第24回劇作家協会新人戯曲賞選考経過

受賞作
ピンク地底人3号『鎖骨に天使が眠っている』


<授賞式>
左から:マキノノゾミ(劇作家協会副会長)、ピンク地底人号





<審査会の模様>
左から:瀬戸山美咲(司会)、川村毅、坂手洋二、佃典彦、土田英生、永井愛、平田オリザ、マキノノゾミ

  最終候補作
 『あくたもくた。』    守田慎之介 (福岡県)
 『へたくそな字たち』   大西弘記 (神奈川県)
 『鎖骨に天使が眠っている』ピンク地底人3号 (京都府)
 『焔〜ほむら〜』      中村ノブアキ (東京都)
 『リタイアメン』     清水弥生 (東京都)
 『光の中で目をこらす』  小高知子 (京都府)
 
  
最終審査員
  川村 毅、坂手洋二、佃 典彦、土田英生、永井 愛、平田オリザ、マキノノゾミ
  (司会:瀬戸山美咲)

 *第24回劇作家協会新人戯曲賞の総合情報はこちら

選考経過   瀬戸山美咲

 劇作家大会での開催となったこともあり、全国の演劇人が見守る中、審査会も盛り上がりました。まずは各作品について審査員にコメントを聞きました。

『あくたもくた。』
 マキノ氏「里子さんという役に謎があり魅力的。家族的なセリフがうまいが、外部の人間も早く慣れすぎな気がした」。坂手氏「けん玉やマッサージチェアなどの物が、物語とうまく絡んでいない」。佃氏「この家がゴミ屋敷になっているというのがポイントだが、読んでいるうちに実感が薄れていく」。

『へたくそな字たち』
 川村氏「よくできている分、複雑さを隠蔽している」。永井氏「字が読めないという一点に絞って書いており優れている。雨が “雨” という字に見えてくるところに射抜かれた」。平田氏「定時制高校も夜間中学も先生が面白いが、先生の個性が描かれていない」。

『鎖骨に天使が眠っている』
 佃氏「今と10年前を同じ場所で展開させていくのがうまい。6本の中で一番人間関係ががらりと変わっていく。シリアに行くところはこの方法しかなかったのか」。川村氏「シリアでの拷問シーンが面白かった。10人演出家がいたら10人違う演出をしそう」。土田氏「彼らを取り巻いているどうしようもなさの空気みたいなものがうまく描けている」。

『焔〜ほむら〜』
 坂手氏「会社の様子や出来事、人間関係が情報として面白いが、作者がどう感じたかを見たい」。永井氏「資本主義の怪物性を捉えられている。一方で正義を貫く人たちが嘘くさく見える。ぎりぎりの闘いが見たい」。川村氏「達者だが、セリフに裏がない。書かれたままの人物というのはつまらない」。

『リタイアメン』
 マキノ氏「話が多すぎて散らばっている印象。中心にいる人たちの気持ちが見えにくかった」。佃氏「人間関係の推移が描かれていない。プロットを読むような感覚があった」。平田氏「日本がアジアで唯一の先進国だった時代の話に読めた。ステレオタイプに見えてしまう」

『光の中で目をこらす』
 土田氏「シーンシーンは面白かったが、読み終わったときにどう受け取ったらいいかわからなかった」。川村氏「このアパートの一室の記憶として読んだ。煙に巻くのはいいが、煙に巻き方がもうちょっとシャープだといい」。永井氏「わからないながらも構築される感じがほしい」。

 1回目の投票では、ひとり3票ずつ投じました。結果は以下の通り。
『あくたもくた。』    土田 マキノ   
『へたくそな字たち』   永井 平田  
『鎖骨に天使が眠っている』川村 坂手 佃 土田 永井 平田 マキノ
『焔〜ほむら〜』     川村 坂手 佃 マキノ       
『リタイアメン』     坂手 永井    
『光の中で目をこらす』  川村 佃 土田 平田


<投票結果> 黒丸が1回目、赤丸が2回目。

 休憩後、2票の3作品については決戦投票の候補から外すことに。永井氏は『リタイアメン』について「これが一番だった。ブレヒト的な構えで世界を切り取っていて面白い。軽やかでユーモラスな中で深刻な問題が語られている」と述べました。

