第9回劇作家協会新人戯曲賞
2003年度
後援 一ツ橋綜合財団
平成15年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
一次選考通過作品一覧(23作品)
| マリ亜ンヌ |
大塚和美 |
| 僕の言葉に訳せない |
岩崎裕司 |
| 君のために歌ふのではなく |
切塗よしを |
| F |
石神夏希 |
| ぎんぎんぎらぎら |
村嶋正浩 |
| 卯の卵 |
工藤千夏 |
| タイガー |
山平貴雄 |
| 銀河鉄道の昼 |
くらもちひろゆき |
| ウタウタイノホネ |
戒田竜治 |
| カナリア |
黒岩力也 |
| 渾沌鶏 マロカレタルトリ |
西森英行 |
| ごちそうさん |
遠藤晶 |
| アハハ |
原田悠 |
| 通過 |
松井周 |
| 紅き深爪 |
詩森ろば |
| 凪の夜、雨の朝 |
中井久美 |
| 溺れています。 |
林未知 |
| 水夏 |
武田操美 |
| 今日もいい天気 |
畑澤聖悟 |
| ゲームセット |
ひょうた |
| エコー、傷 |
山本貴士 |
| たちばな |
中村さとし |
| ゆんぼーさんが来る |
ヒロセエリ |
最終候補作品一覧(6作品)
| 僕の言葉に訳せない |
岩崎裕司 |
| カナリア |
黒岩力也 |
| ごちそうさん |
遠藤晶 |
| 通過 |
松井周 |
| 紅き深爪 |
詩森ろば |
| エコー、傷 |
山本貴士 |
受賞作
最終選考会は、2003年12月14日、紀伊國屋ホール(東京都新宿区)において公開で行われた。
審査員は、坂手洋二、永井愛、平田オリザ、松田正隆、横内謙介、渡辺えり子、川村毅。
受賞作と最終候補作をすべて掲載した「優秀新人戯曲集2004」は、
ブロンズ新社から発売中(本体1,600円+消費税)。
ISBN4-89309-310-X C0074
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総評/選考経過/選評
(劇作家協会会報「ト書き」35号より)
総評・選考経過
川村毅
十二月十四日、紀伊國屋ホールにおいて第九回劇作家協会新人戯曲賞、公開審査が行われた。本番最中の舞台を提供してくれたこまつ座、紀伊國屋ホール及び財政的な援助をいただいた一ツ橋綜合財団に感謝いたします。
応募総数182本、一次二次審査を通過した六本が最終候補として選ばれた。審査員は坂手洋二、永井愛、松田正隆、平田オリザ、渡辺えり子、横内謙介に清水邦夫が予定されていたが、清水氏は急に出席不可能となり、劇作家協会出版委員の小松幹生氏より要請を受けて私、川村毅が清水氏の代わりとして司会を兼ねての審査員を務めることになった。
まず岩崎裕司氏の『僕の言葉に訳せない』について司会より指名を受けた坂手氏が「自己完結的である」、次に永井氏が「小道具の使い方が器用だが、テクニックが目だつ」と発言したのに対し、横内氏より「快適なたくらみがあり、言葉のリズムがいい」、渡辺氏より「セックスを新しい視点で捉えていてけっこうおもしろい」といった意見が出された。
黒岩力也氏の『カナリア』には、松田氏は「現実への拒否反応を描いているのではないか」、平田氏は「けっこうおもしろい。しかしシーン2が冗長で、シーン1のおもしろさを持続させるにはもっとエネルギーが必要だった。最後のまとめ方が安易だ」と述べ、続けて渡辺氏が「これはおもしろかった。イラク戦争について描いているのではないか。演出したいと思った戯曲だ」とエールを送った。
遠藤晶氏の『ごちそうさん』には、横内氏が「リアリズムのなかで差別問題を扱っている志しには迫力を感じる。しかし告発から広がりがない。劇中の父親が焼き肉店をやろうとした動機が描かれていない」と指摘し、平田氏からは「日本人がウリナラ亭という名前の店を構えるという設定はおかしい」という指摘が為された。
松井周氏の『通過』に対しては、坂手氏は「すらすら読めるが、あまり怖くない。トピックはいろいろ出て来るがドラマが続かない。説明が多すぎる」、渡辺氏は「妙に生々しくて好きになれない」、横内氏は「書くことの倫理をもっと考慮すべきだ」
詩森ろば氏の『紅き深爪』には、永井氏「整い過ぎていて味気無い。人間のダイナミズムが描かれていない」、平田氏は「一幕物としてよく出来ているが、登場人物のひとりである良平の欠落感がわからない」、横内氏は「ラストが安易。良平の描き方が薄い」などの意見があった。
最後の山本貴士の『エコー、傷』に永井氏は「スケールが大きい。ベンヤミンを扱うというスケールの広がりを感じる」、一方平田氏は「おもしろいが、嫌いな作品。この構成で全編を通すならばもっとスタイリッシュな台詞を作らなければいけない」と述べた。
