


12月12日(日)、第16回 劇作家協会新人戯曲賞公開審査会が、座・高円寺に於いて行なわれた。
審査員は、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、斎藤憐、坂手洋二、佃典彦、マキノノゾミ、横内謙介、渡辺えりの7名 (50音順)。司会を務めたのは、日本劇作家協会の運営委員として、新人戯曲賞を長年にわたり担当している小松幹生。
応募総数170本から一次・二次審査を経て選出された、今年度の最終候補作は6本。全国からの応募があった中、最終候補者の居住地は、東京と愛知が各2名、京都と神奈川が1名ずつとなった。
まずは1作品毎に討議をし、審査員それぞれの観点からの意見を出す。その後に各審査員が推す作品を、2本ずつ記しての一次投票。15分ほどの休憩を挟んで再度の討議では、各審査員が一次投票で押した作品を中心に、より闊達な意見交換が行なわれた。そして最終投票に至るという審査の流れだ。
結果は、当新人戯曲賞初の、2作品への授賞。『トラックメロウ』の平塚直隆氏は37歳。名古屋を拠点とする劇団“オイスターズ”の座付作家を務める。『ここまでがユートピア』の鹿目由紀氏は34歳。同じく名古屋を拠点とする劇団“あおきりみかん”の主宰で、愛知県の2名の選出となった。
選考経過報告(執筆:小松幹生)を以下に掲載する。なお、司会進行を行ないつつのメモ書きに基づいた報告であるため、各審査員のより詳細な意見・感想や発言意図等については選評でご確認いただきたい。
審査員は、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、斎藤憐、坂手洋二、佃典彦、マキノノゾミ、横内謙介、渡辺えりの7名 (50音順)。司会を務めたのは、日本劇作家協会の運営委員として、新人戯曲賞を長年にわたり担当している小松幹生。
応募総数170本から一次・二次審査を経て選出された、今年度の最終候補作は6本。全国からの応募があった中、最終候補者の居住地は、東京と愛知が各2名、京都と神奈川が1名ずつとなった。
まずは1作品毎に討議をし、審査員それぞれの観点からの意見を出す。その後に各審査員が推す作品を、2本ずつ記しての一次投票。15分ほどの休憩を挟んで再度の討議では、各審査員が一次投票で押した作品を中心に、より闊達な意見交換が行なわれた。そして最終投票に至るという審査の流れだ。
結果は、当新人戯曲賞初の、2作品への授賞。『トラックメロウ』の平塚直隆氏は37歳。名古屋を拠点とする劇団“オイスターズ”の座付作家を務める。『ここまでがユートピア』の鹿目由紀氏は34歳。同じく名古屋を拠点とする劇団“あおきりみかん”の主宰で、愛知県の2名の選出となった。
選考経過報告(執筆:小松幹生)を以下に掲載する。なお、司会進行を行ないつつのメモ書きに基づいた報告であるため、各審査員のより詳細な意見・感想や発言意図等については選評でご確認いただきたい。

小松幹生
審査会は定刻6時30分開始。
客席は見た目、いっぱい。普通の芝居の客席と違って義理の客がいないから、その視線の束がこちらを鋭く射てくるのが心地よい。

司会役のわたくしの内容説明のあと、まず審査員として初登場のケラリーノ・サンドロヴィッチさんに口火を切ってもらう。「80年代に流行った、時空が過去に飛んだり未来に行ったりする作品は、決まっていつも、最後は元の現在に戻る。でもこの作品は戻らない、未来のままに終わる、そこが新しい」。
次は誰に、と考える間もなく渡辺えりさんがしゃべりだす。このしゃべり、ぼくのメモには「卵子と精子の結合」としか書いてない。「要するにさあ、それが、だから、どうしたのよ、ということになるじゃない」とかなんとか言ったんだと思う。審査員達、ちょっと沈黙。と、佃典彦、静かに言う、「これは、一人の女を選び、結婚に踏み切る男への応援歌だと思う」と。
