第21回劇作家協会新人戯曲賞選考経過



受賞作 象 千誠『畳と巡礼』





審査会の模様
左から:鈴木聡(司会)、土田英生、渡辺えり、鴻上尚史、マキノノゾミ、坂手洋二、鈴江俊郎、佃 典彦



授賞式
左から:坂手洋二(会長)、藤原佳奈、南出謙吾、ハセガワアユム、象千誠、國吉咲貴、鈴木聡(審査会司会)


最終候補作
 『南吉野村の春』     岡田鉄兵 (大阪府)
 『アキラ君は老け顔』   國吉咲貴 (埼玉県)
 『畳と巡礼』       象千誠 (広島県)
 『少年は銃を抱く』    ハセガワアユム (東京都)
 『ずぶ濡れのハト』    南出謙吾 (東京都)
 『夜明けに、月の手触りを』藤原佳奈 (東京都)

 
最終選考委員
  鴻上尚史、坂手洋二、鈴江俊郎、佃 典彦、土田英生、マキノノゾミ、渡辺えり
  (司会:鈴木聡)

*第21回劇作家協会新人戯曲賞の総合情報はこちら

選考経過   小松幹生

 第21回劇作家協会新人戯曲賞公開審査会は、12月13日午後6時半、座・高円寺2で、定刻に開始された。司会は初めての鈴木聡、大きな笑顔が特徴だ。客席はほぼ満杯の盛況。

 応募順に従ってテキパキと開始。1本目、岡田鉄兵『南吉野村の春』について、マキノ審査員が口火を切る。セリフはうまいのだがツウ・ショットの会話が多く、どうしても説明が多くなり、父が死んでいるという設定のせいで兄のやさしい心がもったいないと述べると、土田審査員がユーモラスで楽しいけれどと続き、全員の審査員が会話のうまさと物足りなさを賑やかに語る。

 続いて國吉咲貴『アキラ君は老け顔』。鴻上審査員が、これは人の美醜の問題を語っている作品でそれがたまたま老け顔と設定されている、と言えば坂手審査員が、現実に若い時から老けるという病気があって、それがあまり考えずに使われているのが気になると発言、ここで鴻上審査員との間で議論があり、鈴江審査員の、自分の顔が他からどう見えるかではなく、世界の見え方が人によって違うことを考えさせると意見がある。

 象千誠『畳と巡礼』は、土田審査員と佃審査員から、面白い会話の背後にこれは日本の戦争の歴史を語る深みを抱えていると指摘があり、渡辺審査員も同調する。

 ハセガワアユム『少年は銃を抱く』は、坂手審査員が、いいところはあるのだが、収斂していくべき中心が判りにくいとの意見があり、渡辺審査員は、実は銃などはどうでもいいことになっているのが面白い、マキノ審査員が、主題は距離感を保ちつつの会話、佃審査員、ただ、おさまってしまうのが不満。

 続いて南出謙吾『ずぶ濡れのハト』。鈴江審査員、設定の自由さがいい。マキノ審査員、秀逸なセリフのセンス。坂手審査員、リアリティが不足。鴻上審査員、明快な出だしだが、それで終わってしまうのがもったいない。

 最後に藤原佳奈『夜明けに、月の手触りを』。鴻上審査員が、いろんな言葉に感動したと例をあげて読むと、渡辺審査員がモノローグだけで出来ているのだが、会話にしたくない、出来ない自分を語ることになっているのが悲しく切ない。


 と、一通り全作品を議論し終わって約1時間半経過。例年どおり、1審査員が2作品を押すというかたちで投票です。結果は『アキラ君は老け顔』 『畳と巡礼』 『ずぶ濡れのハト』 『夜明けに、月の手触りを』の4本に3票とならび、『少年は銃を抱く』が2票という結果。ここで休憩に入ったのですが、こう拮抗しては、後半の議論が大変だなと司会者の悩む顔を残して暗転です。

 さて後半、3票が入った作品から、それを押した審査員の「応援演説」から開始したのですが、『アキラ君は老け顔』の若くして身体自体が年を取る病気があることに関していきなり激論です。『畳と巡礼』は土田審査員が、これぞ演劇という感じ、佃審査員が、家の制度がなくなってしまってる現代について考えさせる、渡辺審査員、スーッと入ってサーッと自然に読めた、マキノ審査員、スケールが大きい。『ずぶ濡れのハト』、マキノ審査員、希望が見えないのが、希望の無さも含めて切ない。『夜明けに、月の手触りを』、渡辺審査員、小さい星がたくさん光ってる。ぼんやりした満月、これがいい。と、このあたり、各審査員の意見が賑やかに錯綜して客席に坐ったわたくし、とてもメモが取りきれない。