 決戦投票の前に、残る3作品について今一度振り返りました。『焔〜ほむら〜』について土田氏は「進行する時間がリアルでありながら、役者の出入りのリアリティがないのが気になった」、『光の中で目をこらす』については平田氏が「2人で話しているシーンがほとんどで単調」と指摘。『鎖骨に天使が眠っている』については永井氏が「血生臭さが演劇的効果のために使われている気がする」とコメントする一方で、土田氏からは「作者の実体感としてあるもので作為的ではない」という意見も出ました。
 決戦投票は1票ずつの投票に。坂手氏が『焔〜ほむら〜』に、残る6人が『鎖骨に天使が眠っている』に投票し、受賞作が決定しました。




選評


川村 毅 ── 黒々としたピンク

 『鎖骨に天使が眠っている』が圧倒的に面白かった。
 この不安げな登場人物達は何者なのだろうと読み進めていくと、やがてテレビのニュース映像で見たことのあるふたりの男性の像が浮かび上がり、さらにそのうちの片方の、うっすらと化粧をしているようにも見えた、画像から目をそらすのが憚れるような存在感を持つ無表情の男に焦点が合っていく。
 大方の視聴者にとって、ジャーナリストの隣にいたあの男性は謎であったと思う。作者はその謎の周囲にさらにつつましやかに謎を徘徊させて、男の人物と行動を創造/想像する。
 作者が現実をどこまで取材、調査したのかはわからないが、実在の人物がドラマに乗る時とは、いくら実在人物といっても書かれた時点でそれはすでに虚構だ。悪気のない好奇心の枠内に止まらない疑問、どこまでが現実でどこからが虚構なのかという詰問がさして重要でないと説得できれば、劇における実在の虚構化は成功と呼べる。
 すると再びあのニュース映像が浮かび上がる。あの謎の男性の無表情と、戯曲のなかの「変態!」とからかわれる場面が重なり合う、重なり合ってしまう。
 さらに虚構化のダイナミズムは、猫の抵抗と内紛というメタファーを通して、京都府宇治市をアラブの内紛地帯へと移行させ、取材結果と注釈のある拷問シーンを鮮やかに招喚する。ポスト・ドラマの手法で描かれるその場面は、内紛地帯から離れた日本の演出家がどのようにしてこの現実を舞台で表出するか、その方法の選択がそのまま演出の技量として計られるに違いない。見てはいないことを見てきたように描くのは不可能なのだが、それでもそれを描こうとする者には「再現」を凌駕する思考と方法が必要とされる。
 前年の応募作『黒いらくだ』と併せて今回の戯曲を読むと、作家は明らかに黒々としたものを抱えていて、それをペンネームでピンクを纏うことによって照れ隠しをしているようにも見える。黒々とした厄介は作家にとってもちろん強みであり、今後それがさらに普遍にまで昇華されるのを期待する。