このあたりからすぐに、横内謙介をはさんで3人並んだ佃、渡辺の短い言葉のやりとりがあって、「主人公の男シメタが結婚した相手ヤエに腫瘍がみつかったことから、昔を思い出すという話で、エロスとタナトスがテーマだ」と坂手洋二審査員の指摘があり、なお議論が尽きないのを「時間が足りませんので、このへんで、次へ移ります」と司会が割って入る。
審査会では何度もこのセリフを言ってしまうことになり、場内は喜んでくれるのだが、いつ、議論をとめて割って入るかで、司会役は四苦八苦の、しかし、なかなか楽しい展開です。
二本目、秋之桜子『猿』。
これは昭和12年8月12日、古びたカフェに集まる小説家たちの物語。「二・二六事件、あれは天皇の裏切りですが、そういう時代背景の中での文学者たちの行動を跡づけて、評価できる」と、斎藤憐さん。
それはいいとして、しかし、と渡辺さんの意見。「いつも二階からあえぎ声が聞こえる、その女の存在を、プラトニックな愛を至高のものと言いながら、やらせてくれる女を簡単に利用する男の論理を、作者がどう思って書いているのかが、作者が女性だけに気になる」。
マキノノゾミ審査員「この作者は、女性性というものに嫌悪感を持って書いているんだと思う」。
KERAさんと佃さんが「矛盾を矛盾としてそのまま書きたかったんだよ」。横内審査員「斎藤さんの言う社会的な問題とおサルさんゴッコ(セックスに耽ること)との関係がどうなっているのか」が不明だとの指摘。

坂手審査員が「現代の村の出来事として描かれているのだが、ここに至るどういう近世、近代があったのかが欲しい」と言うと、マキノ審査員が「それは無くてもいいのではないか。セリフも人物設定も、技術的にもよく書けているし、因習から自立する女というものが鮮明だ」と述べる。
と、横内審査員「その自立する女が、因習の通りに男を受け入れるのは何故なのか、それが書けてないのでは」と反論。
四本目、滝本祥生『春の遭難者』。
「力を感じるが、このロッジにやってくる問題の男が書けていない」と横内さんが言うと、渡辺さんが、雪に遭難して凍えている男を「助けるかどうか、この性犯罪被害者の女たちの反応が、ひといろで、もっと皆一人ひとり違うはずで、その中での葛藤がほしい」。
斎藤さん「レイプは悪い、でおしまいになる作品だ」、とやや評価の低いなかで、マキノさんが、「しかし、助けようとする村の娘と性犯罪被害者の女たちとの緊迫した議論の場は面白い。真摯な思いで書かれている」と評価する意見を出す。
五本目、平塚直隆『トラックメロウ』。
KERAさん「笑わせてなんぼの話だ。笑いだけだが、しかし、これは並大抵の努力じゃない。行き当たりばったりの面白さ」。マキノさんも「一番、笑った、でも意味がわからなかった」と言えば、斎藤さんが「これは、無責任な群衆というものについて書かれたものだよ」と指摘。
そして渡辺さん「正しい行動を一生懸命取ろうとするバスの添乗員が、無関心な他の人たちの反応のなかで、だんだんとおかしくなっていく。今の世の中は、こうだよ、ということが見事に描かれている。それに、こんな笑った作品はない。夜中に読んでいて一人で大笑いした」。佃さんは「前半は面白いが、トラックメロウ(女運転手)が登場してからが面白くない」と、批判を述べる。
六本目。鹿目由紀『ここまでがユートピア』。
佃さん「生活に不安のない実験の場所で、人間同士が関係を持とうとすると、どうしても上下関係を決めないといけなくなるという、その設定が面白い」。マキノさん「わくわくして読んだ。上演するのを想像すると、スピード、身体性の高い作品だ」。坂手さん「抽象的なゲームの設定だが、どうしても人物紹介だけで終わっている感じがする」。