 そして、では、各審査員、1本を押す投票をしようと司会者。
 投票してみると、見事に分かれます。『畳と巡礼』『アキラ君は老け顔』が2本。『少年は銃を抱く』『ずぶ濡れのハト』『夜明に、月の手触りを』が各1票。
 では、「2票が入った2作品で決選投票にしましょう」と、司会者が提案。
 さて、その結果は、『畳と巡礼』が5票、『アキラ君は老け顔』が2票。
 こうなると文句なく決定です。
 観客席からの審査員へのお疲れさまの意味も込めての暖かい拍手で、審査会は無事終了です。お疲れ様でした。
 



選評


鴻上尚史

 『南吉野村の春』は、確かな筆力でありながら、物語の展開がやや観念的というか、定型に陥った感があります。女子中学生のお尻の感想など、じつに面白い所もありますから、細部に凝って物語にリアリティを与えられるといいと思います。
 『アキラ君は老け顔』は、僕の一押しでした。「そういう病気がある」という審査員の一部の批判はまったく意味不明に感じました。一行「病気でない」と書けばすむのなら、それは問題にならないと思います。言語センスもアイデアも素敵で、キャラクターも面白い。「老けて見えること」をもっと掘り下げると傑作戯曲になったと思います。母との和解がやや唐突なことが惜しまれます。
 『畳と巡礼』は僕には観念的で「読む戯曲(レーゼ・ドラマ)」として成立していても、上演に向けて例えば水の扱いとか、納得できませんでした。多数決で決まりましたが、僕は疑問でした。けれど、筆力があることは間違いないので、これからの活躍に期待します。
 『少年は銃を抱く』は、風呂敷を広げすぎたように思います。後半も銃に絞って物語を展開していけば、もっと面白くなったと思います。教師にリアリティがないことが、残念でした。
 『ずぶ濡れのハト』は、最初のシーンはとても素敵なのですが、そのあとの展開がどうも予定調和に感じてしまいました。筆力は確実にあります。なんとか、少しでいいので、なんらかの希望を描いて欲しかったと思います。
 『夜明けに、月の手触りを』は、ここまで卓越した言語センスを持っているのですから、ここから堂々とドラマを立ち上げていって欲しいと思います。淡々としたスケッチだけでは、インパクトが薄く、とても残念です。でも、本当に素敵な言葉使いです。
 総じて、どの作品も水準が高く、とても面白く感じました。全員のこれからに期待しています。



坂手洋二 「情景」よりも「出来事」を

 このような審査会で、「結局は好みで選ぶことになる」と言う人がいるが、どうだろうか。少なくとも私は「好み」で選んではいない。自分の「好み」自体がよくわからないし、関係ないという気がしている。作品の実力というのは、わかるものだ。
 『南吉野村の春』は、最初のト書きに「丸顔でメタボ体型」「人の良さそうな雰囲気」と書いてしまうところで、もう躓いてしまう。しかもその「いい人」は、最初から最後まで「いい人」のままだ。ここまで設定がステレオタイプだと、そのこと自体がある種の批評性を持っていないと、むつかしい。
 『アキラ君は老け顔』も、ト書きを「外見は六十代」と簡単に書いてしまう。で、この「老け顔」が現在の日常を描く劇にねじれを作る狙いなら設定としてはわかる。だが実際にそういう「早老症」の病に苦しんでいる人たちがいることを、作者は気にかけていないようだ。社会性が必要と言いたいのではない。自分が扱う題材に対する関心が不足している。「世界改革男」が父親だったという話は、物語らしく見せるためだけの因果話で感心できない。
 『畳と巡礼』は、水を使うとか、畳を背負うとか、一瞬目を惹く仕掛けがあることは、とてもいい。作者の象千誠さんには、自分なりに演劇の世界に馴染んできた蓄積があるのだろう。だが作品としては雰囲気だけで終わっている。イメージの羅列、「情景」ばかりだからだ。
 『少年は銃を抱く』は、この長さを書くスタミナは買うし、風俗の描き方に興味深いところがある。確信犯らしい緩さもあり、寺山修司の『サード』のように、作り手が大胆に現場のリアルに委ねているのであればいいと思ったが、残念ながら予定調和に終わる。ざわざわしているのは必ずしもマイナスではないが、その混沌をねじ伏せる意欲が今ひとつ。バラエティ番組的な「突っ込み」も多すぎる。やはり作者が「情景」を描いて満足していることが透けて見える。プロットも磨き切れていない。例えば、銃は一丁であるべきだ。
 『ずぶ濡れのハト』は、設定、登場人物への視座が、際立ってしっかりしている。気の利いた台詞も多い。地に足が着いていて、簡潔を心掛けつつ「技あり」を取っていく腕前がある。ただし男女関係の話が多すぎ。そして、その先が見たい、と思っているうちに終わってしまう。つまりプロットが弱い。もったいないのだ。
 『夜明けに、月の手触りを』は、パッチワーク的ではあるし、モノローグ調を安易と考える向きもあるだろう。しかし、物語が収斂するように構成されていることの強みで、最終的にさまざまな瑕疵が目立たなくなる。「向かいのマンションのベランダで、若い母親が、子供を抱えていた」という一節が、それが誤解であり実際にはそうでないということ、そのズレの先に現実世界があるという示唆自体が、批評として成功している。「情景」ではなく、「人と人の間に起きる出来事」を描くのが、演劇だ。この作品を最も強く推した所以である。