このような様々な意見が出された後、休憩前に審査員がいいと思う作品二本を選ぶことになった。平田氏が『カナリア』と『通過』。永井氏は『僕の言葉に訳せない』と『ごちそうさん』。渡辺氏が『僕の言葉に訳せない』と『カナリア』。松田氏『通過』、『エコー、傷』。坂手氏『カナリア』、『ごちそうさん』。横内氏が『僕の言葉に訳せない』と『紅き深爪』。川村が『カナリア』と『通過』を選んだ。
休憩後の討論ではまず永井氏が『ごちそうさん』を積極的に推すと表明した。続いて坂手氏が『カナリア』を推し、松田氏は『エコー、傷』を推す態度を表明した。
票が割れているので各々これまでの討論を参考にして審査員がそれぞれ一本のみを選ぶことにしたところ、坂手、川村、渡辺が『カナリア』を推し、横内は『僕の言葉に訳せない』、松田が『エコー、傷』、平田が逡巡の結果『通過』、永井が『ごちそうさん』と『カナリア』の三票以外は見事に一票と割れた。さらに坂手、川村より積極的な『カナリア』推薦の弁が為され、司会の確認により『カナリア』の受賞に異論はないとの全員の了承を得て決定をみた。
選評
坂手洋二
『カナリア』の最初のパートが断然面白い。不条理劇だという意見もあったが、言語の機能を使った表現として演劇というジャンルに欠かせない、「置き換え」についての考察の劇と考えると、たいへん優れている。ここに着眼することを見つけたのは幸運であるが、その視座は本人の直感に支えられている。
『ごちそうさん』は、劇作家協会インターネット戯曲講座第一期生の講座での提出作品である。講師陣の熱心な指導が功を奏して、歯ごたえのある作品が出来上がった。問題の踏み込みが甘い部分や、くっきりしていない部分がある。しかし作者はここまで果敢に踏み込んだからこそ、「説明過剰は『一般論』にしかならないことがある」という貴重な教訓を得られたはずだ。
あとの作品群はそれぞれ読みやすくはあったが、深みがあるとはいえなかった。表面的に口当たりの良さそうな表現を繋いでよしとすることは、戯曲家としての成長を阻むと肝に銘じてもらいたい。
永井愛
今の日本には現状追認主義がはびこっている。イラク攻撃には反対だけれど、小泉政権を支持するしかないとか、自衛隊の派遣には反対だけれど、行くからには頑張ってほしいだとか、不条理を不条理と認めながら、気前よく許す人が多過ぎる。
「新人」とはこういう人であってほしくない。「新人」は常に、「このままじゃ厭だ!」と踊り出てくるような人であってほしい。
『カナリア』『僕の言葉に訳せない』『通過』『紅き深爪』は、受け入れがたい状況に陥っていく人間を描き、それぞれに巧みだ。だが、これらの作品から、「このままじゃ厭だ」という声を聞きとることはできなかった。それよりも、不条理そのものを愛好して、劇の求心力をそこだけに求め、それに抗う人間的活力には無関心であるかのように感じられてならない。これも一種の現状追認主義だと言うのは言い過ぎだろうか。
『エコー、傷』『ごちそうさん』からは、現状への違和の声が聞こえた。ただし、『エコー、傷』はベンヤミンらしき人物の生涯を語る部分のスケールや密度が、女たちの会話部分で拡散するのが惜しい。
『ごちそうさん』は、焼き肉を食べながら、被差別部落問題に切り込もうとする趣向と意欲に好感を持った。一見和やかな日常に、厳として存在する人権感覚の欠如は、決して描き切れたとは言えないが、生きのいい関西弁を駆使した台詞からは、作者の確かな体温が伝わってくる。
平田オリザ
最終選考の候補のうち二名が、自分の劇団の俳優だったこともあり、とてもやりにくい審査会でした。それはただ単に、同じ劇団員だからというだけではなく、台詞一つ一つの成立している事情まで、よく分かっている戯曲なので、講評がしにくいということもありました。
受賞作の『カナリア』は、1場の怒濤の展開に心ひかれました。ただ2場以降、不気味さが影を潜め、最後は何か結論めいたものに収まっていってしまうのは、いかにももったいないと感じました。他の作品にも言えることですが、やはり最後まで書ききる体力が欲しいと思います。戯曲を書くというのは、精神のスタミナの勝負です。誰もが、書き始めには、ある種の高揚を持って書き始めるわけですが、最後までその高揚を、どうにか持続できるかどうかが、この世界で生きていけるかどうかを分けているのだと思います。
松田正隆
山本貴士さんの『エコー、傷』は、演劇が全くの未知なる他者に向けて上演されるためにあること、少くなくとも、その可能性を模索すためにあるということを、改めて思い知らされた戯曲だった。
「エコー」とは、舞台上での「言葉=声」が、過去から発っせられた無限に反復可能な声としてあり、俳優の身体(だけでなく、現実を生きる私たちの身体も)が、すでに書き込まれたものとして動かざるを得ないことを表現しているのではないか。そのことの、知的でありながらも無邪気な受容によって、はじめて他者とのつながりが可能となるのだ。つまり、上演は、過去からの呼びかけに応えることであり、そのことによって再び誰かに向けて、呼びかけることなのだ。それは、過去のエクリチュールの断片を引用することであり、作者自身の個性的な想像力だけによって生まれるものでは決してない。