横内さんが「ユートピア国の規則が支配権の及ぶのは半径75センチとあって、一人一人その範囲で独立し、他の人に関わらない、これが世の現状だとしている」と述べると、「その現実を風刺している。そして、世の中はこんな具合だが、それでも私たちは演劇をしていくのだという決意が描かれている」と渡辺さん。
ここまでで1時間45分。慣例によりここで一回目の投票です。7人の審査員に紙を渡して、よいと思う作品2本を、書いてもらいます。観客の見守るなかで、ボードに○印を書いていく。
集計すると、『どどめジャム』2、『猿』3、『朔日に紅く咲く』1、『トラックメロウ』4、『ここまでがユートピア』4。
審査員、観客、みんなでしばし眺めたあと、休憩です。
さて、再開後。七人の審査員に、順次、自分の挙げた2作品を比較しながら、どちらを上位に押すかを喋ってもらう。『猿』、『トラックメロウ』、『ここまでがユートピア』についての議論は、休憩前よりいっそう深い議論になり、30分の予定時間が足りなくなりそうな具合でした。

結果、『トラックメロウ』が3票。『ここまでがユートピア』が3票。となったところで、渡辺えり審査員が迷います。そうでした。票が出そろったあとでは、自分の1票で決まる、という成り行きになってしまい、書かないやり方にしたのを、ちょっとだけですが、反省。4票になった作品が授賞、もう1つが佳作、という意見も審査員から出ます。
2時間半の充実した議論を聴いていて、司会役のわたくしが提案。これは、一方を佳作にする、というやり方では収まらないだろう、もう2作品同時授賞しかないではないか、と。まず観客席からの拍手をいただき、審査員たちの顔をながめました。さあ、どうだったでしょうか。しぶしぶの顔もあったかもしれません。よく見えませんでした。
ともかく拍手のうちに、『トラックメロウ』と『ここまでがユートピア』2作品を受賞作とすると決定したのでした。
なお、表彰状はちゃんと2枚用意してあるのでした。どうしてだ?
*写真
上:(左より) 斎藤憐 渡辺えり 横内謙介 佃典彦
中:(左より) 小松幹生 マキノノゾミ ケラリーノ・サンドロヴィッチ 坂手洋二
下:(左より) 平塚直隆 鹿目由紀

ケラリーノ・サンドロヴィッチ
私が推したのは、秋之桜子『猿』と平塚直隆『トラックメロウ』の二本。
前者は昭和初期を舞台にした湿潤でエロチックな作劇に惹かれたが、なんといっても後者である。不条理喜劇というより、ナンセンスコメディと記すべき、軽やかで、「笑いの為の笑い」にのみ奉仕するこのような作品が、最終選考まで残ったことは、協会の柔軟さを示しているようで、協会員として喜ばしくもあり、なんとしても推したかった。くだらないだけの戯曲である。不毛さ以外何もない。そこが素晴らしい。後半の失速さえなければ文句なしの傑作。
鹿目由紀『ここまでがユートピア』はメッセージがでしゃばり過ぎて、私には少々欝陶しく感じられた。同じ喜劇でも『トラックメロウ』と正反対といってもよい姿勢が透けて見える。こうした戯曲は、うまく書けていれば書けているほど好きになれない。選考委員としては無茶苦茶なことを言ってるのかもしれないが、「うまい」作家はいくらでもいる。うまさが仇になるケースは、むしろ、今、多いのではないか。
斎藤 憐
今年は演劇的工夫が随所に見受けられる力作がならんだ。
『猿』 二・二六事件の翌年、日中戦争が始まった困難な時代を生きた作家と編集者の物語を深刻にならずに描き出している。朴が在日朝鮮人の設定が、活かされていないのが少し残念。
『朔日に赤く咲く』 神のヨリシロである傘という小道具が光っている。
『春の遭難者』 性犯罪被害に遭った女性たちが住む山荘に男の遭難者がたどり着く。弱者と強者が入れ替わる経緯で、相互が理解しあうきっかけをつかむという設定が見事。
