第7回劇作家協会新人戯曲賞
2001年度
後援 一ツ橋綜合財団
アーツプラン21 文化庁芸術創造基盤整備事業
一次選考通過作品一覧(24作品)
| 沙羅、すべり |
芳崎洋子 |
| 火系農家 -地球移住研修生 |
中村義和 |
| サハラの星 |
沼田康弘 |
| 仏壇のない家 |
くらもちひろゆき |
| この世の果て |
高井鴎 |
| 迷いアゲハ |
しゅう史奈 |
| シズクの残像 |
今井一隆 |
| Cafe Lowside |
古川大輔 |
| 雫まで |
明神慈 |
| さぬき弁殺人事件 |
大西恵 |
| NUDE -カクトル |
内田地加王 |
| 透きとおる骨 |
詩森ろば |
| 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ) |
池谷なぎさ |
| 新選組 |
丸尾聡 |
| ここはどこかの窓のそと |
久野那美 |
| ムラスズメ |
横山拓也 |
| 蛇口 |
自由下僕 |
| タペストリーズ |
伯耆淳郎 |
| 小指と殺し屋たち |
貞岡秀司 |
| 風の通る場所 |
文月奈緒子 |
| フラミンゴの名前 |
林大輔 |
| 永代看板娘 |
新井哲 |
| そこに埋まるものはたしか |
田辺剛 |
| 帰りたいうちに |
棚瀬美幸 |
最終候補作品一覧(5作品)
| 沙羅、すべり |
芳崎洋子 |
| この世の果て |
高井鴎 |
| 蛇口 |
自由下僕 |
| 風の通る場所 |
文月奈緒子 |
| 帰りたいうちに |
棚瀬美幸 |
受賞作
佳作
最終選考会は、2001年12月16日、紀伊國屋ホール(東京都新宿区)において公開で行われた。
審査員は、別役実、鴻上尚史、斎藤憐、坂手洋二、清水邦夫、永井愛、横内謙介。
受賞作と最終候補作をすべて掲載した「優秀新人戯曲集2002」は、
ブロンズ新社から発売中(本体1,600円+消費税)。
ISBN4-89309-244-8 C0074
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総評/選考経過/選評
(劇作家協会会報「ト書き」30号より)
総評・選考経過
松田正隆
第七回劇作家協会新人戯曲賞の公開審査会は12月16日、こまつ座公演中の紀伊國屋ホールで開かれた。最終候補作品は応募総数235本の戯曲のうち、第一次審査、第二次審査を経た5作品であった。審査員は別役実、清水邦夫、斎藤憐、永井愛、坂手洋二、鴻上尚史、横内謙介の各氏であった。
芳崎洋子氏は昨年につづいての最終候補であり、作者の筆力の高さを評価する声が多くあがった。今回の候補作『沙羅、すべり』は古い倉庫が舞台で、その中に砂山があり、そこにヒロシとケイという兄弟がいて、その二人を中心に話が展開してゆくのだが、単車事故で記憶を失ったコウという人物とメグミが登場することにより劇の構造に変調をもたらすという仕掛けになっている。「社会生活から離れたところに生息する疑似家族、欠損家族の危機感が潜在的に表現されており、状況に対するやんわりとした拒絶の仕方に魅力を感じた」(清水)「透明感がありながら、砂の中に隠されたエロスがある」(横内)という新しい感覚を称賛する意見があった。
高井鴎氏の『この世の果て』は、世界が崩壊した後の「この世の果て」という町が舞台。そこに暮らす三日月昇を主人公に、不可思議な登場人物が次々に現れ、物語は展開する。「様々な人物が出てくる度に色が変わって、出会いの面白さがあり、日常をとても美しく彩っている作品」(永井)「善人ばかり出てくる芝居はけなされるものだが、この作品には明るい悲しさがあり、人間関係や会話が清々しくて魅力的だった」(斎藤)など、好感が持てるという意見もあったが、「ちょっとメルヘンチックすぎる」(別役)「原発事故がやや情緒的で最後まで気にかかった」(清水)という声もあった。