様々に、不幸な出来事を描写した戯曲がたくさんある中、山本さんの作品だけが、いかに固有な不幸であれ、人間の顔や名前や仕草などと同様に反復可能であるということに自覚的であり、他者から伝えられる悲惨な出来事のエコーによって傷も移され、そのときにこそ、人それぞれ傷つき方の差異が生まれるということを認識しているように思えた。
一体エコーの発信源は何なのか。はじめに声を出し、さらに人間に不幸を書き込むという暴力をもたらした者とは。形而上学や宗教とは違い、山本さんはそれを戯曲を書くことによってもたらされた「傷」を見つめることで探ろうとしたのではないだろうか。
横内謙介
五分の一の美点に
審査員ほぼ全員一致で絶賛した『カナリア』のシーン1は、ページ数でいえばこの作品全体の約五分の一である。残り五分の四については、シーン1には遠く及ばぬ出来映えだというのも、ほぼ全員の意見であったと思うので、『カナリア』は8割の短所を持ちながら、2割の長所によって受賞したことになる。現状での不足を見詰めるか、未来の可能性に賭けるか。ここは意見の分かれる点であろうが、新人賞としては可能性に賭ける姿勢は正しいだろう。もしこの作者がシーン1の調子で、全編を書き通したら、どんな傑作が生まれるか、と期待することはとても楽しい。
個人的には、不思議な世界に論理を越えた生理的感覚で、ずるずると引き込むような『僕の言葉に訳せない』と『紅き深爪』が面白かった。特に後者の、病室一場面、暗転なしの一定時間の中で緊密な人間関係を描く手腕を買った。ただし結末に性急さと人物造形の甘さを感じた。この場合は、その小さな短所が全体の出来映えの良さを半減させてしまったかもしれない。
川村毅
『カナリア』か『通過』だと考えて出席した。あと気になったのは『僕の言葉に訳せない』だった。
私の新人賞に対する基本的態度は作品の完成度よりも、その後の作者の活躍の期待度、すなわち将来性を強く感じるものであれば受賞に値するものではないかということだ。もちろん有無をいわせないほどの完成度を持ったものがあればそれにこしたことはないが。
『カナリア』の構造と台詞には大きなものを感じた。志の高い未完成作品だ。
台詞がクリアであることと物語と戯曲を巡る構造への方法意識の明晰さにおいて『カナリア』は優れている。こうした意識をすでにあらかじめ獲得してしまっている劇作家にとってわかりやすい完成度を持った戯曲を書くのはなかなか至難のわざであって、だからこの未完成さは積極的な未完成さとも言える。
推せないと強く思ったのは『ごちそうさん』だった。たとえ新人といえども差別のことを扱ってこの程度では他の文芸ジャンルに馬鹿にされる。
渡辺えり子
『カナリア』は面白かった。戯曲集が出てから劇団員でチームを組み一場だけ稽古して貰って、発表会をやったがどの班も面白かった。やはり戯曲の台詞が面白いのである。いつか全部を上演させてほしいと願っている。
私の深読みか誤読かも知れないが、この作品を反戦の芝居と捕らえた。個とは何か? 私とは誰か? その人間の存在そのものの否定イコール戦争、少数の意志が多数に飲み込まれ、その多数の中に実は個がいないという、まさに今の社会に対する危機感といらだたしさ。そして掴みにくさと見えにくさ、しかし、この作品を評価するのは私にとっての自己愛のような気もしてきて大声を上げるのは気がひける。
『僕の言葉に訳せない』は坂手さんが言うように狭いと言えば狭いが私には面白かった。家全体が水族館になっていて、程好く酸素を与えられ、溺れる事はないが息苦しいという、日本、特に都会の屈折したコミュニケーションが描かれていると理解した。『ごちそうさん』は川村氏と永井氏の両方ともに賛同する。両方の見方ができる。だからこそ頑張って欲しい。『通過』は面白い台詞は多々あるが、私は嫌いである。残酷さがただ表面的な残酷なだけで、社会批判までは至らないと思う。『紅き深爪』は個性的な世界観がある。論理を超えた妙な魅力を感じる。もっと乱暴にその感覚を突き詰めて欲しい。『エコー、傷』は初め頭でっかちな感じがして拒否反応を起こしてしまったが、松田氏や永井氏の感想を聞くうちに読み方を変えてみようという気になった。肉体を超える何かが演劇にあるとして、肉体を感じさせない、台詞を発するための肉体がある。しかしそれは非常に訓練された肉体でなければそうは捕らえられない。
今回の作品群も福田氏の巻頭言にあるように、この世界に対するささやかな抵抗であることは間違いないのだろう。
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