおいて第8回劇作家協会新人戯曲賞、公開審査が行われた。本番最中の舞台を提供してくれた東演、紀伊國屋ホール及び財政的な援助をいただいた一ツ橋綜合財団に深く感謝したい。応募総数162本、一次二次審査を通過した5本が最終候補として選ばれた。審査員は坂手洋二、鴻上尚史、永井愛、清水邦夫、別役実、斎藤憐、松田正隆、七名。 まずひとつの作品に対して三名の審査員がコメントすることを基本にして審査が始められた。 吉田小夏氏の『うちのだりあの咲いた日に』に対して、坂手氏は「日常性に基づくものでありながらリアリティに欠ける」、別役氏は「設定はいいが戯曲の低音部が描かれていない。一種の群衆劇であり、それに際して必要なゾーンディフェンスがなく、ワンツーディフェンスしかない」といった指摘がされたが、一方遅刻のため客席から壇上に登場した鴻上氏からは作中の妊娠に関するギャグに対する肯定的な評価があった。 明神慈氏の『ピン・ポン』に対して。松田氏「嫌悪感を覚えた。詩として書けばいい。さむい台詞だと思ったが、どこか気になる戯曲」清水氏「会話が他人行儀で文学的過ぎる」斎藤氏からは「演劇ではない」といったコメントが聞かれた。 すでに過去の最終選考にも登場済みの芳崎洋子氏の『ゆらゆらと水』には、永井氏は「物足りない。演劇的なプロットが突出し過ぎている」鴻上氏「わかりやすすぎる。ご都合主義。しかし次のためのステップとしてこうしたものは必要であり、次作に期待したい」これらのコメントに対して真っ向から反対であったのが松田氏であり、「5本のなかで一番面白かった。作者の決意表明が読み取れた」と肯定の評価を下した。 田辺剛氏の『あたたかい棺桶』においては別役氏「タイトル、幕開き、ラストすべて素晴らしいが、中身がつまらない。途中で息切れしている」清水氏「自分の仕掛けたものに酔ってしまっている。棺桶の仕掛けが普通になってしまった。惜しい」鴻上氏「最初は展開にわくわくして好感を持ったが、平田オリザのコピーという側面がある。プロの仕事として誰かのコピーと思わせるところが問題」さらに坂手氏が挙手して「老人と若者の交流を安易に描き過ぎる」すると永井氏も加わって「舞台の町は災害が多発する地域と設定されているが、作品のなかで最後までその災害の責任をとっていない」といってコメントがなされた。 石原美か子『魚眼パノラマ』に斎藤氏は「読みにくい。人間関係がわかりにくい」別役氏「ドタバタ喜劇の設定でありながら、ドタバタ喜劇として失敗している」坂手氏は「どこが作品のへそなのかわからない」永井氏「きれる老人という設定はおもしろい」 ここで全作品へのコメントがまわったが『ゆらゆらと水』を推した松田氏以外、審査員にはどれを積極的に推すかという意見は見られず、休憩前の一回目の投票とあいなった。ひとり二作を選ぶという方式による結果は『うちのだりあの咲いた日に』『ピン・ポン』にそれぞれ一票、『魚眼パノラマ』に二票、『あたたかい棺桶』に四票、『ゆらゆらと水』に六票となった。 休憩開けの討論では票を集めた『ゆらゆらと水』が優秀作として相応しいかという議論がなされた。永井氏、鴻上氏の前作のほうを評価するという声もあったが、「作品というより人を評価するという意味で今回の受賞でいいのではないか」という別役氏の声もあった。また松田氏は『ピン・ポン』が「他の候補作に見られないものを含んでいる」という主旨の積極的な肯定のコメントをした。 一作品を推す投票が次になされ、ここでも『ゆらゆらと水』は態度を保留した斎藤氏以外六名の支持を受け、さらに五作を巡って自由討論に入ったが、目新しいコメント、議論となる論点が見いだされることはなかった。 最終的には全員賛成の挙手の末、本作を優秀作にすることが決定された。