坂手洋二

 守田慎之介さんの『あくたもくた。』は、前作『もものみ。』と比較されてしまうのはどうしても不利であるが、それは作者に独自の世界観と構築力があることを、既に皆に知られているということだ。それだけ期待されているという証拠でもある。『もものみ。』では、自分の手の届くリアルな世界に潜んだ物語性を表出させるところに魅力があった。本作がいささか散漫に感じられるのは、「ゴミ屋敷」というアイデアをベースにしたことで、より強く「虚構としての物語」を立ち上げなければならなくなってしまったため、「リアル」を追究するさいの指針にピントが合わせにくくなってしまったからではないかと思う。
 大西弘記さんの『へたくそな字たち』は、「言葉」に着眼したところが優れている。「リアル」と「物語」を求めるバランスをとろうとしていることも理解できる。ただ、そつなくまとめようとするお行儀の良さと、作者自身が登場人物の個性や経歴を「紹介」することが中心になっているので、「並列」「紋切り型」になるという弊害を招いてしまっている。
 ピンク地底人3号さんの『鎖骨に天使が眠っている』は、印象的なセリフが多い。そして、作者が自分自身で見つけようとしている方法論を試すことのダイナミックさが魅力だ。戦場ジャーナリストにまつわる情報の扱いなど、粗さや疑問の湧く独断は山のようにあるが、私がこの愛すべき本気の新人に求めることは、もっともっと本気になってほしいということだ。まだ見ぬ演劇の実験、新しい言語のあり方は、本気度が不足していたら、生まれない。彼のその本気度を、多くの審査員が支持してくれた。それが嬉しい。そして、仲間や現場に恵まれていないとこういう戯曲は書けない。もっともっと先に行くのであろう。
 中村ノブアキさんの『焔~ほむら~』は、「作者がその世界の当事者になってしまえば、物語など後でついてくる」という、ある種の創作のセオリーを体現した、非常に久しぶりの「職業現場劇」の成功例である。昨今巷にある演劇の方法論に淫している面もあるが、ある意味「俺は手を汚す!」と宣言する作者の迫力が、その瑕瑾を埋めて余りある。「ある種の演劇は、主人公をあらかじめ示しておくべきではない」という法則が、見事にあてはまる劇でもある。
 清水弥生さんの『リタイアメン』は、前作『ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド』のように突出した「虚構」としてのアイデアがあるわけではないが、着眼点が優れている。十数年にわたって関係を育んできた3カ国のメンバーとセッションを重ね、大都市のみでなく幾つもの場所に現地調査を重ね3年かけて書かれたチームプレイによる「上演台本」である。仲間たちとの合作であるからこそ可能な飛躍や省略が、一部の審査員に理解されていない面があったようだ。そうした箇所は逆に現場でスタイリッシュに処理され「解決」しているところも多く、文字としてのみ起こしたテキストには反映されていない部分がある。「読む戯曲」としては不親切だったかもしれないところで損をしている。より克明に説明する必要があったかもしれない。
 小高知子さんの『光の中で目をこらす』は、タイトルも含めて、コトバと出会う作者のドキドキ感が魅力的である。独自の文体を持った作家として存在感がある。着想をさらに進める「プロット」を操る手法を獲得することは、決して現在の指向性を損なうものではないだろう。そちらに向かう確信が持てたとき、次のステップを踏み出すことになるはずだ。
 今回の最終候補作全体に一貫して感じられるのは、若々しさだ。もちろんそれがプラスになっていることが多いのだが、率直な印象だ。いつしかこの賞にそういうカラーが備わっているのかもしれないということを、感じている。もちろんそのイメージを裏切る作品も、この先登場していいわけだ。
 強いて言うなら、一つ一つの言葉、行為が、多義的な要素を備えているような作品が、もっとあっていいのではないかという気はしている。それはリアリズムか抽象かという区別とは関係ない。劇の密度ということかもしれない。


佃 典彦

 どうも、名古屋のミラーマン佃でございます。
劇作家大会の中での審査会というのは僕にとって独特の緊張感がありました。
他の審査員の方達、観客、そして何より最終審査まで残った劇作家の皆さんに僕の感じたことが上手く伝わったのか一抹の不安を残した審査会となりました。そんな反省も込めた選評となります。

『あくたもくた。』
 まず舞台設定に書かれている「ゴミ屋敷」という言葉に惹かれました。読み進めるとこの家に住んでいるのは母親と息子、そして赤の他人の女の3人。この赤の他人が同居しているってところがこの作品の面白いところであり、何故、この女(郁美)が同居しているかと聞けば「拾われた」という話。帰って来た娘(敬子)とその友人がこの3人の生活に入り込んで来たことから物語が始まるが、やはりオモシロイのは母と息子と他人が「ゴミ屋敷」で生活している現実であると僕は思いました。
僕の近所にもいわゆる「ゴミ屋敷」と呼ばれる家がありました。数年前に火事で焼失してしまったのですが、そこにはオジさんが住んでいて「ここにあるモノはゴミではなくて全て必要なモノである。」という言い分によりゴミ屋敷化していたのですが、この作品の母(里子)も動かないマッサージチェアを「ガラクタやない」「私にはいるん」と言ってます。で、ここが肝心なのですがゴミ屋敷の住人の特徴は次から次へと「必要なモノ」を拾って来てしまうということです。つまりそこにあるゴミは今、必要なモノであって過去の遺品ではない。僕はこの作品の母(里子)もそうあって欲しいと感じたのです。初めは他人の女(郁美)も「ゴミ=必要なモノ」として拾って来たのかと思いましたが読み進めるとそうではなさそうですし、徐々にこの家が「ゴミ屋敷」であるという実感すら無くなってしまいました。するとこの家のゴミが思い出の品々みたいなセンチメンタルな感じに見えて来てしまって非常に勿体無いなぁと感じたのでした。