自由下僕氏の『蛇口』は瀬戸内の地方都市を舞台にした、母親と娘の二人芝居。二人は父親の七回忌を行おうとして親戚たちを待っている。法事の挨拶の練習をしたり、引き出物のことを話し合ったりする日常の一コマを細く描写した作品。台所の水道の蛇口からは雫がたまに落ちる。「時間の紡ぎ方が非常に見事」(別役)「小道具の使い方も上手い」(鴻上)「日常のさりげない描写とその裏側にある大きな世界との格闘を蛇口からの雫に象徴させているのではないかと思い新人らしからぬ筆力を感じた」(横内)など、傑作だと評価する声があがった一方で、「上手に最後まで破綻なく終わった」というような終わり方への不満もあった。
文月奈緒子氏の『風の通る場所』は、設計事務所に勤める美奈が主人公。彼女のマンションと事務所の二箇所で劇は進行する。美奈の部屋に友人佐代子がチェストとドールハウスを持って引っ越して来る。そのチェストの引き出しはひとりでにあいてしまう不思議なものである。設計事務所では客とのトラブルや無言電話が頻繁にかかってくるという問題を抱えている。そして、例のチェストからは異臭がし始め、中に赤ん坊の死体が入っていたという恐怖の結末となる。「怖い、とても怖い作品でした。人物設定もすべて怖い作品で読み物として凄く怖かった。それに、この作者は幻の希望なんか書きたくないと思っている」(鴻上)に代表されるような、その怖さを称賛する意見が多く出た。また、「この人はミステリーではなくて、家と女性の関わりとしての壮大な神話を作りたかったのではないか」(横内)という意見もあった。その一方で「テレビドラマの脚本を読んでいるよう」(斎藤)「女性は困難な時代を生きているということが表現されているのはわかるが、病んでいる姿ばかり強調されていて、具体的な個人個人の個性のある会話の膨らみに欠けている」(永井)という声もあった。
棚瀬美幸氏の『帰りたいうちに』は、大阪の老人性痴呆症のグループホームが舞台。ホームの周りには「記憶の森」があり、そこへの道が何本も交差し合っている。この作品は俳優が、痴呆老人同士で会話を語り合ったり、老人たちとその息子や嫁などを演じ分けたり、そのうち介護士を演じていた者が実は介護されていたという人物になったり、非常に複雑な演劇的仕掛けを持っていることが、高く評価された。「最後に残った子供のような言葉の中から老人の最終的な姿が見えてくるというのは、老人問題を越えて人間の人生の時間というものを感じさせる。人間の行き着く姿をこのようにお洒落に演劇化したということに感心した」(永井)
しかし、二役という構造には、目の付け所がいいという意見に対して、やろうとする事と実際に舞台上で見えてくる現象との間に食い違いが生まれるのでは、という疑念を差しはさむ批判もあった。
以上の作品をそれぞれ討議した後、一度目の投票を行った。各審査員が良いと思う二つの作品に投票した結果、『帰りたいうちに』5票、『この世の果て』3票、『沙羅、すべり』2票、『風の通る場所』2票、『蛇口』2票、となった。休憩後、二度目の投票となった。今度は、一番良いと思う作品一つに投票してもらった結果、『帰りたいうちに』が一番多くの票を得た。次点が1票差で『沙羅、すべり』であった。
坂手氏の『沙羅、すべり』を推す、「外部の世界が見えてない内向的な作品が多いなか、この作品が唯一見えないなりに外部と格闘している感じがした」という声もあがったが、この作品を佳作にという横内氏の発案があって全審査員の意見がまとまり、受賞作は『帰りたいうちに』に決定した。
後援の一ツ橋綜合財団と文化庁、紀伊國屋ホール、こまつ座の皆様、一次二次最終と審査に携わってくださった方々に厚く御礼を申し上げます。
選評
別役実
私が今回、最終候補に残った五本の内で注目したのは、自由下僕氏の『蛇口』と、棚瀬美幸氏の『帰りたいうちに』であった。前者は、夫の七回忌を準備しつつある家庭の、母と娘だけの芝居であるが、台詞まわしも運びも安定し、完成度も高い。しかし、今ひとつ「現代」に対する切りこみが不足しているように思われた。