『トラックメロウ』 不特定な観光バスの乗客が混乱するスケッチから、大衆の無責任さを鋭く描き出している。
『ここまでがユートピア』 ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984』を思わせる恐ろしいユートピア社会を表して見事でした。
坂手洋二
平塚直隆『トラックメロウ』と鹿目由紀『ここまでがユートピア』の同時受賞、名古屋勢の躍進を喜びたい。平塚作品の経験に裏打ちされたセンスと軽快なテンポ、鹿目作品の劇団の力を信じたちからわざ、それぞれが東海地区劇作家の底力と層の厚さを示している。東海支部は、もはや人気定番となったイベント「劇王」で、新たな会員たちに確実に実力をつけさせている。劇作家協会がこれからどう活動していくか、多くの示唆を受ける。これからも大いに期待している。
候補作全体にいえるのは、なんだか自信がない感じがすることだ。「わかりやすすぎる」ことを怖れず、シンプルでストレートな作品を生み出して欲しいと思うと同時に、「わかりにくい」と思われてしまうことを避けずに、自分が書きたいことを徹底して書きたい書き方で書いてみてはどうだろう。才能は、ぼんやりとした中庸からは、うまれない。
佃 典彦
名古屋のミラーマン・佃です。
今回の新人戯曲賞選考会は僕にとって嬉しい結果となりました。名古屋の地から挑戦した二人が同時受賞、この快挙に名古屋の街は沸きました。『ここまでがユートピア』は隔離された島で人間一人に半径75センチのテリトリーが与えられると言う政策に集められた人々の話。衣食住が満たされた空間に不都合な人間関係。ここに現代社会の縮図を見る思いで才能を感じました。『トラックメロウ』は平塚独特のセリフ回しと、ズルズルと引き擦り込まれる様な笑える展開に才気を感じました、が、僕は少々後半の強引さが気になりました。『どどめジャム』は《岩を持ち上げる》という単純作業に男の人生を重ねたところが面白く、短いセリフで現在と過去と未来を行き来する手腕に感動しました。
以上の三本が特に印象に残りました。
マキノノゾミ
いわゆるオーソドックスなストレートプレイ・スタイルの候補作は、残念ながら今年はやや低調であったと思う。秋之氏の『猿』は、どうしてもこの作品でなくてはならなかったという作者の内的必然性があまり感じられなかった。「一度こういうスタイルのものも書いてみようか」くらいの気持ちで書かれたものだと思う。といって、これは非難ではない。そういう気分で書くということもあっていい。ただ、昭和初期の文壇バーを舞台にしている以上は、観客を心地よく騙し酔わせるディテイル、その時代らしさを感じさせる台詞術といった「芸」がもう少し必要だと思う。
対照的に、滝本氏の『春の遭難者』は「性犯罪被害者たちのその後の生活と自立」というたいへんに重い主題を扱った、作者がどうしても書きたかった作品と思わせる。ただ、惜しむらくは、まだまだ書く技術が未熟である。作者にとって大事なテーマであるからこそ、この作品に本当に見合う自分のスタイルを見つけるために、さらに広範な他の戯曲などを読むなどして、粘り強く書き直してゆくことをお勧めしたい。当分の間は決して古くならない重いテーマであるのだから。
咲氏の『朔日に紅く咲く』は、関西の片田舎の旧家を舞台に、その集落に今でも残っているらしき因習を背負う娘と彼女にからむ他の三人の物語だが、登場人物の性格などもそれぞれ個性的に活写されており、全体に説明過多にもなっておらず、手堅くまとまった小品であると感じた。因習のグロテスクさも露悪的には描かないことで、不気味さとともに静かな哀しみさえたたえているし、最後には一筋の希望も綴られる。作品世界に対する好き嫌いは別にして、少なくとも、技術的にはもっともよく書けていたと思う。もう少し評価を受けてもよかったのではないか。