『へたくそな字たち』
 とても良い話だと思いました。きっとお芝居で観たら面白いと感じるのだろうと思います。ただ戯曲を読むとちょっと物足りなさが残ります。もっと異文化がぶつかり合うのかと思いきやそうでも無かったり・・・。
1988年を選んだとなると他の審査員の方がチラッと言ってたように天皇制についての言及が欲しくなります。
そしてもう少し〈世間〉と〈教室の中〉のギャップが見たい。生徒達が働いている場所は〈世間〉であり、教室の中は閉じた別空間です。昼間は〈世間〉、夜は〈教室〉、しかもアジア諸国の人間がいてそれぞれの事情がそこに絡むのですからもう少し突っ込んで欲しいところです。1988年ほど自粛という空気で〈世間〉を感じた年は無かったと思うからです。

『鎖骨に天使が眠っている』
 まず現在と10年前を同じ場所で展開させるのが実に上手いと思いました。バスケのゴールポストもガレージの錆びも何もかもそこに在るモノは変わらないのに運命的かつ劇的に人間関係が変わって行きます。義男が化粧して学校に行ったあと川べりから彼をからかう生徒達、その中に透がいるのを知った義男はそれでも透に「花火大会に行こうな!」と言います。義男にとっては精一杯の約束で透はそれを判っていたのに行かなかった。その時の義男の心の傷と透の傷、痛さがビンビン伝わって来ました。義男に柚香がタイトルにもなったセリフを言うのですが僕はそこで泣いちゃいました。
昨年の作品もそうなのですがピンク地底人3号さんは喜怒哀楽とかじゃなくて〈まだ名前が付けられていない感情〉を作品の中で模索している気がして、僕はそこが凄いと感じるのです。

『焔~ほむら~』
 『下町ロケット』みたいな中小企業奮闘物語、或いは『プロジェクトX』のようなドキュメントが好きな僕はこの作品も非常に楽しく読みました。まずセリフが上手い。良くも悪くも〈先が読める〉展開ですが中小企業奮闘物語の見所は「あぁ、そうなっちゃうんだろうなぁ」「あぁ、やっぱりそうなっちゃったかぁ」が定石なのでそれほど気になりませんでした。が、勿体無いと思ったのはイチバ社内の人間関係とカワマツ社内の人間関係が似ている点です。でも舞台で観たら余り気にせずに楽しめるのだろうとも思います。

『リタイアメン』
 世界観がもの凄く大きな作品だと思いますし実際の上演を観たら恐らく圧倒されるでしょう。ただ戯曲として読むと出会いのシーンから共に行動するシーンへの飛躍が気になって仕方ありません。確かにスピード感はあるのですがこのパターンが続くので徐々にプロットを読んでいるような気分になってしまいました。制度について或いは個人が抱えている問題については十分に納得がいくのですが人間関係の推移が少々希薄な気がしてしまいました。そもそもそこには焦点が当てられていないのだろうとも思うのですが・・・。

『光の中で目をこらす』
 好きな作品です。時間(時系列)と場所が混じりあっていて共通点があるのだけれど確定できないあやふやな感じ、不思議だけど凄くリアル。この感性は独特で稀有だと思います。4話の姉のお腹にいる女の子がやがて2話の少女1に、そして姉が1話の女であるようにも書かれていてウロボロス的な面白さも感じました。ただ二人で会話するシーンが多くて〈匂い〉も似ているのでその辺りが惜しいところです。
余談ですがレセプション会場で作家にお会いしてビックリしました。もっとフシギちゃん的な人かと勝手に思い込んでいたからです。普通の可愛らしいお嬢さんでした。