選評 永井愛 『うちのだりあの咲いた日に』は個々の登場人物に複雑な事情を持たせたものの、台詞がありきたりなため、人物像が単純になり、せっかくの設定を生かし切れていない。また、写実的だったり、極端にふざけたり、感傷的になったりと、気ままにトーンが変わるのも気になった。 『ピン・ポン』は何かを詩的に表現したもののようだが、私はその何かが何なのかわからなかった。もしそれが、男女、宇宙、歴史などを俯瞰しようとする試みであったとしても、ずいぶんあっけなく要約されてしまったような恨みが残る。ピンポン台、ミネラルウォーターなどの小道具も、今のままでは、その実用性を離れ、演劇的に働くのは難しいように思う。 『ゆらゆらと水』は作者の誠実さが、自分を裏切る結果になった。本来、彼女は日常と非日常を行き来できる跳躍力を持っている。だが、難解になるのを避けるためか、今回は次元の変化を色で表す手続きをとった。題材に深く入り込んでいれば、こういう説明はしないですんだだろう。台詞も構成も達者な人だけに、その技巧の中で空回りしないようにと願っている。 『あたたかい棺桶』は、せっかくスリリングな、いい始まり方をしたのに、話が枝葉に分かれ、尻切れトンボになってしまった。ただ、作者前回の最終候補作『letters』には見られなかった台詞の面白味、切れのよさには、作者の成長を感じる。 『魚眼パノラマ』はクールな描写と、すれ違いの喜劇が途中で喧嘩を始めてしまった。「切れる老人たち」は卓抜なアイデアだが、いろいろなエピソードが並列に流れていく印象の方が強く、絡み合った世界として立体化してこないのが惜しい。 清水邦夫 今回は、ずいぶん筆力のある作品が多かった。一作品をのぞいて、それらの作品は量感あふれるものであった。 それはそれで、ある活力というものを強く感じさせてくれたが、反面考えさせられることも少なくなかった。ドラマをけして説明的にしようとは思わなかったはずだが、量的なセリフ、量的な展開のなかで、説明的なやりとり、出来事が増えていって、かえって〈ドラマ〉というものを失っていく気配を感じた。古風なこと、当り前のことをいうようだが、セリフとセリフの間にある〈闇〉あるいは〈沈黙〉というものをもっと生かして欲しかったような気がする。観客は、それらから刺激をうけ、空想し、あるいは思いがけず予想を裏切られて、大きな眼を見張っていく快感をかちとる。受賞作の『ゆらゆらと水』(芳﨑洋子作)は、やや難解ではあったが、いたく想像力を刺激する世界を現出せしめたところにつよく胸をつかれた。 別役実 全体に、「作り」の浅い作品が目立ったような気がする。中では『魚眼パノラマ』と『ゆらゆらと水』に、やや「厚み」を感じたが、前者が構成に乱れがあるのに対して、後者はそれなりにまとめあげており、後者を受賞作として推した。ただこの後者の作品も、窓から見える工事現場の機械類を恐竜に見立てた構図が見事だっただけに、幻想と現実のアラベスクが、これと同様に歯切れよく組み立てられていれば、更によいものになっていただろうと思われる。 『うちのだりあの咲いた日に』は、この日常的な時間の背後に、「おばあちゃん」の死の時間が途切れることなく流れていれば、いわば「厚み」が出たであろう。『あたたかい棺桶』は、出だしと幕切れの見事さをつなぎ切れていないと思った。途中で、ドラマツルギーが変っているとしか思えない。『ピン・ポン』は、試みとして面白いところが多々あるにもかかわらず、やはり全体に「薄い」という印象はまぬがれない。「遊び足りてない」という感じがするのである。 斎藤憐 今回、受賞された芳﨑洋子さんはすでに『桜桃ごっこ』『沙羅、すべり』と二作が最終選考に残られた方でした。今回の『ゆらゆらと水』については、いろいろ欠点も指摘されましたが、これまでの活動もふくめて受賞ということになりました。 