最終的には、受賞作の一つである鹿目氏の『ここまでがユートピア』を推した。「自分病」を持て余す現代人を主題にした近未来ものだが、内向しがちな主題であるにもかかわらず、突飛なアイデアと、何よりも身体性を強く感じさせる点に、ある種の爽快感と、演劇としての力強さがあると思った。
初の同時受賞となった平塚氏の『トラックメロウ』については、「今回もっとも笑えた作品」ということでは他の審査員諸氏と同じ見解である。ついでながら、鹿目氏と平塚氏は東海支部の短編演劇コンクール「劇王」の昨年の決勝戦を戦った者同士である。今回の両氏の同時受賞は、東海支部が続けてきた好企画「劇王」の成果が実を結んだかたちであり、その実力を証明した格好である。あらためて東海支部の関係者に敬意を表したい。
横内謙介
『トラックメロウ』と『猿』を推した。
『猿』は、なぜこの時代のこの人々を描くのか、そこに腑に落ちる仕掛けが一つ欲しかったけれど、登場する者たちが軍靴迫る状況下、窮屈な人間関係の中で猿的行為にまみれてゆく様が滑稽で哀しく、加えてどこか恐ろしく描かれている点が興味深かった。
『トラックメロウ』の魅力は、俳優が舞台上でやり合う時に、格別に生き生きと響くであろう、会話の妙である。目で読んでいても、その音が誰かの声で聞こえてくるような軽快なセリフである。そのセリフに心地よく包まれているうちに、どこか狂った世界に誘われてしまう。この作者は書斎でなく、劇場で書く、優れた芝居書きだと思う。今後の活躍に大いに期待したい。
『ここまでがユートピア』の受賞に異論はない。ただ寓話としては人間の動きがあまりに小さく、かといって自然な話とは到底言えぬ、ご都合に溢れる曖昧さを私は欠点と見た。
しかしそこに斬新さと誠実さを読み取ることが可能なことを、審査会で佃氏の意見などを聞いて得心できた。演出によって、仕上がりが大きく変わる予感もあり、上演されたものを是非見てみたいと思った。
渡辺えり
『トラックメロウ』は「本当に今の世の中こうだよな」と思わせる設定と人物像のデフォルメが巧みで、後半のシュールな展開も見事だった。大いに笑わせて貰った。
『ここまでがユートピア』は厄介で面倒な舞台ならではの創意工夫が面白く、生身の役者が大汗かいて演じる手作り感で笑わせる作品を久しぶりに読ませていただいて嬉しかった。
『どどめジャム』は、誤読してしまったかもしれない。精子が卵子に辿り着き出産するまでの過程を描いた作品かと思った。男女の役割を決めつけているような点が気になった。
『猿』は上演された作品を生で拝見したらまた別の感想を持ったかもしれないが、読後感はやりきれなかった。女性とは何か?男社会の中で人間としての女性の存在を男の眼でしか見られなくなってしまったのではないか?とせつなくなってしまったのだ。
『春の遭難者』はもっと取材を重ねたり、資料を集めたりして親身になって描かなければ、実際に被害にあった方たちの傷口をさらに開くことになりかねず、そうなると、かえって作者の思いに逆行することになるのではないかと思う。
『朔日に紅く咲く』は個性的で興味深い観点から描かれていると思った。寺山修司の『犬神』ではないが、さらに突っ込んで土着的な要素を迷わず書き込んだ方がテーマがはっきりしたように思った。
鹿目由紀『ここまでがユートピア』はメッセージがでしゃばり過ぎて、私には少々欝陶しく感じられた。同じ喜劇でも『トラックメロウ』と正反対といってもよい姿勢が透けて見える。こうした戯曲は、うまく書けていれば書けているほど好きになれない。選考委員としては無茶苦茶なことを言ってるのかもしれないが、「うまい」作家はいくらでもいる。うまさが仇になるケースは、むしろ、今、多いのではないか。
斎藤 憐