土田英生

 最終候補作はどれも秀逸だった。審査会に参加する前から私の中では『鎖骨に天使が眠っている』が頭一つ抜けていると考えていた。作者のピンク地底人3号さんは昨年も『黒いらくだ』で最終候補に残っていたが、その時、私はきちんと読み切れず、個人的に忸怩たる思いが残っていたので警戒をしていたのだが、その必要もないくらい物語にのめり込めた。
 前作にも共通していることだけど、登場人物それぞれにはことさらにやさぐれた人間がいないにもかかわらず、京都、宇治川のほとりの地域が持つある種の空気が描き出されていることに感心した。唯一の理解者だった姉の一恵を失い、友人である透という逃げ場も断たれていく義男の不器用さが哀しく共感せずにいられなかったし「来週の花火大会、一緒に行こ? 約束な」という台詞には思わず泣いた。異論なく賞が決定したが、私が唯一ひっかかったのはラスト近くで、義男が捕らえられた部分の描写だった。そのシーンは別の広がりを持ち、物語から飛び出してしまっている。そこを評価する審査員もいたけれど、私には別の描き方があるのではないかとの思いが消えなかった。
 『光の中で目をこらす』には恋をした。一つの部屋で時系列もバラバラに(緩やかな繋がりを持って)展開する4つの短編はどれも台詞が素晴らしかった。好みとしては繋がりをもう少し明確にして物語化した方がいいのではと思う。エンターテイメントとしては『焔〜ほむら〜』はとてもよく書けていたと思うが、具象化されたストレートプレイであるにも関わらず、時間の飛ばし方、登場人物の出入りなどが雑なのが気にかかった。同じことを『あくたもくた。』にも思った。こうした芝居で難しいのは人をいかに自然に出入りさせながら、劇性を保つかという点だ。ところどころ距離感や設定にばれてしまう嘘があり、それが私には気にかかった。
 『リタイアメン』は多言語で展開する稀有な作品で、多くの登場人物、それぞれが抱えている事情が書き分けられていることに感心したが、作品全体を作者がコントロールしようする手つきが見えてしまうのが私には少しひっかかった。『へたくそな字たち』は夜間学校が舞台で、それぞれの生徒や先生の群像劇だが、これも読んでいて作者の意図が顔を出す瞬間が何度かあり、人物の造形にも作為を感じてしまうのがもったいなかった。
 書くのは苦労するけれど、完成した後には苦労の痕跡も見えず、物語が自走しているものを書きたいと私も考えている。どれも完成度の高い作品だったが、その点でもやはり『鎖骨に天使が眠っている』は優れていたように思う。
 

永井 愛

 最終候補作の中では、『リタイアメン』(清水弥生)が面白かった。退職後に東南アジアで優雅な年金生活を送ろうとする日本の高齢者たちと、彼らに反感を持ちつつも日本の介護施設で働くしかないタイ、フィリピンの人々。この格差の構造を叙事詩的な視点でとらえた文体は大胆かつユーモラスで、夢をかなえてなお満たされず、死の誘惑にとらわれるリタイアメンの悲哀も見逃さない。ラストが唐突にまとめられた気がして惜しかったが、こういうスケールで日本とアジアの関係を描こうとする作者の姿勢は頼もしい。
 『鎖骨に天使が眠っている』(ピンク地底人3号)は、作者の昨年の応募作(最終候補)より、ずっと成熟した作品になった。審査会での指摘をふまえ、演劇的表現とは何かを考え抜いた結果だろう。生活感のある台詞で描かれた登場人物たちに、うらぶれた庭の印象がつきまとい、陰影のある存在感が加わってくるのもいい。中心人物の義男が戦場ジャーナリストと知り合うあたりから、アイデアに引っ張られて無理なジャンプをしてしまったのではないか。もちろん、力作であり、最優秀賞は当然だと思う。
 『へたくそな字たち』(大西弘記)は夜間中学に学ぶ人々を描いて活気がある。この作品の美点は「字が読めない」とはどういうことかを体感させる力があり、字を知る喜びが瑞々しく伝わってくることだ。特に脳性麻痺の少女が降り出した雨に気づき、「雨って字に見えてくる」と見入るシーンは美しく、壮大な漢字の歴史と触れ合ったようで心打たれた。細部には詰めの甘さを残すが、まだまだ伸びしろのある人だと思う。
 『焔~ほむら~』(中村ノブアキ)は電池のデータ改ざんをめぐる自動車会社と下請けのやりとりに緊迫感があるが、テンポの犠牲になったのか、人物は次第に膨らみを欠き、それにつれて展開も単調になるという悪循環が生まれてしまった。すでに作者はこの手法で数々の試みを重ねているようなので、今後に期待したい。
『光の中で目をこらす』(小高知子)は男性4人の場面でやっと台詞に血が通い、人物に立体感が出た。喋る理由、喋らぬ理由が明確になったからだろう。筆力のある人のようだが、大半を占める2人の場面は、話の内容が謎めいていても、会話の続く理由が各人物に見出せず、どこか機械的で単調に感じられた。
 『あくたもくた。』(守田慎之介)は情報を語ることだけに時間が費やされ、人間関係に変化が生まれないのがもどかしい。ゴミ屋敷に住みながら規則正しい日常を送る母親などの興味深い設定に作者の想像力は追いついていない。他の人物も同様で、劇中の雑談が本当の雑談に終わっているのが何とも残念だ。