比較して後者の方は、老人痴呆症の施設を描いたものであるが、何よりも魅力的だったのは、痴呆とも正常ともつかぬ状況が、それとなくこれとなく持続してゆくという展開であろう。言ってみればこの点が、「痴呆を痴呆として信じこもうとしている」現代に対する、痛烈な批評になっていることは言うまでもない。最後に、介護人だと思われていた人物が患者であったという転換があり、「それならもうちょっと前に伏線を」という気はしないでもないが、ドラマの本質は損われてはいない。というわけで、私はこちらの方を受賞作として推した。
他では、芳崎洋子氏の『沙羅、すべり』、文月奈緒子氏の『風の通る場所』に関心を持ったが、前者は、ドラマもしくは情景の核というものがなく、散漫な印象を捨て切れず、後者は、オカルト的関心に対する距離感があいまいで、「現代」を形造るには力弱いと考えた。
鴻上尚史
今回の作品の中では、僕は『風の通る場所』を推しました。しっかりとした筆力を評価したのです。ただし、その世界観として、「女性の苦しさ」をうたうだけではなく、そこからもうひとつ、演劇でしかできない「なにか」が指向されているといいと思いました。
『沙羅、すべり』は、確かな実力があり、佳作にふさわしいと感じます。ただし、力量のある人ですから、もうひとつ、物語に踏み込んで欲しいと思います。
『帰りたいうちに』は、作者の若さに可能性を感じました。大きく成長してほしいです。
斎藤憐
「人間に対するあまりに善意な眼差しが、時代を見る目を曇らせている作品が多い」と講評を書こうとしたとたん、「そんなことテメエに言えるか」という自問自答が返ってくる。
発した批評が自分に返ってくるから「公開審査」に出ることは苦しい。でも、僕たちは批評家ではないので、応募者とともに、その苦しさに耐えていこうと思う。そして、批評家ではないので、「今年は作品の程度が低い」とか「力ある劇作家が生まれてこない」とか、他人ごとのように言って済ますわけにはいかない。
締め切りが七月なので、「世田谷パブリック・シアター」と共催している戯曲セミナーの受講生からの応募が少なかった。
たしかに、この十年のうちに、戯曲賞が沢山生まれた。
だが、戯曲賞を作れば劇作家が生まれるというほど簡単ではない。
そして、一年間の講座で力量を持った作家が生まれることもないだろう。
だから協会の理事会では、「劇作家を生み出すためには、セミナー受講生の中から、何人かを選んで少人数のセミナーを創設する必要がある」との意見も出ている。
今年から、インターネットによる戯曲講座の用意も始めるつもりだ。
坂手洋二
時代的特徴と言っていいのであろう。例えば映画では『メメント』、『バニラ・スカイ』とその原作『オープン・ユア・アイズ』のように、混濁する主人公の意識の中でのみ物語が進行するというパターンが流行しはじめている。個人の「自己」への疑いそのものがテーマ。共通項は徹底した内向性であり、彼らは「自己」について悩むのみで「自己」を支えている「共同体」について真剣に疑おうとすることはない。あるいは「疑いを持つ必要がない」と決めつけ言及を避けている。
二次と最終のほとんどの作品にも、社会と個人の関わりの中にドラマを見出すという視点が疎んじられている気配がある。何らかのかたちで「共同体」に対する問題意識が浮上しても、それは背景の軽い色づけや装飾品に終わる場合が多い。
なぜ高井鴎さんは『この世の果て』の中で原発についての記述をぼやかしてしまうのか。自由下僕さんは『蛇口』を親子ふたりだけの劇にする必要がほんとうにあったのか。文月奈緒子さんの『風の通る場所』には日常と折り合いのつけられない人々が大勢出てくるが、なぜ作者は彼らをスケッチするのみで、彼らと共に劇構造の中で足掻こうとしないのか。