今年は演劇的工夫が随所に見受けられる力作がならんだ。
『猿』 二・二六事件の翌年、日中戦争が始まった困難な時代を生きた作家と編集者の物語を深刻にならずに描き出している。朴が在日朝鮮人の設定が、活かされていないのが少し残念。
『朔日に赤く咲く』 神のヨリシロである傘という小道具が光っている。
『春の遭難者』 性犯罪被害に遭った女性たちが住む山荘に男の遭難者がたどり着く。弱者と強者が入れ替わる経緯で、相互が理解しあうきっかけをつかむという設定が見事。
『トラックメロウ』 不特定な観光バスの乗客が混乱するスケッチから、大衆の無責任さを鋭く描き出している。
『ここまでがユートピア』 ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984』を思わせる恐ろしいユートピア社会を表して見事でした。
坂手洋二
平塚直隆『トラックメロウ』と鹿目由紀『ここまでがユートピア』の同時受賞、名古屋勢の躍進を喜びたい。平塚作品の経験に裏打ちされたセンスと軽快なテンポ、鹿目作品の劇団の力を信じたちからわざ、それぞれが東海地区劇作家の底力と層の厚さを示している。東海支部は、もはや人気定番となったイベント「劇王」で、新たな会員たちに確実に実力をつけさせている。劇作家協会がこれからどう活動していくか、多くの示唆を受ける。これからも大いに期待している。
候補作全体にいえるのは、なんだか自信がない感じがすることだ。「わかりやすすぎる」ことを怖れず、シンプルでストレートな作品を生み出して欲しいと思うと同時に、「わかりにくい」と思われてしまうことを避けずに、自分が書きたいことを徹底して書きたい書き方で書いてみてはどうだろう。才能は、ぼんやりとした中庸からは、うまれない。
佃 典彦
名古屋のミラーマン・佃です。
今回の新人戯曲賞選考会は僕にとって嬉しい結果となりました。名古屋の地から挑戦した二人が同時受賞、この快挙に名古屋の街は沸きました。『ここまでがユートピア』は隔離された島で人間一人に半径75センチのテリトリーが与えられると言う政策に集められた人々の話。衣食住が満たされた空間に不都合な人間関係。ここに現代社会の縮図を見る思いで才能を感じました。『トラックメロウ』は平塚独特のセリフ回しと、ズルズルと引き擦り込まれる様な笑える展開に才気を感じました、が、僕は少々後半の強引さが気になりました。『どどめジャム』は《岩を持ち上げる》という単純作業に男の人生を重ねたところが面白く、短いセリフで現在と過去と未来を行き来する手腕に感動しました。
以上の三本が特に印象に残りました。
マキノノゾミ
いわゆるオーソドックスなストレートプレイ・スタイルの候補作は、残念ながら今年はやや低調であったと思う。秋之氏の『猿』は、どうしてもこの作品でなくてはならなかったという作者の内的必然性があまり感じられなかった。「一度こういうスタイルのものも書いてみようか」くらいの気持ちで書かれたものだと思う。といって、これは非難ではない。そういう気分で書くということもあっていい。ただ、昭和初期の文壇バーを舞台にしている以上は、観客を心地よく騙し酔わせるディテイル、その時代らしさを感じさせる台詞術といった「芸」がもう少し必要だと思う。
対照的に、滝本氏の『春の遭難者』は「性犯罪被害者たちのその後の生活と自立」というたいへんに重い主題を扱った、作者がどうしても書きたかった作品と思わせる。ただ、惜しむらくは、まだまだ書く技術が未熟である。作者にとって大事なテーマであるからこそ、この作品に本当に見合う自分のスタイルを見つけるために、さらに広範な他の戯曲などを読むなどして、粘り強く書き直してゆくことをお勧めしたい。当分の間は決して古くならない重いテーマであるのだから。