平田オリザ

 審査会で話したことと重なる部分も多いですが、審査を通じて感じたことを書きたいと思います。
 候補者には失礼な区分になってしまいますが、今回は「ふわっとしたつかみ所のない作品」と「比較的わかりやすい作品」に大きく分かれたかと思います。
 完璧な戯曲など世の中にはなく、いずれの作品も長所を伸ばし短所を削っていくしかありません。問題は、往々にして長所を伸ばそうとすると短所が増幅し、短所を削ろうとすると長所が失われるところです。
 守田慎之介さんの『あくたもくた。』、小高知子さんの『光の中で目をこらす』はいずれも「つかみどころのない作品」でした。『あくたもくた。』は、自宅という特殊な上演環境を想定して書かれています。『光の中で目をこらす』は、未だ上演されておらず、また小高さんの他の作品(そちらも縁あって読ませていただいたのですが、とても才能を感じさせるものでした)も、上演をされていないと聞きました。
 おそらくは、観客に観てもらうこと、できれば幅広い観客の目に触れることで、もっと高い普遍性が獲得できるのだと思います。お二人の才能と個性は疑うべくもなく、是非、それを素直に伸ばしていってもらいたいと感じました。
 大西さんの『へたくそな字たち』、中村さんの『焔~ほむら~』は、比較的、ストーリーや伝えたい主題が解りやすい作品だったかと思います。そのこと自体は、決してマイナスとは思いません。
しかし、そうであるならば、一層の「深み」が欲しかったと思います。たとえば、『へたくそな字たち』であれば、教師たちの描き方にも重層性が欲しかったですし、途中で挫折する生徒がもっといてもよかったように感じます。
 『焔~ほむら~』に関しては、本当にとても良く書けた作品で、もっともスムーズに読むことができました。ただ、この作品は、冒頭にあるように、どうして改ざんに手を染めたかが焦点であり、その過程や葛藤を丁寧に描いて欲しかった。そこに至るまでの「経緯」だけが描かれており、肝心の部分の厚みを欠く印象となりました。台詞を書く力は存分にある方なので、さらなる高みを目指していただきたいと思います。
 清水弥生さんの『リタイアメン』は、私がここ数年、東南アジアに深く関わっており、十年ほど前には定年移住を扱った作品も書いていることから、どうしても辛口の視点になってしまいました。この作品も、残念ながら視点に重層性がなく、日本と東南アジアを少し古いタイプのステレオタイプで捉えているように感じました。
 ピンク地底人3号さんの『鎖骨に天使が眠っている』は、これまで書いてきた文脈で言えば、物語と曖昧さのバランスをかろうじて保ち、いや保っているとまでは言えないまでも、そこに立ち向かおうという強い意志を感じさせてくれました。その意欲が、他の作品に比べて、少しだけ強かったと言ってもいいかもしれません。
受賞おめでとうございます。
 この受賞を機に、もっと幅広く、骨太の作品を書いてください。期待しています。


マキノノゾミ

 二年前の『もものみ。』に続き守田氏の『あくたもくた。』は家族(=半分は疑似家族)の話である。娘が実家に戻って長年に渡る母との確執に向き合うというのはさして目新しい筋立てではないのだが、相互の好悪の度合いも含め家族間の空気・距離感の描き方が絶妙で、クセのある登場人物たちは各々に魅力的である。信頼する俳優たちと実際の民家を上演場所として「家の話」を創作し続けている作者ならではの巧さなのだろう。とくに母親・里子の存在感は圧倒的で、個人的には今回の全候補作中もっとも心惹かれた登場人物だった。一点惜しいと感じたのは、娘・敬子の友人である美津があまりに早くこの家族に馴染んでしまう点。外部の人間である彼女にはもう少し長くその距離をキープして、この家の事情の特殊性を相対化する重要な役回りがあったはずだと思う。

 大西氏の『へたくそな字たち』は、昭和の終りの夜間中学を舞台にした、いわば「善意の物語」である。作中には不穏で不条理な悪意といったものは一切出てこない。平成の終わろうとする現代に、このような作風というのも実はとても大切だと思う。何より精神衛生上たいへんよろしい。その上で一つだけ。昭和の最後とともに息を引き取る道郎の年齢は五十二とある。三十年前の感覚に照らしても早死にだと思う。彼がもし昭和の年号と自らの数え年が一致する年齢、すなわち六十代の半ばといった設定であったならどうだったろう。おそらく彼にはぎりぎりで従軍経験があったはずなのだ。作者にはぜひ一考を願いたいのだが、この戯曲がこの時代設定で書かれなくてはならなかった本当の必然性は、もしかしたらそこにあったのではないだろうか。