佃 典彦

 どうも、名古屋のミラーマン佃です。
今回の最終候補6本を読んでまず感じたことは「セリフが上手い」「センスがいい」ってことでした。どの作品も面白く読めたので何を基準にするか悩みましたが、結局僕の胸に一番ガツンと響いた作品を推すことにしました。
 僕のイチオシは『畳と巡礼』でした。まず〈畳を背負った男〉のイメージが痛烈で〈流れ続ける水〉〈水没する事務所〉〈畳の島〉と次々に鮮明なイメージを僕に提供し続けてくれた作品でした。ただイメージの羅列と言うワケではありません。それは罪を抱えたまま沈んでいくニッポン、家制度の崩壊というこの国が背負っているジレンマに作家自身が正面から向き合っていると感じたのです。抽象と具象のバランスも良く、特にお婆さんが水に突っ伏して窒息死するシーンに感銘を受けたのです。
 『アキラ君は老け顔』のセリフの面白さは抜群でした。戸部とアキラ君の最初の出会いの場面は凄くセンスがいいと思います。いわゆる出オチをどう展開していくかという点がミソだと思うのですが周りの人間の変な部分を描くことで実は誰もがマイノリティーであるというコトを証明していくことで成功していると思いました。
 『少年は銃を抱く』にも惹かれました。大勢の登場人物が出てくるのですがその全員の輪郭がしっかりしています。僕自身、中学の時にイジメに遭っていた頃はカバンに銃があればなんて想像したりしてました。実際に銃を手にする高揚感にも共感します。ただ、せっかく3部構成になっているのに時間軸に沿って場面が変わっているのが勿体ないと思いました。学校の先生達のエピソードをラストに持ってきたのが僕には少々不満だったのです。
 僕は二十代の頃にバイトしていた会社が倒産寸前になった経験がありまして『ずぶ濡れのハト』を読んだ時には感心しました。ダメと判っているのにズルズルと手をこまねいたまま潰れていく様が非常にリアルに伝わってきたのです。惜しいのは月日の流れと登場人物の行動にズレを感じてしまった点です。もっと短期間の話でも良かったように思いました。
 『夜明けに、月の手触りを』はモノローグで綴ったドラマですが、これが短編ならイチオシしていたかもしれません。凄く言葉に切れ味があって人物の相関図も面白いのですが、この手法ではこの尺はやはり長いと思うのです。
 『南吉野村の春』はキャラクター設定がしっかりしていて楽しい喜劇になってると思いますが、その分登場人物の行動パターンが読めてしまってドキドキする感じがしないのが難点でした。非常に読みやすい作品だったのは間違いないのですが……。