咲氏の『朔日に紅く咲く』は、関西の片田舎の旧家を舞台に、その集落に今でも残っているらしき因習を背負う娘と彼女にからむ他の三人の物語だが、登場人物の性格などもそれぞれ個性的に活写されており、全体に説明過多にもなっておらず、手堅くまとまった小品であると感じた。因習のグロテスクさも露悪的には描かないことで、不気味さとともに静かな哀しみさえたたえているし、最後には一筋の希望も綴られる。作品世界に対する好き嫌いは別にして、少なくとも、技術的にはもっともよく書けていたと思う。もう少し評価を受けてもよかったのではないか。
最終的には、受賞作の一つである鹿目氏の『ここまでがユートピア』を推した。「自分病」を持て余す現代人を主題にした近未来ものだが、内向しがちな主題であるにもかかわらず、突飛なアイデアと、何よりも身体性を強く感じさせる点に、ある種の爽快感と、演劇としての力強さがあると思った。
初の同時受賞となった平塚氏の『トラックメロウ』については、「今回もっとも笑えた作品」ということでは他の審査員諸氏と同じ見解である。ついでながら、鹿目氏と平塚氏は東海支部の短編演劇コンクール「劇王」の昨年の決勝戦を戦った者同士である。今回の両氏の同時受賞は、東海支部が続けてきた好企画「劇王」の成果が実を結んだかたちであり、その実力を証明した格好である。あらためて東海支部の関係者に敬意を表したい。
横内謙介
『トラックメロウ』と『猿』を推した。
『猿』は、なぜこの時代のこの人々を描くのか、そこに腑に落ちる仕掛けが一つ欲しかったけれど、登場する者たちが軍靴迫る状況下、窮屈な人間関係の中で猿的行為にまみれてゆく様が滑稽で哀しく、加えてどこか恐ろしく描かれている点が興味深かった。
『トラックメロウ』の魅力は、俳優が舞台上でやり合う時に、格別に生き生きと響くであろう、会話の妙である。目で読んでいても、その音が誰かの声で聞こえてくるような軽快なセリフである。そのセリフに心地よく包まれているうちに、どこか狂った世界に誘われてしまう。この作者は書斎でなく、劇場で書く、優れた芝居書きだと思う。今後の活躍に大いに期待したい。
『ここまでがユートピア』の受賞に異論はない。ただ寓話としては人間の動きがあまりに小さく、かといって自然な話とは到底言えぬ、ご都合に溢れる曖昧さを私は欠点と見た。
しかしそこに斬新さと誠実さを読み取ることが可能なことを、審査会で佃氏の意見などを聞いて得心できた。演出によって、仕上がりが大きく変わる予感もあり、上演されたものを是非見てみたいと思った。
渡辺えり
『トラックメロウ』は「本当に今の世の中こうだよな」と思わせる設定と人物像のデフォルメが巧みで、後半のシュールな展開も見事だった。大いに笑わせて貰った。
『ここまでがユートピア』は厄介で面倒な舞台ならではの創意工夫が面白く、生身の役者が大汗かいて演じる手作り感で笑わせる作品を久しぶりに読ませていただいて嬉しかった。
『どどめジャム』は、誤読してしまったかもしれない。精子が卵子に辿り着き出産するまでの過程を描いた作品かと思った。男女の役割を決めつけているような点が気になった。
『猿』は上演された作品を生で拝見したらまた別の感想を持ったかもしれないが、読後感はやりきれなかった。女性とは何か?男社会の中で人間としての女性の存在を男の眼でしか見られなくなってしまったのではないか?とせつなくなってしまったのだ。
『春の遭難者』はもっと取材を重ねたり、資料を集めたりして親身になって描かなければ、実際に被害にあった方たちの傷口をさらに開くことになりかねず、そうなると、かえって作者の思いに逆行することになるのではないかと思う。
『朔日に紅く咲く』は個性的で興味深い観点から描かれていると思った。寺山修司の『犬神』ではないが、さらに突っ込んで土着的な要素を迷わず書き込んだ方がテーマがはっきりしたように思った。