 受賞作となったピンク地底人氏の『鎖骨に天使が眠っている』は、死者と生者である義男と透の邂逅から始まり、十年前の過去と現在を行き来しつつ、二人の青春の煩悶(=性自認の問題、友情、家族愛、生と死、等々)が淡々と変奏されてゆく。整理されているふうでもなく、かといって無秩序でもなく、登場人物8人の半数が死ぬのだからけっこうな悲劇なのだが熱して興奮するでもなく、全体としては終始静かな哀調をたたえている。少々ご都合主義ではないかと思える箇所(=かつての同級生がそれぞれ戦場カメラマンと納棺師になるとか)や、ト書きにもわずかに雑な部分が残っているのだが、作品の迫力で気にはならない。冒頭から最後まで引き込まれ、自分の中の何かが無性にかき立てられた。現在の作者の創造意欲に勢いがあるからだと思う。

 中村氏の『焔~ほむら~』は大手自動車会社と下請企業を舞台にした硬派な企業ドラマで、巷で流行りの『下町ロケット』を数段上等にしたという印象。電気自動車のデータ改竄問題というホットな題材、登場人物の造形、ディテールのリアリティも含めて実によく書けている。この作者は本当に上手だと思う。大組織(というかすでにわたしたちの社会全体)に弥漫(びまん)する無責任体質を静かに告発しつつも、作品そのものは上質な娯楽作品へと昇華させ得ている。素晴らしい。なぜ受賞作に推さなかったのだと問われるとひじょうにつらい。あえて答えるなら、たとえば木須部長が電話で話す回想場面など、随所で親切に書き過ぎてしまっている点。上演台本やシナリオならもちろんこれでいいのだが、戯曲は、もう少しぶっきらぼうなままの方がわたしには美しく見える。感覚上の私見で申し訳ないが。

 清水氏の『リタイアメン』は、退職後に東南アジアに移住して優雅な年金生活を目論む日本人の「リタイアメン」たちを風刺した作品。台詞は日本語以外にも英語・タガログ語・タイ語などが入り乱れて発話され(そのように細かく指示されていて)、おそらく戯曲として読むよりも、実際の上演の方がずっと面白くわかりやすい作品なのだと思う。ただ舞台を観ていないわたしには、残念ながら、その良さが今一つ伝わらなかった。全体にスケッチ的な場面の積み重ねなのだが、読むだけだと、どうしても散漫な印象を受ける。四年前の同氏の『ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド』のようには共感をもって登場人物の感情を追えるラインが見出せなかった。

 小高氏の『光の中で目をこらす』は一つの部屋を舞台にした四話オムニバスの形式で、いわば「部屋の記憶の物語」といった風情の作品。今回の最終候補作の中ではもっとも若い作者だが、タイトルも含めて言葉の感覚が素敵だ。関西弁というアドバンテージはあるとしても、掛け合いのリズム感もよく、台詞もじゅうぶんに達者である。ただ、本人からは「書くのが好きなだけで上演は恥ずかしいので望まない」と聞いた。劇作家としてはユニークな態度だと思うが、惜しい話である。元来、演劇は初めから終わりまで徹頭徹尾他者と関わるものであろう。多くの劇作家は演出家や俳優と否応なく関わることで、自作を成長させたり、新たに生み出したりしている。いつかは挑戦してほしい。

 今年の最終候補作も昨年に引き続きレベルの高い作品が多かった。喜ばしいことだが、その中でもピンク地底人氏の受賞は順当なものであったと思う。

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日本劇作家協会プログラム

2019年度のプログラム(全12企画)

▽ 5月11日(土)〜19日(日)
劇団扉座
『新浄瑠璃 百鬼丸~手塚治虫『どろろ』より~』

▽ 5月29日(水)〜6月2日(日)
JACROW
『ざくろのような』
作・演出:中村ノブアキ

▽ 6月5日(水)〜9日(日)
演劇集団ワンダーランド
『過激にして愛嬌あり 宮武外骨伝』
作・演出:竹内一郎