土田英生

 個人的な想いをただ書き連ねただけでは戯曲にはならない。演劇として観客に届かなければいけない。個人的な想いや幻想を普遍化する作業が必要だ。最もオーソドックスな方法は、いわゆる物語として描くことだ。表面上はわかりやすく読ませながら、気がつけばこれまで体験したことのない何かしらの想いや感覚を味わわせる。また、一般的な物語の手法を使わず、詩的なイメージや抽象的な言語で虚構を創り上げる戯曲もある。
 今回の最終候補作は基本的には物語、いわゆるドラマ的なものが多かったが、オーソドックスなものになるほど、矛盾や軋みを発見しやすい。岡田鉄平さんの『南吉野村の春』はまさしくそうで、読みやすく、理解しやすいがために、どうしても欠点が目立ってしまう。
 南出謙吾さんの『ずぶ濡れのハト』もそうだった。これは確実な技術がなければ書けない作品だと思う。ただ、上手く書いてあるがゆえに、少しでも逃げた痕跡があると目立ってしまう。
 ハセガワアユムさんの『少年は銃を抱く』はとても好きだったが、一つだけ気になったのは、より広く届けようという意思がやや欠けているように感じたことだ。扱っている事象がどんなものであれ、普遍化された表現はその事柄を知らない者にも届くはずだ。
 そういう意味で群を抜いて面白かったのが國吉咲貴さんの『アキラ君は老け顔』だ。読みやすいドラマでありながら、人が持つどうしようもない差別意識やコンプレックスを、全く説明臭くなく突きつけてくる。確実にそれは読んでいる私たちに届けられた。ただ、選評会の時にも話したが、この老け顔であるという事実がメタファーになり切れなかった一点が引っかかった。一行でも台詞が入っていたら、私は文句なくこの作品を推したと思う。
 藤原佳奈さんの『夜明けに、月の手触りを』は女性5人のモノローグでそれぞれの抱えるものを浮き立たせつつ、その人たちが街で交錯するという構造だ。そういう意味では物語の形を取らずに世界を見せるという、演劇ならではの面白さがあった。ただ、もったいなかったのは構造がやや消化不良で、モノローグの力だけに頼ってしまっている気がしたことだ。
 大賞となった象千誠さんの『畳と巡礼』は物語とイメージがバランスよく溶け合っていて、それが評価されたのだと思う。欲をいえばそのイメージがやや絞り切れていない感は否めなかった。