老人介護の問題に取り組んだ棚瀬美幸さんの『帰りたいうちに』だが、じつは登場人物に対して均等に組まれたパズル構造じたいが作者の目的である。「男」も「老人」だったというオチは、テーマを収斂させるのではなく、かえって作者の「内向」の淵深くに遠ざけてしまっているのではないか。
芳崎洋子さんの『沙羅、すべり』も、五人の人物のうち、先に登場する三人が、後に登場する二人の想像上の者たちであったという「内向型」作品である。が、陳腐なイメージや無用な長さの部分を差し引いても、「彼らはそうでなければならなかった」という作者の想像力のエネルギー、身体性を感じさせるという面では他を凌いでいる。作者が劇構造や人物を整理しきれなかったことに起因するとはいえ、どういうわけかこの作品の「内向型」構造のストーリーじたいが多くの審査員に理解されていなかったのは、あんまりだという気がした。佳作に推した所以である。
清水邦夫
今回、最終審査に残った作品は、それぞれ読みごたえのある内容のものばかりで、それも“廃墟幻想”とか“疑似家族”とか、そういうものをシンにおいているのが大変印象的でした。ストーリー構成の展開もいずれも一筋縄ではなく、正直いいまして読んでいくのにある種のエネルギーがいり、また人間カンケイも『蛇口』をのぞいて、曖昧というか、謎めいているというか、そういうものが少なくなかったのですが、それが人間の〈暗部〉をぼうっと浮かび上がらせる効果があり、明確なストリー性のある空虚なドラマよりずっとよかったと思います。
わたしはあれこれ迷いながらも最終的には、『沙羅、すべり』を第一位の候補作品として選択しておりました。残念ながら、『沙羅、すべり』は最優秀受賞作には選ばれませんでしたが、この作家は独自のリズムと世界観をもっており、また近いうちに新しい質の作品を発表することを切に期待しております。
永井愛
痴呆老人を老人らしくは描かず、その精神にだけ踏み入ろうとするのは突飛なことに違いない。『帰りたいうちに』は、それを気張らずにやりとげて、痴呆を誰しもが抱える心の迷路と重ねて見せる飛躍力を持っている。
『この世の果て』は確かに宮沢賢治の作品に頼りすぎているとは思うが、ここに流れた美しい時間も捨てがたい。この作者も肩の力を抜いたまま、決して自分を許せない人間の想念をメルヘンに昇華させた。
『沙羅、すべり』と『蛇口』には繊細な技巧を感じるものの、そこから場に堆積するはずのものが、私にはつかみきれなかった。この二人はしっかりした台詞の書ける人だと思うので、もっと広い地平で勝負してほしい。
『風の通る場所』は作者の意図に台詞が追いついていない気がする。情報を適切に伝えようとするあまり、台詞がかえって平凡になり、人物の面白味や立体感を損なってしまったのではないだろうか。
横内謙介
構成力とセリフ術、そのバランスの良さといった劇作の技術論から言えば『蛇口』の自由下僕さんと『風の通る場所』の文月奈緒子さんの力量が突き抜けていたと思う。ただ彼らにとってこれらの作品がどうしても今書き上げなくてはならないものであったかどうかという点では、彼らを推した私にも少し不満が残る。他の選考員から指摘があった、上手いけど予定調和的、ありきたりなところに収束しているという感想を打ち破るほどのパワーはなかった。彼らはまだ、真に彼らが書き上げるべきテーマと出会っていないという気がする。彼らが今の力を持ってそういうテーマに出会い、自分でも驚きつつ何かを書き上げるようなことがあったら、新人賞に収まらない傑作が生まれるだろう。その点、受賞作はバランスは悪いけれど書かねばならない切実さがこもっていた。
『沙羅、すべり』の芳崎さんにも期待したい。昨年から連続の入賞で、確実に独自の世界を生み出しつつあると思う。あとはその世界に他者をひきつける説得力だ。
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