今回、最終選考に残った五人の経歴をみますと、みなさん上演活動をされています。 しかし、それぞれの発想を存分に開花させているかというと、まだ未消化でもったいないと思われる作品群でした。 世田谷パブリックシアターと共催している「戯曲セミナー」、昨年から始まった「インターネット戯曲講座」のシニア塾をという声も上がっていますが、当分、準備に時間がかかりそうです。 しかし、この戯曲賞の歴代の受賞者たちが、各所で活躍なさっているのも事実で、審査員たちの強烈なライバルの出現を待っています。 坂手洋二 今回は「該当作なし」でもいいと思ったが、結果として受賞作を出すことになった。審査員の多くも「該当作なし」という結果に涙をのんだ経験のある者が多かったからかもしれない。 日本中を見渡せば、他にも「新人戯曲賞」「コンクール」が増え、「常連」ともいうべき候補者が群居する現在、「新人賞」については、従来のような「新人の発掘」という意味を越えて、一種の「奨学金」のようなものになってきたのではないかと思わざるを得ない。「賞の権威」なるものを保つためには確かに「該当作なし」のほうが得策であろうが、劇作家協会としては現状を鑑みて「実」をとったのだ。 芳﨑洋子さんの受賞作だが、作品としては昨年の佳作『沙羅、すべり』の方が優れており、昨年こそ入選すべきだったと私は思っている。作者が劇構造や人物を整理しきれなかったことに起因するとはいえ、『沙羅、すべり』のストーリーじたいが私と清水邦夫氏以外の審査員に理解されていなかったことが残念でならない。じっさい、昨年のことがなければ彼女の受賞はなかったと思う。 私が気になるのは、彼女が昨年の出来事を「教訓」に、今回は明らかに「わかりやすく書こうとした」らしいことである。そうした「譲歩」や「先回り」はやめてほしい。作者の中枢からえぐり出したものではない、薄まってしまった世界を、仮に「わかりやすく」書けたとして、いったいそれに何の意味があるのだろう。 その人にしかみつけられない一つの世界を、辛うじて紡ぎ出すことにこそ、賭けてほしい。私は、その応援をしたい。 鴻上尚史 芳﨑洋子さんの受賞は、順当だと思います。力のある人ですから、当然ともいえます。作品全体に言えることですが、ここ数年、どんどん、ワクワクする作品が減ってきているような気がしてしかたありません。破綻していてもいいから、観客をワクワクさせる作品、そういうものを求めます。小さな完成より、大きな破綻を求めます。 松田正隆 『ゆらゆらと水』の舞台となる雑居ビルやそこから眺められる街の立ち現れ方には有機的なふにゃふにゃ感があり、惹かれてしまった。そうでありながらも、人物や展開の仕掛けが図式的で通俗的なところもあるとも思った。 レイは、クリコがビル(父性の象徴)を持ちこたえようとしてきた社会的行動力の記憶を打ち壊わそうとするクリコ自身の無意識の現れでもあった。つまり、やっかいもの故捨てたレイに、クリコがお母さんと呼ばせないのは、呼ばせた途端クリコ自身の、この世界での唯一の足場が崩れ去ってしまうからに相違ない。 しかし、私は虚無へと落下するクリコの姿を見てみたかったのだ。そこでクリコが体験することが、何よりも重大なことであるからこそ、レイは彼女の前に出現したのではなかったろうか。足場のない場所で、クリコが見なければならぬのは、結城との愛欲に溺れる罪にまみれた自分自身の姿であったかもしれない。 そういう意味で、社会的状況設定の一切ない場所で男女の奇妙なやりとりがかわされた『ピン・ポン』にも、惹かれてしまった。 |
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