マキノノゾミ

 岡田氏の『南吉野村の春』は、穏やかな農村を舞台に愛情深い兄弟の物語と、その裏でクライム・サスペンスが並行する。ただし犯罪も露悪的には描かないという点で個人的には好きな作品世界である。残念なのは雄一と龍の兄弟に、物語を通して乗り越えるべき葛藤が少ないこと。単に周囲から白い目で見られるといった以上に龍の帰郷を許さない、もっと絶対的な存在を設定したほうがよかった。その意味で父親を故人としてしまった点が惜しいと思う。厳父が存命ならば、龍はもちろん、父と弟の板挟みとなる雄一にもじゅうぶんな劇的葛藤を持たせることができる。いつの日にかブラッシュアップして、ウェルメイドな佳品として完成させてほしいと思う。
 國吉氏の『アキラ君は老け顔』は、主人公である22歳の大学生の「生きにくさ」を主題にした作品だが、その生きにくさの原因が「異様なほどの老け顔」と設定したことで滑稽味が生まれ、演劇的でもあると感じた。終始受け身とならざるを得ない主人公に対して、小春、荒井、戸部などのキャラクターが魅力的に造形できている。ネカフェの長期滞在客である戸部がアキラの誕生日を寿ぐところは良い場面だが、この場面は母の話によって戸部が実父であると知る前にあるほうが良いと思った。実父と知って会いに行くと「もう戸部はチェックアウトしていなくなっている」くらいにしたほうが、物語に余韻が生まれたのではないかと思う。
 受賞作となった象氏の『畳と巡礼』は、かつては造船業で栄え、今は寂れてしまった瀬戸内の港町を舞台に、27年前に父が失踪したという村上一家の家族の物語。壊れた蛇口から滴り落ちた水がやがて舞台面一杯に溢れてゆくのを登場人物の誰もが気づかない(中国人の技能研修生だけが見えている)という何やら象徴的な仕掛けも含めて、今回の候補作中もっとも重厚かつ難解だった。とはいえ、台詞の一つ一つは土着的なリアリズムをもってたいへんよく書けており、なおかつ歴史的・空間的なスケールの大きさを感じさせる。大詰め、かつて村上家の血族的掟の象徴だった祖母のセツ子が、すべてを謝すようにして自死する場面には言い知れぬ迫力がある。恥ずかしながら完全に理解できたわけではないが、それでも作者の持つ筆力、力量は相当なものであると感じた。
 ハセガワ氏の『少年は銃を抱く』は、第1部から3部まで次々と新しい登場人物が出てくる斬新な形式の群像劇で面白く読んだ。総勢21名の人物を、各自の内的屈託まで感じさせつつリアルに書き分けて見せた技術は大したものだと感じた。登場人物説明の「もこもこしてるカウンセラー」、「ぬるぬるしている。水をよく飲む」といった独特の言語感覚も面白い。いわく付きの拳銃が様々な人の手を転々とする筋書きは古典的な骨法だろうが、この劇では、ストーリーよりもむしろ登場人物間の空気=距離感や温度といったものを精密に描出することのほうに作者の興味と狙いがあったように思われる。そしてそれは成功している。首都圏の高校生周辺で採取された「現代日本人標本」といった趣があると思った。
 南出氏の『ずぶ濡れのハト』は、新しく出店した大型スーパーによって静かに崩壊してゆく北陸の小さな町の老舗スーパーのバックヤードを舞台にした群像劇。おそらく日本のどんな地方にも起きている経済的地殻変動であろうし、普遍性のあるドラマだと感じた。ことさらに悲愴感があるわけでもなく、劇自体は長閑にむしろ淡々と進む。随所にユーモラスで巧い台詞もたくさんある。しかし目の前に迫る危機を承知しながら、為すすべもなく敗れ去ってゆく人々の姿は、ある意味で典型的な日本人(=われわれ自身)の姿でもあり、読後に苦味と痛みを残す。一点、中途半端に店長室の場面を作ったのが惜しいと思う。シャッターを開けると川原に面する搬入口の休憩室というのは素敵な設定だし、この芝居ならばその一場面だけで通したほうが劇としての集中度は増したと思う。
 藤原氏の『夜明けに、月の手触りを』も首都圏の20代女性の標本といった趣を持っている。5人の登場人物の書き分けも巧みである。モノローグの連続で劇を紡いでゆく手法は、観客の想像力を最大限に喚起するという点で利もあるが、同時にダレ場を作れず、ずっと一定の緊張を強いるシャープ過ぎる手法でもある。劇としてのカタルシスを持たせるためには、大詰めで5人の生活や運命が再びある一点で交わるといったような「構成の妙」がもっと必要だと思う。
 今年の最終候補作は、総じて読みやすかった。どの作家も日常的リアリズムの台詞がかなり巧い。年ごとに一次~二次審査員の趣味を反映するところもあるのかも知れないが、全体的に少し潮目が変わってきていると感じた。その中でひと際作品のスケールが大きかった『畳と巡礼』の受賞は順当であったと思う。



渡辺えり

 『畳と巡礼』を面白く読んだ。私が影響を受けた先達たちの芝居のオマージュとも読める作品で、畳を担ぐ男や始終滴り落ちる水音など、混在する異空間の中の点在する人物の意識が強く現出しているように感じた。
 『夜明けに、月の手触りを』。月の手触りという表現が美しい。触れることのできない月の感触を自己の感覚を研ぎ澄ませてまさぐろうというのだろうか? もはや月の光さえも届かない大都会ではないのか? そんな感覚的な台詞が飛び交う。痛いような台詞である。
 6作品とも個性的で、演出された上演作品を観たいと思った。ただ、読んだだけでは作品の意図するテーマが見えにくいと思える作品があった。
 『アキラ君は老け顔』『少年は銃を抱く』『南吉野村の春』、『ずぶ濡れのハト』
 私の読み方が違うのかもしれないと思った作品だった。私が生真面目に読みすぎて、作者の意図を真逆に捉えてしまったのではないかと思えてくる。自分の作品の上演直前と重なり、物凄く大変な思いをした今回の審査だった。そんななか誤読したのでは?と気になる。
 と、この瞬間も消えてしまう。『畳と巡礼』冒頭に、「もっともっと昔の骨は(中略)地面のきっとそこら中にあるんだ。つまりほんとうのところ、いまお前がいるのは骨の上だよ」とあるように。 ──みんな骨の上で生きている。好きな台詞であった。

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日本劇作家協会プログラム

2023年度のプログラム公演

最新情報は座・高円寺のサイトでご確認ください。

▽ 11月1日(水)〜5日(日)
wonder×works
『未踏』
作・演出:八鍬健之介

▽ 11月10日(金)〜12日(日)
下鴨車窓
『旅行者』
作・演出:田辺 剛

▽ 11月17日(金)〜26(日)
燐光群
『わが友、第五福竜丸』
作・演出:坂手洋二